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第五話 髑髏は夜に砕ける(後編)

「あ……」


 時間が、止まった。

 髑髏は、二つに割れたのではなかった。

 細かな、細かな欠片となって——夜の街道へ、散っていく。

 暗殺者の里が滅ぼされた日。帝国兵が去った後、灰の中から拾い出した仮面。

 自分を川から拾い上げ、育ててくれた老夫婦。

 二度目の故郷が、確かにこの世に存在したという、たったひとつの証。

 それが今、拾い集めても二度と戻らない姿になって、足元に散らばっている。

 冷たい夜気が——剥き出しの顔に、触れた。

 男たちが、息を呑む。


 炎に溶かされ、引きつれた左頬。形の崩れた唇。閉じきらない、片方のまぶた

 驚きは、ほんの数瞬で——嘲笑に変わった。


「……なんだよ、その顔」

「後ろ姿だけなら上玉だったのになあ」

「髑髏のほうが、まだましだぜ」


 下卑た笑い声が、幾重にも重なる。

 ——息が、吸えない。

 視界が狭くなっていく。松明の赤が、あの夜の炎に重なっていく。

 五歳のシエンは、姉の手へ必死に指を伸ばしていた。

 届かない。

 姉を抱えた男たちが遠ざかる。炎が頬を焼く。追手の足音。崖。身体が宙へ投げ出される、あの浮遊感——。


「……見るな」


 声が、震えた。


「はぁ?」

「私の顔を……見るな」


 誰も、目を逸らさない。


(なら——私が、見る場所を変える)


 敵の顔なんて、見なくていい。

 肩。腰。爪先。

 そこさえ見ていれば、人が次にどう動くかは、すべて分かる。

 シエンは浅い呼吸を、ひとつずつ数えた。

 ——一つ。

 右の剣の男が、前足へ重心を移した。斬り込んでくる。

 ——二つ。

 背後の男が腰を落とした。また外套を狙うつもりだ。

 ——三つ。


 指示役は動かない。仲間を先に出して、隙を狙っている。

 恐怖が消えたわけではなかった。呼吸はまだ苦しい。今すぐ逃げ出したい。顔を隠してうずくまりたい。

 ——それでも、殺せる。

 右の剣が来るより先に、シエンは踏み込んだ。

 剣腕の内側へ潜り込み、肘を逆に折る。悲鳴を上げる男の身体を独楽こまのように回し、背後から迫っていた男へ叩きつけた。

 そのまま、敵の只中へ。


(ここなら——全員の武器が、互いの邪魔になる)


 剣の男の脇腹へ、短刀が沈む。

 ——三人。

 振り返りもせず、外套の男の顎を肘で撥ね上げる。倒れかける身体を蹴り飛ばし、鎖の男へぶつけた。

 振り回されていた分銅が、あろうことか仲間の肩を砕く。

 絶叫。その喉へ、シエンは短刀を落とした。

 ——四人。


「な、何をしてる! 囲め! 囲めぇ!」


 指示役の声が、みっともなく裏返る。

 シエンは足元の剣を蹴った。地面を滑った剣が、指示役の引きずる左足へ絡む。

 体勢が、崩れた。

 一瞬で間合いが消える。


「ま、待——」


 喉が、裂けた。

 ——五人。

 最後の男が鎖を投げ捨て、慌てて懐へ手を突っ込んだ。


(武器じゃ、ない——あれは!)


 黒い、符。

 シエンは短刀を投げ放った。

 刃はあやまたず、男の胸を貫く。

 だが——ほんの一瞬、遅かった。

 男の指の中で、符がひとりでに燃え上がる。


「副頭領……あとは……」


 立ち昇った黒煙は、風に流れなかった。細い蛇のようにするすると空へ昇り——やがて、巨大な『目』の形を結ぶ。

 遠く離れた場所にいる何かが。

 その目を通して、シエンを見下ろしている。

 煙の目は一度だけ、ゆっくりと瞬いて——夜の闇へ、ほどけて消えた。


「居場所を……」


 ——伝えられた。

 男は、嗤ったまま動かなくなった。

 シエンはひとり、六つの死体の真ん中に立っていた。

 戦いには、勝った。

 帳面も、守り抜いた。

 それでも——足元には、もう二度と拾い直せない白い欠片が、月光を受けて散らばっていた。


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