第四話 髑髏は夜に砕ける(前編)
砦を襲った夜から、四日が過ぎた。
五日目の夜明け前。シエンはようやく山を下り、大きな街へと続く街道へ戻っていた。
この四日間、同じ場所では眠らないようにしていた。獣道を選び、沢の水の中を歩いて足跡を消し、ときには進む方角まで偽装した。人里の灯が見えても決して近づかず、奪った帳面を胸に抱いて、ひたすら山中を進み続けた。
追手の気配は、二日前からぷっつりと途絶えている。
(……諦めた? いいえ、まさか)
見失ったのではない。行き先を絞ったのだ。
山を越えず、人と情報の集まる大きな街を目指すなら、この街道を通るしかない。残党には丸四日あった。先回りして網を張るには、充分すぎる時間だ。
果たして——林へ入るより先に、シエンは待ち伏せに気づいた。
虫の声が、右側だけ不自然に途切れている。
街道に残る真新しい足跡は、六人分。うち一人は、左足を引きずっている。
(引き返せば、開けた道で背中を狙われる。林へ逃げれば、伏兵の思うつぼ……)
四日分の疲労が、鉛のように手足へ沈み込んでいた。長引かせるほど不利になる。
なら——包囲が閉じきる前に、正面の一番薄いところを抜く。
シエンは、歩調ひとつ変えなかった。
「——振り向けよ、お嬢さん」
前方に、三人の男がぬっと現れる。
背後に二人。林の中に、あと一人。
背後の二人が松明に火を点け、退路が赤々と照らし出された。
計六人。読み通りだ。
「『女ひとりを止めて顔を確かめろ』って話だったが……こいつは運がいい」
先頭の男が、シエンの身体を上から下まで舐めるように眺め、にたりと口元を歪めた。
「こんな夜更けに女ひとりじゃ危ないぜぇ? 俺たちが送ってやるよ」
「……どこへ?」
シエンが問うと、男たちは下品な笑い声を上げた。
「そりゃあ、俺たちの寝床に決まってるだろ」
「そう」
外套の下で、帳面の位置をそっと確かめる。
「——お断りよ」
「つれないこと言うなって。なあ、顔ぐらい見せてくれよ」
先頭の男が、無遠慮に手を伸ばした。
その指が肩に触れる直前——シエンは、ゆらりと振り返った。
男の手が、空中で凍りつく。
黒い頭巾の奥。
白い髑髏が、嗤っていた。
「ひっ……」
ひとりが息を呑み、別の男の顔からは、みるみる血の気が引いていく。
「こ、こいつだ……砦にいた……髑髏の女だ……!」
先ほどまでの下卑た笑いは、もうどこにもなかった。
シエンは髑髏の奥から、六人を静かに見回す。
「退いて。今なら追わない」
「ふ、ふざけるな!」
先頭の男が剣を抜いた。怯えを塗りつぶすためだろう、必要以上の大声で吠える。
「兄貴の仇だ! 帳面を取り返せ!」
背後の二人が、じり、と左右へ分かれた。
(正面が私を殺す係。後ろが帳面を奪う係……ってところかしら)
シエンは——正面へ向かって、走った。
包囲というものは、完成する前が一番脆い。
外套の裾を跳ね上げ、剣の男の顔面へばさりとかぶせる。視界を奪い、その脇をすり抜けた。
右の男が鉈を振る。
その手首を取り、勢いを殺さぬまま、男ごと剣の男へ叩きつける。二人がもつれて倒れ込んだ。
シエンは林際の細い道へ滑り込む。
(両側に木が迫るここなら——同時に来られるのは二人まで)
「逃がすな!」
追ってきた男が槍を突き出す。
穂先を半歩でかわし、柄を脇へがっちり挟み込む。手繰り寄せた男の喉へ、短刀が一閃した。
——一人。
倒れる身体を、前へ突き飛ばす。
次の男は避けきれず、仲間の死体をまともに抱え込んだ。その肩越しに、短刀が閃く。
——二人。
「囲め! 決めた通りに動け!」
左足を引きずる男が、後方で指示を飛ばしている。
(あれが指示役——!)
シエンが向きを変えた、その瞬間だった。
不意に、背後から外套をつかまれた。
布が首へ食い込む。同時に、正面から剣が迫る。
身体を捻ってかわす——が、剣先は脇腹を浅く裂き、そのまま外套の内側へと滑り込んだ。
(——帳面!)
シエンは咄嗟に、左腕で懐をかばった。
その動きこそを、敵は待っていた。
「今だ!」
林の中で、鎖の擦れる音が鳴った。
鉄の分銅が、唸りを上げて横顔へ飛来した。
(避ければ——懐を狙うあの刃が、帳面ごと腹に入る……!)
シエンは、顎を引いた。
仮面で、受けた。
凄まじい衝撃が頭蓋を揺らす。視界に火花が散った。
白い髑髏に——細い亀裂が走る。
「割れたぞ!」
外套をつかんでいた男の腕を関節ごとへし折り、力ずくで振りほどく。距離を取ろうとしたが、指示役がすでに退路を塞いでいた。
「もう一度だ! 面を狙え!」
前から剣。横から鉈。後方では、再び分銅が唸りを上げる。
シエンは剣をかわし、鉈を短刀で逸らした。
逃げ道は、ひとつしか残されていない。
——敵がわざと空けた、そのひとつへ、承知の上で踏み込む。
分銅が来る。
直前で、身を沈めた。
避けた——はずだった。
指示役が、横から足を払う。
体勢が、崩れた。
分銅が。
髑髏の額を、直撃した。
乾いた音が、した。
白い破片が、月明かりの中へ舞い上がる。




