第五話 燃え残った者たち
支部は、頭を失った。
だが、消えてはいなかった。
倒れた兵。燃え移りかけた篝火。呆然と立ち尽くす、魅了の抜けきらない男たち。逃げ出そうとする残党。
そして、中庭に横たわる、黒褐色の山。
篝火に照らされた毛皮が、風にわずかに波打っている。
兵たちは誰ひとり、そこへ近づこうとしなかった。仕えていた相手の骸だと、頭では分かっていても——足が動かないのだ。
(……あなたは、何だったの)
美姫の顔を見て、あの男だけが恐れた。数百年前を、見てきたように語った。
——人ではなかった。それだけは、確かだった。
「——私の顔を見た男は、全員」
シエンは、最後の力で声を張った。
「捕虜を傷つけない。武器を捨てて、縛られることを受け入れて。抵抗しない」
男たちが、次々に膝をつく。
捕虜たちとユエンが、手分けして縄をかけていく。魅了の効かない女たちには、ユエンと年かさの捕虜が退路を示し、建物の一角へまとめた。
「別区画の連中が、幾人か壁を越えて逃げた」
ユエンが報告する。
「……美姫を見ていない者?」
「ああ。顔を見た者は、全員ここにいる。数えた」
(なら、外へ漏れるのは『支部が潰された』ことだけ。『真の器』は、漏れない)
火は、捕虜たちが消し止めた。ラゴウの遺体と、燃やした書状の灰、指揮室の記録は、証拠としてそのまま残す。
やがて、男たちの拘束が終わった。
シエンは、ユエンから受け取った平凡な女の仮面を——美姫の上へ、重ねた。
その瞬間。
支部に残っていた熱が、糸が切れるように消えた。
男たちの目から光が抜け、代わりに困惑と、恐怖と、疲労が戻ってくる。だが、縄はもう、かかっていた。
「……終わったの、姉ちゃん?」
救い出された少年が、遠慮がちに訊いた。
平凡な女の顔で、シエンは頷く。
「ここは、終わった」
「……あの、綺麗な人は?」
「——もう、いないわ」
夜明け前、南東の街道の方角に、小さな灯が見えた。
騎馬で救援要請に走った女が、無事に石門関へ着いたなら——県衛兵は、明日には来る。
シエンは、崩れるように荷の上へ座り込んだ。
脇腹の布は、また赤い。肩は上がらない。ガンカの仮面は、もう、この世のどこにもない。
「よく、立っていたものだ」
ユエンが、隣へ来た。
「……あなたは、また無傷?」
「袖が二枚、駄目になった」
「贅沢な悩みね」
しばらく、二人とも黙っていた。
篝火の残りが、爆ぜる。
「……嗤えると、思っていた」
シエンが、ぽつりと言った。
「復讐を果たしたら、嗤える。ずっと、そう思ってた。なのに」
「……」
「どうしてかしらね。ただ、『次』のことだけ考えてる」
ユエンは、砕けたガンカの破片を、一つ、拾い上げた。
「前に、言っただろう」
白い欠片を、月へ透かす。
「——面屋は、死者を笑わない」
「……ええ」
「仮面師も、同じだよ。借りた顔で立つ者は、嗤わない。……嗤えば、借りた重さを忘れる」
シエンは、外套の内の仮面たちに触れた。
平凡な女。傷ついたバンロ。役目を終えたメイファ。軽やかだったセイカ。
そして——粉々になって、それでも最後まで守ってくれた、ガンカ。
(忘れない。全部、覚えてる)
東の空が、白み始めていた。
長い、長い夜が、終わろうとしている。
姉は、北のどこかにいる。九つの影は、あと八つ。ダージという名の何かが、その上にいる。
——それでも。
あの夜からずっと、闇の外から見ているだけだった少女は、今、敵の砦の真ん中で、朝を迎えようとしていた。
シエンは、嗤わなかった。
ただ、まっすぐに、夜明けを見ていた。




