第三話 支部長ラゴウ
「顔を剥ぐ化け物……と、聞いていたが」
ラゴウは、大鉞を無造作に肩へ載せたまま、値踏みするようにシエンを見た。
「今度は、でかい女か。……ふん。よく出来ている」
「あなたが、ラゴウ」
「支部の長の名を、確かめに来たのか? わざわざ、こんな場所まで」
「十一年前」
シエンは、静かに言った。
「南東の谷の村を焼いた。女と子供を、二十七人連れ去った。——指揮は、あなた」
ラゴウの眉が、わずかに動いた。
「……古い話だ」
「否定しないのね」
「する理由がない。あれは任務だ」
岩のような声に、誇りも、後悔もなかった。
「『器』の候補を集めろ。——そういう命令だった。条件に合う土地を回り、条件に合う人間を回収した。それだけだ」
(器。……記録にあった、あの言葉)
「器って、何」
「お前が知る必要はあるのか?」
「連れ去った人たちは、どこへ」
「北へ送った。その先は、俺の管轄ではない」
「——その二十七人の中に、十六ほどの娘がいたはず。黒髪の」
(人目を引く顔立ちの——)
そこまで並べれば、なぜ知っているのかを問われる。
シエンは、続きを呑み込んだ。
「その娘が、どこへやられたのか。……それだけ、訊いている」
ラゴウの目が、初めて細くなった。
「……なぜ、その娘のことを知っている」
答えの代わりに、シエンは地を蹴った。
問答は、終わり。これ以上は口ではなく、刃で訊く。
裂けかけた扉を盾に構え、肩口から突っ込む。
ガンカの巨躯が持つすべて——踏み込む脚力、受け止めてきた背中、門を支え続けた分厚い肩。その全部を、一直線の重さに変えて叩きつけた。
並の兵なら、盾ごと数間は吹き飛ぶ。
石壁とて、ひびのひとつは入るはずだった。
——止まった。
音だけが、遅れて響いた。
扉板の向こうで、衝撃が岩へ吸われていく。手応えというものが、どこにもない。
ラゴウは、半歩も退いていなかった。
突き出した片腕、その掌ひとつで、ガンカの全体重を受け止めている。
(——嘘、でしょ)
腕は軋みもしない。足元の土すら、えぐれていない。
壁へぶつかったのではない。壁のほうが、こちらを測っていた。
「ほう。いい当たりだ」
大鉞が、無造作に振られる。
シエンは盾にした扉を挟んだまま、真横へ吹き飛ばされた。地面を転がり、倉の壁で止まる。扉は縦に裂けていた。
(一撃で……盾ごと)
「刃も通らない化け物」。副頭領の言葉。ガンジの噂。ヨウシンの震え。
——全部、足りていなかった。
ラゴウの身体は、篝火の逆光の中で、岩そのものだった。斬れば弾き、突けば滑る。仙術で練り上げた、生きた城壁。
(巌鎧功——)
「もう一度、訊く」
ラゴウが、ゆっくりと近づいてくる。
「なぜ、十一年前の娘を知っている。……お前、あの谷の関係者か」
(気づき始めてる——)
「まぁ、いいさ。顔を剥げば、分かやもしれぬ」
大鉞が、持ち上がった。
一撃目は、かわした。
石畳が砕け、破片が頬を打つ。
二撃目は、盾の残骸で受けた。残骸は、木っ端になった。
(受けちゃ、駄目——!)
分かっていても、避けきれない。ガンカの身体は頑健だが、速くはない。そして脇腹と肩が、防御の姿勢を最後まで取らせてくれない。
三撃目。
かろうじて、肩当てで逸らす。
その瞬間、ラゴウの目が光った。
「——そこか」
(え——)
四撃目は、狙っていた。
これまで受け続けた、右肩の一点。傷を庇って、必ず同じ側で受けてしまう場所を。
大鉞の腹が、寸分違わず同じ点へ落ちる。
——乾いた音が、した。
一度目は、細い亀裂。
「同じところを守る癖は、直したほうがいいぞ」
五撃目。
同じ、一点。
ガンカの仮面が——粉々に、砕けた。
白い破片が、篝火の光の中へ舞い上がる。
(ああ——……)
身体が縮む。視界が下がる。分厚い肩が消え、支えを失った疲労と痛みが、一斉に本来の場所へ戻ってくる。
膝をついたシエンの顔に、夜気が触れた。
隠すものは、もう、なかった。
血と煤にまみれた戦場で、そこだけ雪が降ったような白。
伏せた睫毛が持ち上がるたび、夜より深い瞳が、篝火の色を呑んでいく。
唇の描く弧は、どんな刃より静かで——どんな刃より、男たちを黙らせた。
——美姫の顔が、戦場に現れた。
音が、消えた。
篝火の爆ぜる音さえ、遠慮するように細くなる。
振り上げられていた剣が、止まる。つがえられた矢が、下がる。怒号の形に開いた口が、開いたまま忘れられる。
数百年、土の下で眠っていたはずの美貌が——血と煙のただ中で、静かに目を覚ましていた。
戦場という場所そのものが、一枚の顔に敗れていく。
「なんだ……あれは……」
「ああ……なんて、きれいなんだ……」
「見るな……見ちゃならねえ……ありゃあ、人の顔じゃねえ……」
誰かが呻き、そのくせ、誰ひとり目を逸らせない。
美しさも、度を越えれば刃に似る。見た者の胸へ、抜けない針のように残る。
男たちの目から敵意が抜け落ち、代わりに、あの熱に浮かされた光が灯っていった。
支部にいた数少ない女たちは——炊事場の女も、伝令の女も——武器の代わりに後ずさった。畏れの目で。踏み込んではならない神域を、覗いてしまった者の目で。
ユエンだけが鳥舎の屋根の上で、いつもと同じ顔で、静かにこちらを見つめていた。
そして、ラゴウは。
大鉞を下ろしたまま、美姫の顔を直視していた。
だが——その目に、兵たちのような熱はない。
巨体が、一歩、退がった。
逃げたのではない。臣下が主の前で膝を折る、その寸前の姿勢だった。
「……その、顔……」
岩の声が、初めて、揺れた。
(——違う)
シエンは気づいた。
男たちは魅入られている。だがこの巨体は、見惚れてなどいない。
恐れている。しかもそれは、初めて見た者の恐れ方ではなかった。
「全員、下がれ!!」
怒号が、呆けた兵たちを打った。
ラゴウの声は、美姫の力を振り切ったかのようだ。
「誰も近づくな! ……この女は、俺が見る」
(……戻った?)
命じられて退がったのではない。この男は自分の意思で、たった数呼吸のうちに立て直した。
巨体が、シエンの腕を掴み上げる。
抵抗する間もなかった。ガンカを失った身体には、抗う力が残っていない。
シエンは、指揮所の奥——内側の指揮室へ、引きずり込まれた。
厚い扉が、閉まる。
「……妙だと、思っていた」
ラゴウは、シエンを床へ下ろすと、距離を取って見下ろした。
——距離を、取った? なぜ……
魅了された男は近づきたがる。この巨体は逆だった。触れれば火傷をするとでもいうように、腕一本分だけ余計に離れて立っている。
そして、欲望より先に、答え合わせを始めていた。
「輸送の女の顔をした侵入者。十一年前の谷を知っている。十六の娘のことを訊いた。そして、その顔——」
太い指が、シエンを指す。
「それは『似ている』顔じゃない。……俺は一度だけ、あの方を見た。銀狐様が、その顔を使っておられたころにな」
(——銀狐が、この顔を?)
数百年前に死んだ女だと、ユエンは言った。
では、いま目の前で「見た」と言っているこの男は、何なのか。
「絵師は、誰ひとり描き写せなんだ。面師も彫れなんだ。挑んだ者から順に、筆を折り、鑿を捨てた。——人の手で写しうる顔ではないのだ」
太い指が、わずかに震えていた。
「それが、なぜ。人間の小娘の面に、貼りついている」
ぶつぶつと、推論が転がっていく。
「十一年前。俺は谷で、飛び抜けて美しい娘を見つけた。条件の土地。条件の血筋。年頃も合う。……器の候補として、あれ以上の女はいないと思った」
(——姉さんの、話)
「だが、届いた先で言われたよ。『適合が浅い』とな。美しいだけの、ただの上物だと」
シエンの喉から、声が出かけた。
(生きてるの。姉さんは、今も——)
問いを飲み込む。今、口を開けば、この男の推論を助けるだけだ。
だが、ラゴウは続けた。
「あのとき、谷にはもう一人いた。……小さい妹だ。姉にしがみついて、離れなかった」
心臓が、止まりそうになった。
「引き剥がしたら、俺の手を刺しやがった。折れた髪飾りの先でな。——青い、燕の髪飾りだ」
ラゴウは、指揮室の灯の下へ、左の掌を開いた。
分厚い掌の中央に、小さな古傷が、白く残っている。
考えるより先に、シエンの視線がそこへ吸い寄せられていた。
探したのではない。在る場所を、知っていた。
気づいて目を戻したときには、もう遅い。
「振り払ったら、川へ落ちた。……死んだと、思っていた」
言いながら、ラゴウが見ていたのは掌ではなかった。
短刀でも、喉でもない。——シエンの、顔だけを。
「……そうか」
腹の底から、低い声が漏れた。
「この傷がどこにあるか、はじめから知っていた目だ。……髪飾りの形を言ったとき、息を止めたのもな」
(……ああ)
隠しようが、なかった。
五歳の夜。姉の手。引き剥がされた指。無我夢中で握った、折れた髪飾りの先端。掌に伝わった、嫌な感触。
全部、この身体が覚えている。
「生きていたか。……あの妹が」
ラゴウの顔に浮かんだのは、恐怖でも、後悔でもなかった。
——歓喜だった。
「そうか。そういうことか……! 器は、姉じゃなかった。『妹』だ! 誰の手にも写せなんだあの顔が、貴様には生まれついたように馴染んでいる——それが答えだ! 俺は十一年前、真の器を、この手で川へ捨てたのか……!」
男は笑いながら、机へ向かった。
筆を掴む。紙へ、叩きつけるように書く。
「この失態、取り返せば釣りが来る。真の器の発見——これほどの報告はない」
(——報告!)
「鳥舎へ伝えろ!!」
ラゴウは、扉の外の部下へ吠えた。
「緊急だ! 二羽出せ! 書状はすぐ持たせる!!」
シエンは床を蹴った。
短刀は、まだ、ある。
——だが同時に、思い出す。
(緊急報告は、同じ文を、二羽。……止めるべき鳥は、一羽じゃない)
そして、鳥は。
灰羽鳩は——美姫の声が、届かない。




