第四話 外へ出る四つの道
昼下がり。荷の点検を口実に、シエンは敷地を歩いた。
輸送監督という身分は、都合がよかった。倉庫にも、荷置き場にも、水場にも、用がある。
(武器庫は指揮所の裏。常備の兵は……見える範囲で五十前後。弓が多い。騎馬は八)
数えながら、聞き耳を立てる。
「——ラゴウ様が呼んでる」
「今か? 勘弁してくれ、この前あいつがどうなったか見ただろう」
「声がでかい。……殺されたいのか」
別の水場では、若い兵が声を潜めていた。
「この前、逆らった奴の剣を素手で受けて、へし折ったって本当ですかい」
「巌鎧功——ラゴウ様の練体術だ。刃も矢も、あの身体には通らねえ。……名前だけ覚えて、二度と口に出すな」
兵たちの会話は、どれも同じ形をしていた。
忠誠では、ない。
——恐怖だ。
この支部は、ラゴウという一枚の岩の下で、全員が息を潜めている。
(頭目が落ちれば、この支部は崩れる。……盗賊の砦と、同じ構造)
捕虜区画の柵の前を、荷を運ぶ振りで通った。
低い建物。窓は高く、小さい。中から、微かに人の気配がする。
数は——十や二十では、きかない。
(子供の声も、ある)
足が、止まりかけた。
(姉さんの名前を、探したい。今すぐ、あの記録の建物へ——)
衝動が喉元まで上がってくる。
シエンは、目を閉じて一呼吸した。
(……順番。先に、退路と警報。それを知らずに動けば、この人たちごと死ぬ)
暗殺者の頭が、復讐者の心を押さえつける。
シエンは区画の周りを一周し、出入口と鍵の位置、見張りの数と交代を目に焼き付けた。
(出入口は一つ。鍵は見張り頭の腰。交代は……夕と夜半)
それから、指揮所の裏手。
記録の建物は、石造りだった。窓には鉄格子。入口には常時二人。
(力ずくじゃ、入れない。でも——搬入はある)
記録用の紙。今日、自分たちが運んできた荷の中にもあった。
(紙を運ぶ者は、中へ入れる)
夕刻前、二人は敷地の中ほどにある水場で、短く交差した。
井戸端は吹きさらしだ。桶を並べる兵、手を洗う炊事の女——人通りは絶えない。
だからこそ、誰も足を止めない。
二人は柄杓を回し合う輸送役と使者を装い、顔も合わせずに言葉だけを交わした。
「戦力は」
「五十強。弓多め。騎馬八」
「捕虜は」
「二十以上。子供もいる。出入口一つ、鍵は見張り頭」
「記録棟は」
「石造り、格子窓、常時二人。紙の搬入で入れる」
「上出来だ」
ユエンは柄杓の水を飲む振りをしながら、目だけで指揮所の屋根を示した。
「……問題は、あちらだ。報告の経路が、思ったより多い」
「いくつ?」
「四つ」
日が傾く頃、二人は敷地の東端へ移った。
鳥舎の見える塀際の物陰。屋根はなく、頭上には赤く焼けた空が広がっている。
荷縄と油壺を地面へ並べ、道具の整理を装って、二人は肩を並べた。
——ここも屋外だ。声を落とすほかに、隠れる術はない。
「一つ目。——伝書の鳩だ」
ユエンが、視線だけで鳥舎を指す。
木組みの小屋の中で、灰色の羽の鳩が十数羽、止まり木に並んでいた。
「灰羽鳩。妖術じゃない。ただの、訓練された鳥だ。行き先は『西方第三中継所』。日没の鐘と同時に、定時の一羽が飛ぶ」
「緊急のときは?」
「同じ文を、二羽に持たせる。一羽が落ちても届くように」
「……中継所から、その先は」
「中継所が選別して、必要なものだけを上へ送る。ここから頂点へ直通ではない。——だが、届けば同じことだ」
シエンは鳥舎の構造を目でなぞった。
放出口は屋根の一箇所。扉には簡単な錠。脇の棚に、小さく巻かれた予備の封書と、帰還記録の板。
「鳥の数と帰還記録を照合すれば、報告が外へ出たかどうか、あとから分かる」
「二つ目は、正門」
ユエンが続ける。
「徒歩と騎馬の伝令。馬は八頭。門が開かなければ出られない」
「三つ目は、見張り台の狼煙。四隅の台に、油と薪。火が上がれば、遠くの目に届く」
「四つ目は——」
「裏の搬出口」
シエンが引き取った。
「北側の壁に、物資用の小さな口がある。荷の出し入れで今日二度開いた。鍵は倉番頭」
「……よく見ている」
「仕事だもの」
四つの道。
鳩。門。狼煙。裏口。
——どれか一つでも残れば、『報告』は外へ出る。
「今、壊す?」
シエンが低く問う。
「壊せば、その瞬間に潜入が露見する」
「残せば、いざというとき報告が飛ぶ」
「だから——壊さず、覚える」
ユエンは、地面の砂へ指先で小さく印を刻んだ。
「場所。人員。鍵。定時。全部を頭へ入れて、『そのとき』が来たら一斉に塞ぐ」
「分担は」
「私が鳥舎と裏搬出口。君が正門と馬と狼煙」
「私一人で三つ?」
「君には、そのときには手が増えているはずだ」
「……捕虜」
「解放すれば、混乱も人手も生まれる。彼らにも、逃げるための門がいる」
シエンは、砂の印を見下ろした。
(四つの道を、全部塞ぐ。捕虜を逃がす。記録を守る。そして——ラゴウ)
やることが、多すぎる。
それでも、初めて『全体の形』が見えた。
「日没の鐘まで、あとどのくらい」
「長くはない」
「なら急ぐ。——記録棟」
「ああ。……十一年前が、あそこにある」




