↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
33/47

第六話 今ここにいる敵

 動ける馬を縄から外し、散った荷を集めた。

 ユエンが、荷車を谷から引き上げる。


「……本当に、何なの、あなた」

「面屋だよ」

「面屋は荷車を引き上げない」

「力持ちの面屋もいる」

「自分で言わないで」


 外れた車輪は、予備の軸木と縄で固定した。

 速くは走れない。——だが、支部までなら持つ。

 日が沈む前に、二人は山道脇の窪地へ荷車を隠した。

 明日の昼までは、まだ間がある。


「今夜、入る」


 シエンが言うと、ユエンは荷車の覆いを直す手を止めた。


「予定と違う」

「ラゴウが移動するかもしれない」

「使者が真夜中に着けば、それだけで妙に思われる。門番なら、まず私を疑うだろうね」

「待っている間に、谷の二人を見つけられるかもしれない」


 ユエンは搬入予定の紙を広げ、指で日付をなぞった。


「通常の巡回が、あの谷を通るのは——二人の搬入が終わったあとだ。覆いをかけた遺体は、崖の上からは見えない」

「予定どおりなら、でしょう。早く見つかれば、騎馬の報告はその日のうちに届く」

「だから、予定の刻に入る」


 指が、明日の昼の欄で止まった。


「巡回が谷へ降りるより先に、私たちが門をくぐる。猶予があるとすれば、そこだけだ。……夜中に飛び込めば、疑われた分だけ、中にいられる時間が削られる」


 ——予定どおり入るのが、いちばん長く中にいられる。


 シエンは反論しようとした。

 だが。ラゴウを殺す前にやることを、自分で決めたばかりだ。


「支部の戦力を調べる」


 シエンは、指を一本立てた。


「ああ」

「シヨウの記録を探す」

「上位への連絡方法もだ」

「そして——全部終わるまで、ラゴウを殺さない」


 三本目の指が、わずかに震えていた。

 ユエンは、それを見ていた。


「……できるか」

「——やる」


 ユエンは、二枚の仮面を地面へ置いた。

 メイファ。ソウガン。


「顔は一致する。声、口調、体格、気配も変わる」

「記憶はない」

「バンロのときより危険だ。二人とも、支部内に顔見知りがいる」

「最低限の役割は目録にある」


 ユエンは仮面を挟んだまま、問う側へ回った。


「では——過去の取引を訊かれれば?」

「急いで報告があることにする」

「メイファの家族を訊かれれば」

「聞き返す」

「知っているはずの相手の名を、呼ばれれば」

「返事をしない」

「……全部は避けられんぞ」

「——だから、長くはいない」


 シエンは、支部の粗い見取り図を描いた。

 門。倉庫。記録を置く建物。捕虜がいる可能性のある区画。ラゴウの居場所。

 ……分からない場所ばかりだ。


「失敗した場合は?」


 ユエンが、さらに二枚の仮面を出した。

 一枚は、短い黒髪の若い女。小柄で、日に焼けた頬に細かな古傷がある。


「セイカ。山岳の伝令だった。登ること、細い足場を走ること、長く移動することに優れている」

「死因は?」

「雪山で凍死した」

「あなたが見つけた?」

「……」


 もう一枚は、大柄な女の顔。短い黒髪。太い首。日に焼けた肌。

 仮面だけでも、身体の大きさが伝わってくるようだった。


「ガンカ。関所の守備兵。盾と長柄武器、狭い場所で踏ん張ること、重い物を動かすことに向く」

「この人は?」

「洪水で門が崩れたとき、住人を逃がすために支え続けた」

「……立派な人ね」

「ああ」

「便利な顔だけ集めたように聞こえる」

「便利だから残している」

「最低」

「否定はしない」


 ユエンは二枚を布へ包み、シエンの手へ載せた。

 思ったより、軽い。


「どちらも一枚しかない。割れれば戻らない」

「セイカは逃走。ガンカは突破」

「ただし、セイカに正面戦闘は向かない。ガンカは重く、細い足場や登攀《とうはん》には向かない」

「——万能では、ない」

「仮面は、いつもそうだ」


 シエンは、自分の顔へ触れた。

 最上層は、平凡な女。その下には、美姫。

 さらにメイファを重ねれば——三人目の、死者になる。


「寝る」


 シエンが言うと、ユエンが目を見開いた。


「何?」

「いや。成長したと思って」

「明日、失敗しないためよ」

「分かっている」

「夜明けに起こして」

「約束する」


 ◇◇  


 潜入の朝。

 シエンは、メイファの仮面を重ねた。

 視界が一瞬だけ暗くなる。

 背が少し縮み、肩と腰の幅が変わる。日に焼けた手。引き締まった腕。右眉の傷。

 ——傷の疼きだけは、持ち主のまま変わらない。


「メイファ」


 ユエンが呼ぶ。


「何?」


 声は、自分より少し低い女のものだった。


「呼ばれたら、その速さで反応する」

「分かっている」

「怒り方は君のままだな」

「あなたは?」


 ユエンは、ソウガンの顔を重ねた。

 細長い顔。薄い口髭。白髪交じりの髪。身体が伸び、背がわずかに丸まる。


「どう見える?」

「……信用できない使者」

「適役だ」


 二人は荷車を古道へ戻した。

 昼前——山あいに、石壁が見えた。

 高い塀。見張り台。鉄で補強された門。

 九つの影の旗が、風に揺れている。


(あの夜から……形しか知らなかった敵が、いま、目の前にある)


「止まれ!」


 門上から、声が飛ぶ。


「名を言え!」


 シエンは、通行札を掲げた。


「輸送監督、メイファ。予定の荷を届けに来た」


 隣で、ユエンが身分札を見せる。


「直属使者、ソウガン。支部長へ報告がある」


 見張りが、札を確かめる。


「荷は刻限どおりか。……だが、昨日の合流地点には来なかっただろう。伝令が待ちぼうけを食ったと騒いでいたぞ」

「落石に巻き込まれた」


 ユエンは短く答えた。

 ——嘘では、ない。

(合流を飛ばした穴は、もう向こうが埋めてくれた)

 シエンは頭の中で、用意した言い訳をひとつ消した。


「荷は?」

「見れば分かる」


 シエンが、苛立った声を出す。

 メイファの口調がそうさせたのか、自分の性格なのかは分からなかった。

 門兵が笑う。


「相変わらずだな、メイファ」


(——最初の、知人)


 名前は、知らない。

 シエンは目を合わせず、壊れた車輪を指した。


「ここで話すなら、先に荷を下ろして」

「分かったよ。入れ」


 門の鎖が巻き上がる。

 重い扉が、ゆっくりと開いていく。

 中から、武器を持つ男たちと、荷を運ぶ人影が見えた。

 さらに、奥。

 ——岩を打つような、重い足音が、響いてくる。


「ソウガン」


 門兵が、声を落とした。


「ラゴウ様が、お待ちだ」


 シエンは、平凡な顔のさらに下で、嗤いそうになった。


(待っていたのは——こっちも、同じよ)


 姉を奪い、故郷を焼いたかもしれない男。

 追い続けた最初の敵が、いま、扉の向こうにいる。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。