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第四話 証拠を消す者

 未明——。

 油の臭いで、シエンは目を覚ました。


「起きて」


 短く言う。

 ユエンは、すでに目を開けていた。

 ヨウシンの小屋の外で、草が鳴る。


(一人じゃ、ない。正面に三人。裏手に二人。……それと、遠くに馬の鼻息)


「記録庫」


 シエンが言うと、窓の外が赤く染まった。

 火矢が、石門関へ飛んでいる。

 証人と、原本と、残った記録。——同時に、消すつもりだ。


「ヨウシン、写しを持って裏へ!」

「う、裏にもいるぞ!」

「水路へ降りて。枯れた溝が西津県衙の街道まで続いている」

「足がもたん!」

「走れなくても、隠れて進める」


 シエンは戸を蹴り開けた。

 飛び込んできた男の顎へ、柄を打ち込む。二人目の刀を戸板で受けた。

 肩に衝撃が走る。矢傷が熱を持つ。

 ——だが、腕は動く。


「原本を」


 ユエンが青縁布と古記録を外套へ包む。


「東へ行く。半分を引きつける」

「ひとりで?」

「君は証人を守れ」

「命令しないで」

「提案だ」


 窓から、火のついた瓶が投げ込まれた。

 ユエンは片手で受け止め、そのまま外へ投げ返す。地面で割れ、炎が広がった。男たちが退く。


「——採用する」


 ユエンは原本を持って、東の森へ走った。

 三人が追う。残る二人は小屋へ。


(遠くの馬は、動かない。……戦う者じゃない。連絡役)


 こちらの全滅を待ち、結果を支部へ持ち帰る係だ。

 シエンはヨウシンを水路へ押し込んだ。


「西へ進んで。街道へ出たら県衙へ」

「お前は?」

「追手を止める」

「ひとりでか?」

「あの男よりは人間よ」


 何の慰めにもならない顔で、ヨウシンは走った。

 追手の一人が、水路へ跳ぶ。

 シエンは上から肩を踏みつけた。男の顔が泥へ沈む。

 もう一人の刃が、背中へ来る。

 振り返らずに身を沈めた。

 ——脇腹が、痛む。足が、止まった。

 刃先が外套を裂く。

 シエンは前へ転がり、土をつかんで投げた。男が目を閉じる。

 一歩、入る。


 手首を切り、膝裏を蹴る。倒れた男の喉へ、短刀を当てた。


「誰の命令?」

「い、言うかよ」

「なら、眠って」


 首の横を打つ。

 ——殺さない。生きた証拠も、残す。

 水路を見る。ヨウシンの姿は、もうない。西へ逃げた。


 そのとき、遠くで馬が動いた。


(——連絡役が、支部へ戻る!)


「ユエン!」


 返事はない。

 東の森から、木が折れる音がした。あちらも、戦っている。

 証人を追えば、連絡役を逃がす。連絡役を追えば、ヨウシンを守れない。

 迷ったのは、一瞬だった。


(ヨウシンは、自分の足で、写しを持って逃げた。——それを、信じる)


 シエンは、馬の音を追った。


 ◇◇  


 連絡役は、古道を北へ走っていた。

 馬なら追いつけない。——だが、行き先は分かる。

 十二日周期の輸送。石門を夜明けに通る。支部へ戻る者も、山へ入る前に古い一里塚を使う。

 ユエンが昨日、合流地点として印をつけた場所だ。

 シエンは、林の近道へ入った。

 枝が肩を打つ。呼吸が乱れる。脇腹の傷が開く感覚がした。

 ——それでも、走る。


 一里塚の手前で、街道へ出た。

 細い縄を、木から木へ渡す。

 馬の蹄が近づく。

 連絡役は後ろばかり見ていた。前の縄に、気づかない。

 馬の脚が縄に絡む。男が、宙へ投げ出された。

 地面へ落ちる前に、シエンが懐へ入る。胸元の筒を抜き取った。

 男は受け身を取り、短剣を振る。


(速い——!)


 口封じ役ではなく、伝令として鍛えられた動きだ。

 シエンは右へ避ける。傷が引き攣れ、身体が遅れた。

 短剣が、平凡な女の頬をかすめる。

 ——仮面に、細い傷が入った。


「……また、顔を狙うの」

「何だ、お前」

「答える必要はない」


 低く入り、男の足首を切る。体勢が落ちたところで、顎を打ち上げた。

 男が倒れる。今度は、起きない。

 筒の中には、短い報告書があった。

『石門の記録を探る女と男あり。生き残りの記録係と接触。命令印を所持』

 宛先は——北西支部。

 末尾に、獣の爪を重ねた九つの影。


(襲撃は、偶然じゃない。現在の支部が……証拠を、消そうとした)


 シエンは報告書を破らず、筒へ戻した。

 伝令を縛り、馬へ乗せる。

 石門関へ戻ると、空は明るくなっていた。

 記録庫の屋根は一部が焼けている。だが、石壁と湿った木が、火を止めていた。

 ユエンは入口に座り、原本を抱えている。

 ——足元には、三人が折り重なって倒れていた。


「遅かったな」

「馬を拾ってきた」

「それは便利だ」

「ヨウシンは?」

「西津県衙の出先へ着いた。街道の見張りが保護した」

「どうして分かるの」

「さっき見張りが知らせに来た」


『月視』とは言わなかった。今回は、本当に人から聞いたらしい。


「写しは?」

「ヨウシンが持っている。原本はここ。君の写しもある」


 証人。原本。二つの写し。そして——送られなかった、警報。

 全部、残った。


「傷は?」


 ユエンが訊く。


「開いた」

「正直でよろしい」

「あなたは?」

「袖が汚れた」

「傷を訊いている」

「ない」


 ——腹が立つほど、無事だった。

 それでも、無事でよかったと思ってしまった自分には、もっと腹が立った。


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