第七話 支部へ向かう線
夜が深くなる前に、二人はまず六人を西津渡しの警備役へ引き渡した。
枯柳倉の男たちを縛り上げ、あの地下へ入れた。
「立場が入れ替わっただけだね」
少年のひとりが、小さく笑った。
——シエンは、笑えなかった。
あの地下から出られなかった者が、帳面には何人も記されている。
事情を聞いて枯柳倉へ来た警備役には、人買いの証拠と、捕らえた男たちを引き渡した。
ただし——帳場にいた、右頬に傷のある男だけは、引き渡さずに残した。
「ガンジ……こいつ、ガンジじゃねえか」
警備役のひとりが、男の顔を見るなり眉を寄せた。
「何度も足がついたのに、そのたびに下の者へ罪を着せて、証拠を消して逃げてた男だ。上とも繋がってるって噂で、うちじゃ誰も手を出せなかった」
つまり——役人が見逃していたのではない。挙げようとするたびに、証拠のほうが先に消えていた。
(なら、こいつは末端じゃない。……使える)
シエンはその名を覚えた。
「この男は、まだ私たちで聞くことがある。夜明けには必ず引き渡す。それまで、預からせて」
警備役は渋った。だが枯柳倉を落としたのは二人だ。最後には、頷いた。
ガンジを水車小屋へ連れ出すあいだ、シエンは九つの影のことを一言も口にしなかった。
上と繋がっているのが、九影とは限らない。だが、繋がっていないとも言えない。
(地域の役人が、全員信用できるとは限らない)
枯柳倉から離れた水車小屋で、二人は資料を広げた。
盗賊団の帳面。副頭領の骨札。黒い符。仲介網の補助帳。荷札と、偽の経路図。
「これで全部?」
「まだだ」
シエンはガンジを、水車小屋の柱へ縛っていた。
手首の傷は止血してある。——死なせる気は、ない。
「北西の道は、どこへ続く?」
「知らねえ」
「偽の道ではなく、本物」
「だから知らねえよ。俺たちは川までだ」
(……嘘じゃ、ない)
視線は揺れていなかった。
「荷は誰に渡す?」
「顔を隠した輸送役だ。毎回違う」
「合図は?」
「欠け月の日、柳の札を三度打つ」
「その先は?」
「赤い土のついた荷車が来る。俺たちは人を渡して、向こうから銭と次の札を受け取る」
「——ラゴウは?」
男の喉が、大きく動いた。
「ど、どこでその名を聞いた」
「副頭領」
「なら、そいつが知ってた以上のことは俺も知らねえ」
「大男?」
「噂だけだ。刃も通らねえ化け物が、山の向こうで荷を選んでるってな」
祭りの街で副頭領から聞き出した断片と、同じ。
増えたのは——『山の向こう』という、方向だけ。
「支部は、あるのね」
ガンジが、黙る。
……その沈黙で、充分だった。
◇◇
ガンジを警備役へ渡したあと、二人は資料の照合を続けた。
夜半を過ぎても、答えは簡単には出ない。
補助帳には、同じ荷が二度記録されていた。
「数を水増ししている?」
「違う」
ユエンが二つの印を指す。
「一つ目は枯柳倉へ入った記録。二つ目は——支部側が、受け取った記録だ」
「なら、この間の日数で距離が分かる」
最短で四日。
人と荷を運び、見張りながら進めば六日はかかる。
——西津渡しの近隣では、ない。
シエンは地図へ円を描く。
「候補は、北西の古い輸送路」
「まだ二本あるわ」
「荷車についた赤土は、東側の道にはない」
「なぜ?」
「茶屋の馬車を見た。東から来た馬車の車輪には、黒い土がついていた」
ユエンが、地図の一本を消す。
残ったのは——北西へ伸びる、古道。
途中で川を離れ、山間の関所跡を通る道だ。
補助帳には、輸送役へ渡す合図も残っていた。
赤い布を荷車の左軸へ結び、関所跡の石門を夜明けに通る。十二日ごとに一度。
次の輸送は——十一日後。
シエンは日付の印を、指で叩いた。
「猶予はある」
ユエンは、古道へ伸びる線から目を離さない。
「相手が予定を変えなければ、だ」
「枯柳倉から警報は出ていない」
「今夜の荷が届かなければ、いずれ気づく」
——長くは、ない。
だが、闇雲に山へ入るよりはましだった。
シエンは黒い符を、補助帳の受取印へ重ねる。
形は似ている。九つの影。——その一つだけが、獣の爪のように太い。
シエンが、太い影を指した。
「ラゴウの印?」
ユエンは受取印の縁をなぞる。
「まだ分からない」
「ガンジは、大男が山の向こうで荷を選ぶと言った」
「噂と似た印だけでは、証拠にならない」
「でも、無関係とも言えない」
「——だから、確かめる」
シエンは地図を引き寄せ、古道の終点を叩いた。
「支部は、この道の先」
ユエンが、その指を中継点の印まで戻す。
「少なくとも、支部へ荷を渡す中継点がある」
「同じでしょう」
「違う。中継点から別方向へ運ぶ可能性もある」
(また、『可能性』……)
言い返しかけて、やめた。慎重に行くと決めたのは——自分のほうだ。
シエンは、本当はすぐに追うつもりだった。
夜のうちに古道へ入り、赤土の車輪跡を追う。
だが——脇腹の布は、また赤くなっている。頭痛も戻っていた。
そして、あの『偽の経路図』がある。
(仲介網は……追われることを、想定してる)
「過去の道の記録を、先に調べる」
シエンが言う。
ユエンが顔を上げた。
「意外だな」
「罠かどうか確かめるだけよ」
「では私は、朝になったら旧関所の記録を探す」
「私も行く」
「君は休む」
「またそれ?」
「君の案を採用した。次は君が私の案を採用する番だ」
「そんな契約はしていない」
「今から追加するかね?」
「……しない」
シエンは資料をまとめようとした。
——そのとき。
一枚の古い紙片が、補助帳の綴じ目から落ちた。
現在の記録ではない。紙は黄ばみ、端が焼けている。
そこにも、九つの影が押されていた。
だが——今の印とは、少し形が違う。
「古い印?」
ユエンが紙を光へ透かす。
「少なくとも、十年以上前だ」
紙片には、古道の名と、欠けた日付がある。
読める数字は、ひとつ。
——十一。
(十一年前とは、限らない)
月の十一日かもしれない。荷の数かもしれない。
それでも、指が震えた。
「この道は、いつから使われているの」
「明日、確かめる」
「今すぐ」
「シエン」
ユエンが紙片ではなく、シエンを見る。
「急げば答えが近づくとは限らない」
「待てば消されるかもしれない」
「だから私が記録を探す。君は——今夜、消えないように休め」
腹が立つ。
正しいから、もっと腹が立つ。
シエンは紙片を帳面へ挟んだ。
その隣へ、傷の入ったバンロの仮面を置く。
一人では、枯柳倉へ入れなかった。
ユエンがいなければ、偽の経路を追っていた。
ユエンが刃を受けなければ、顔を替える前に斬られていた。
信用は、していない。
——だが、もう『ただ使える男』だとも思っていない。
使うのではなく、互いの不足を埋める。
そのくらいには、考えを改めてもいい。
「夜明けまで」
シエンは横になった。
「それ以上は寝ない」
「善処する」
「『起こす』と言って」
「……起こす」
同行の契約を結んだときと同じようにユエンに言わせて、目を閉じる。
古道の先には、九影へ荷を渡す中継点がある。
その先に、支部がある可能性は高い。ラゴウが、いるかもしれない。
もし、古い紙片の『十一』が年を示すなら——。
姉を連れ去った者たちも、この道を通ったのかもしれない。
眠りへ落ちる直前、シエンは思った。
(次に借りる顔は……誰の、ものになるんだろう)




