81 旅行の計画
翌日の朝。香ばしく焼き上げられたパンと温かいスープの優しい香りが漂っていた。
セレナとリースが手際よく準備を整え、いつもの五人で賑やかな朝食の時間を迎えていた。昨日の重たい空気が嘘のように食卓には穏やかで温かな時間が流れている。
スープを一口飲み、ほっと一息ついたその時だった。
「ピンポーン」と来客を告げるチャイムの音が鳴り響く。
「あ、私が出ますね!」
セレナが素早く立ち上がり、小走りで玄関へと向かう。少しして、控えめな足音とともに食堂へ姿を見せたのはディッツさんだった。
「朝の忙しい時間、それも食事中にすまないな」
ディッツさんは少し申し訳なさそうに眉を下げながら、食卓を囲む俺たちに声をかけた。その表情には優しさが滲み出ている。
「いえ、気にしないでください。ディッツさんも朝食は……もう済まされてますよね」
俺が軽く応じると、ディッツさんは静かに頷く。直後俺とルカへと真剣な眼差しを向けた。
「昨日は色々と騒がしくなってしまったが……ユズル君、それにルカ君。体の具合はどうだい? 変わったことや、どこか痛むようなことはないだろうか」
彼の問いかけには、ギルドダンジョンの一件を乗り越えた俺たちへの深い労りと心配が込められていた。
その言葉を聞くや否や、ルカは勢いよく椅子から立ち上がった。
「ボクはもうすっかり元気だよ! ほら、この通りさ!」
ルカは天真爛漫な笑みを浮かべながら細腕をぐっと曲げて力こぶを作るポーズをとって見せた。
耳や尻尾も機嫌よくピンと立って揺れていた。
「俺も特に怪我などしていなかったので全く問題ありません。大丈夫です」
俺もルカに続いて報告する。実際、精神的な疲労こそあったものの肉体的なダメージは皆無だ。
しいていえば沢山走ったことくらいだ。
「そうか……それは本当によかった」
ディッツさんは安堵したように、長く息を吐き出して相好を崩した。
「いやー、あの時は本当にびっくりしましたよね。ボロボロになったルカさんをユズルさんが抱えてきて……今思い出してもヒヤヒヤしちゃいます」
ミリアが当時の緊迫した状況を思いふけるように、少しだけ肩をすくめながら苦笑いを浮かべた。彼女の言葉に、食卓の面々も「確かに」と小さく頷き合う。
少しの歓談を挟んだ後、ディッツさんがふと何かを思いついたように手を叩いた。
「そうだ。もしユズル君たちさえよければの話だが……しばらく大きな予定や急ぎの仕事がないのであれば、みんなで少し羽根を伸ばしてきてはどうだろうか?」
「羽根を伸ばす……ですか?」
リースが首をかしげ、不思議そうにディッツさんを見つめ返した。その仕草が小動物のように愛らしく、場がふっと和む。
「あぁ。実は『アルカディア』という街に我が商会の別荘があってね。アルカディアは美しい海と新鮮な魚介類が豊富な漁業の街なんだ。潮風を浴びて美味しいものを食べれば、今回の事件で強張った心と体も良いリフレッシュになると思うのだがどうだろう」
ディッツさんの提案に、食堂の空気が一気に華やいだ。
海。前世の日本では馴染み深いものだったが、この異世界に来てからはまだ一度も見たことがない。
魚料理も鮮度の問題か、焼き魚を使った料理しか食べていなかった。新鮮な魚料理という言葉にも強く惹きつけられる。刺身が食べられる……!?
「海!? ボク、海で泳ぎたい! 泳ぎたいよユズル君!」
真っ先に反応したのはルカだった。目をキラキラと輝かせ、俺の袖を引っ張りながらぴょんぴょんと跳ねるように喜んでいる。その無邪気な様子を見ているとこちらまで楽しい気分になってくる。
「海か……それもいいな。よし、せっかくディッツさんが提案してくれたんだ。リースもミリアも、そしてセレナさんも、みんなで一緒に泳ぎに行くか!」
俺がそう宣言すると、ルカとミリアが「やったー!」と歓声を上げる。トントン拍子に話が進んでいく中、セレナだけが少し困ったような、遠慮がちな表情を浮かべていた。
「あの……お誘いはすごく、本当にすごく嬉しいんですけど……私が家を空けてしまったら、この家のお仕事が滞ってしまいますし……私はお留守番を――」
責任感からか、セレナが辞退しようと言葉を紡ぐ。だがそれを遮るようにディッツさんが力強く背中を押した。
「セレナ君、そんな心配は無用だよ。君が休みを取っている間の家の手配はレイシア君にお願いするから気にしなくていい。君もこれまで一生懸命に働いてくれた大切な仲間だ。気兼ねなく、みんなと一緒に海を楽しんでおいで」
ディッツさんから直接そう言われ、セレナの目にパァッと明るい光が宿る。
「ほ、本当ですか!? ディッツ様ありがとうございます! 私、思いっきり楽しんできます!」
セレナは深々と頭を下げた後、満面の笑みを弾けさせた。
こうして、俺たち五人のアルカディアへの慰安旅行が決定したのだった。
◇ ◇ ◇
ディッツさんが満足げに微笑んで食堂を後にすると、室内に再び穏やかな空気が戻ってきた。パタンと扉が閉まる音を合図にするかのように俺たちは中断していた朝食を再開する。
冷めかけていたスープを一口飲み込みながら、俺は改めてこれからの旅行の予定を頭の中で組み立て直していた。
五人での長旅となると、やはり真っ先に考えなければならないのは寝床の問題だ。アルカディアの別荘にどれだけの寝具が揃っているかは今の時点ではわからないが、もし1日以上移動に時間がかかる場合は野営もしないといけない。移動中のトラックでの睡眠も含めて事前の備えは万全にしておきたい。
(そうだな……セレナさんの布団は、ストーンバレー行く時に使っていた俺のやつを使ってもらおう。俺は最初からトラックの収納スペースに入っていたあの布団を使えばいいか。それならミリアたちも気兼ねなく休めるだろう)
頭の中で荷物の割り振りを終え、パンを千切って口に運んだところでふとある一つの重大な疑問が脳裏をよぎる。
海に行く。それはつまり、青く澄んだ水面を眺めて満足するだけではなく、波打ち際ではしゃいだり、冷たい水の中で泳いだりすることを意味する。折角みんなで揃って海が有名なアルカディアまで行くのだから、当然海に入って思い切り遊びたい。
しかし地球ならいざ知らず、この異世界に海で遊ぶための水着は存在するのだろうか。もし布切れ一枚のような原始的なものしかなかったら、年頃の女の子たちを海に入れるわけにはいかない。
「なあ、ちょっと聞いていいか? この世界って、水着……つまり海や川を泳ぐ時に着用する専用の衣類ってあるのか?」
俺が少しばかりの不安を抱きながら問いかけると、パンを頬張っていたリースがこくりと喉を鳴らして笑顔を向けた。
「滅多に泳ぎに行かないので今は持っていないですが、水着自体はありますよ。ほら、ユズルさん覚えてますか? 前にユズルさんの服を買いに行った事があると思いますが、あのお店にも置いてますよ!」
リースの頼もしい返答に俺はホッと胸を撫で下ろす。どうやらこちらの世界でも水着という概念はしっかりと根付いているらしい。ならば悩む必要はない。善は急げだ。
「よし。それじゃあご飯を食べ終わったらみんなの水着を買いに行こうか。海を思い切り楽しみたいからな」
「「「「はーい!」」」」
俺の提案に対し、四人の元気で弾けるような声が食堂いっぱいに響き渡る。
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