80 一家団欒
自宅の扉を開けるなり、出迎えてくれたミリアが目を丸くした。
「ユズルさん、おかえりなさ……って、ええっ!? ルカさんに何があったの!? その血、それに服もボロボロじゃない……! 大丈夫!?」
無理もない。俺の背中に負ぶわれたルカは、あの不思議な黒髪の女性……恐らくくるみさんのおかげで傷そのものは完全に塞がっているものの、全身にべっとりとこびりついた赤黒い血と泥のせいで端から見れば重傷を負っているようにしか見えなかった。
パニックになりかけるミリアを落ち着かせるように、俺は静かに首を横に振った。
「詳しい説明は後でする。見た目は酷い有様だが怪我とかはもう完全に無いんだ。だから安心してくれ。……ただ、血と泥で随分と汚れちまってるから服の洗濯とルカの体を綺麗にしてやってほしい」
「怪我が無いなら良かったけど……分かった、任せて。お風呂のお湯、すぐに用意するよ」
ミリアはルカの無事を確認して安堵の息を吐くと、いつもの活発で頼りがいのある表情に戻り、俺の背中からそっとルカを受け取ってくれた。
ルカの細い体を支えながら、ミリアが不思議そうに小首を傾げる。
「ルカさんのことは私がしっかりやっておくから大丈夫だね。……それで、ユズルさんはこれからどうするの?」
「俺はすぐにギルドへ戻って報告しないといけないことがあるんだ。化け物が出た以上、放ってはおけないからな。……ミリア、ルカのことを頼んだぞ」
背後から微かに聞こえるルカの寝息に後ろ髪を引かれつつも、俺はミリアに彼女を預け、再び王都の中へと足を踏み出した。
◇ ◇ ◇
大急ぎで王都のメインストリートを引き返し、冒険者ギルドの扉を開ける。
ギルド内部はダンジョンから強制帰還させられた大勢の冒険者たちによる不満や混乱の声で騒ぎになっていた。そんな喧騒の中心である受付カウンターには、先ほど俺を裏の空き地へと案内した大柄な男――ギルド長のダルが居た。
彼は腕を組み、険しい表情で受付と何事か深刻そうに言葉を交わしていたが、入り口から入ってきた俺の姿を視界に捉えると、小さく顎を引いて頷いた。
「……戻ったか」
ダルは群衆を掻き分けて俺の目の前まで歩み寄ると、周囲の冒険者たちに会話を聞かれないよう、声を潜めて言った。
「ここじゃなんだ。お前がどうやってあの場から生還したのかも含め、ちょっと裏で詳しい話を聞かせてくれ」
そう言ってダルは背を向け、ギルドの奥にある通路へと俺を先導した。
案内されたのはギルド長室に併設されているであろう応接室だった。室内は非常に質素で、中央に置かれた重厚な茶色い机と、向かい合うように配置された黒い革張りのソファ、そして壁際に古い資料が詰め込まれた本棚が少し置いてあるだけのシンプルな造りだ。
飾り気のない無骨な部屋だったが、大きな窓からは傾きかけた西日が真っ直ぐに差し込んでおり、埃の舞う室内に長い影を落としていた。
「まぁかけてくれ」
ダルに促されるまま、俺は黒いソファに深く腰を掛けた。革の沈み込む微かな音が静まり返った応接室に妙に大きく響き渡った。
「一応、冒険者のみんなには『ダンジョン内で事故が起きたから暫く閉鎖する。再開時期は掲示板に張り出す』と伝えてある」
向かいのソファに腰を下ろしたダルは、腕を組んだまま重々しく口を開いた。
「パニックを避けるための建前だがな。……所で、一体中で何があったのか詳しく説明してくれ」
「はい。俺とルカ……相棒の彼女は9層でゴブリン相手に戦闘の訓練をしていました。そうしたら急に目の前に魔法陣が現れたんです」
俺は当時の状況を思い出しながら、可能な限り正確に言葉を紡いだ。
「その魔法陣の中から五体のレッドウルフと、一体の異常にデカいブラックウルフが出てきました。ルカの話ではブラックウルフは59層のボスだそうです。俺の魔法でレッドウルフはどうにか倒したんですが、ボスの突進を食らってルカが吹き飛ばされて……。ランクの高い彼女が足止めをしている間に、俺は命令されて一人で逃げてきました」
俺の説明を黙って聞いていたダルは、眉間の皺をさらに深く刻み込み、低い声で唸るように言った。
「急に目の前に、魔法陣が現れたか……」
ダルは何か思い当たる節があるのか、しばらく考え込むように視線を落とす。
やがて顔を上げると、ドアの方を向いて大声を張り上げた。
「ケーナ!」
(ケーナ……? 誰のことだ?)
俺が不思議に思ってドアの方を見つめていると、数秒後、コンコンと控えめなノックの音が鳴り、ガチャリと扉が開いた。
そこから入ってきたのは、いつも俺たちの受付をしてくれている見慣れた受付嬢だった。
「お呼びでしょうか、ギルド長」
俺があっけにとられて彼女の顔を見つめていると、俺の視線に気がついた彼女は少しだけ照れくさそうに笑いかけてきた。
「あ、そういえば自己紹介がまだでしたね。私、ケーナといいます。ユズルさん、これからもよろしくね」
軽く会釈をして挨拶をしてくれたケーナに対し、俺が呆然と頷き返しているとダルが立ち上がって彼女のそばへと歩み寄った。そして周囲を警戒するように声を潜め、彼女の耳元でボソボソと何事か指示を伝える。
それを聞いたケーナの表情がスッと真剣なものに変わり、彼女は「かしこまりました」とだけ短く答えると、足早に部屋を退出していった。
「有益な情報をくれたこと、感謝する」
ケーナを見送った後、ダルは再び俺の方へ向き直って言った。
「それと……お前のところの、猫人族の嬢ちゃんをほったらかしにしてるだろ。早く帰って面倒見てやりな。こっちで何か進展があったら、使いの者を家によこすから場所を教えてくれ」
「あ、はい。俺たちが今住んでいるのはアルベルト商会の本邸敷地内にある離れの家です」
「アルベルト商会……? お前、どえらいところに住んでるな……」
王都でも有数の大商会の名を聞き、さすがのギルド長も心底驚いたように目を見開いた。だが、すぐに小さく息を吐いて首を横に振る。
「……まぁいい、詮索はしない。それじゃ、嬢ちゃんのために帰ってやりな」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
ダルの気遣いに深く頭を下げると、俺は応接室を後にし、足早にギルドを飛び出した。西日に照らされた王都の街並みを、今度はルカが待つ家へ向かって真っ直ぐに駆け抜けていくのだった。
◇ ◇ ◇
急いで家へ帰ると、リビングではすっかり汚れを落とし、ゆったりとしたパジャマ姿に着替えたルカとミリアがソファに座ってのんびりと会話を交わしていた。
「ただいま。ルカ、体の具合はどうだ?」
俺が声をかけると、ルカはピンと耳を立てて振り返りいつもの笑顔を浮かべた。
「おかえり、ユズル君。うん、もうすっかり大丈夫だよ! ミリア君に綺麗に洗ってもらったからね」
「ミリア、入浴の手伝いありがとうな。助かったよ」
「気にしないでよ。とにかく、ルカさんが無事で本当によかったよ」
ミリアがホッと胸を撫で下ろすように笑った、その時だった。
「ユズルさん、皆さま! ご飯できましたよ~!」
リビングの扉が開き、エプロン姿のセレナが明るい声で夕食の知らせを伝えてきた。
全員で食卓を囲み、温かい料理に手を付け始めると、自然と話題は「今日ダンジョンで一体何があったのか」という事になった。
俺は食事を進めながら、9層で突如として魔法陣が現れたこと、本来なら59層にいるはずのボスであるブラックウルフやレッドウルフが出現したこと、そしてギリギリのところでギルドの転送陣から帰還したことを、要点を掻い摘んで説明した。
「……ギルドダンジョンでそんな異変、今まで一度も起きたことがないからすごく不思議だね」
俺の話を聞き終えたミリアが、少し不安そうに首を傾げる。配膳を終えて一緒に食卓へついていたセレナも、深く頷きながら胸の前で両手を組んだ。
「そして一番驚いた事があるんだが、ルカは覚えてるかわからないが俺とルカはくるみさんと会ったんだ」
耳をピンと立てて驚くルカと、目を丸くするミリアとセレナ、口元に手をあてがうリースと、みんな驚きを隠せないようだ。
「え、ボクくるみさんと会ったの!?」と聞かれたので、くるみさんの聖女としての魔法でルカが元気になれたんだと説明する。
「本人はくるみと名乗ってなかったけど、癒しの力があったことと『お花ありがとう』と言ってたから間違いないと思う。日本人特有の黒くて綺麗な髪だったしな」
「そうなのですね……お二人がこうして無事に戻ってきてくれて本当によかったです」
「ギルドダンジョンだから痛い思いをするだけで絶対に死ぬことはないって分かってるけど、流石のボクもあの時は冷や汗が出たよ」
ルカは苦笑いしながらスプーンですくったスープを口に運んだ。
「ああ。それにギルド長の話だと原因が分かるまでダンジョンは暫く閉鎖らしい。俺たちも、ダンジョン探索は暫くお休みだな」
俺の言葉に、ルカもミリアも「そうだね」と同意するように頷いた。
命の危機が迫るような強烈な緊張感から解放され、安全で温かい家の中で気の置けない仲間たちと囲む食卓。のんびりとした他愛のない会話と料理の味わいが、疲労した体と心にじんわりと染み渡っていくのを感じながら、俺たちの長い一日は静かに更けていく。
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