79 はじめまして。さようなら
俺は急いで9層の転送装置へ飛び込み、ダンジョンの1層へと帰還していた。
「はぁっ、はぁっ……!」
息を切らしながらダンジョンの外へ飛び出すと、入り口で警備と案内を担当しているギルド職員の元へ一直線に駆け寄った。
「おい! 9層で異常事態だ! 59層のボス、ブラックウルフが出現した!」
「なっ……9層にブラックウルフだと!? それが本当なら、取り返しのつかない大惨事になるぞ……!」
俺の報告を聞いた職員は顔面を蒼白にさせ、腰のポーチから筒状の魔道具を取り出した。空に向けて引き金を引くと、ヒュルルルという甲高い音と共に、緊急事態を知らせる鮮やかな黄色の信号弾が真上の空へと打ち上がった。
「頼む、私は他の冒険者が入らないように指揮しなければいけないから君は王都のギルド本部へ向かって、この事を直接報告してきてほしい」
「わかった」
血相を変えた職員に背中を押され、俺は頷くや否や王都へ向かって駆け出した。
(ルカ……! ルカ……!!)
全速力で石畳の道を駆け抜けながら、頭の中は彼女のことでいっぱいだった。どうか無事でいてくれ。死なないでくれ。そんな祈りにも似た感情を抱えながら、俺は肺が破けそうなほど息を切らし、ギルドの重厚な扉を乱暴に押し開けた。
「た、大変だ……!」
周囲の冒険者たちが驚いて振り返るのも構わず、俺は受付カウンターへと飛び込んだ。昨日パーティ登録をしてくれた受付嬢を捕まえ、9層で起きた異常事態とボスの出現を早口でまくしたてる。
内容を聞き終える頃には、受付嬢の顔からも完全に血の気が引いていた。
「す、すぐにお待ちください!」
彼女は席を立ち、奥の部屋へと駆け込んでいく。数十秒後、彼女と共にカウンターへ現れたのは厳格な顔つきをした大柄な男だった。
「……俺はこのギルドを取り仕切っているギルド長のダルだ」
男は初対面である俺を見据え、鋭い眼光で威圧感を放ちながら重々しい口を開いた。
「お前の報告は聞いた。だが、もしこれが虚偽の報告であった場合、冒険者として相応の重い罰を受けてもらうことになる。……間違いなく、真実だな?」
その探るような疑いの言葉に、俺の中で張り詰めていた糸がプツリと切れた。
「俺の仲間が一人でこれ以上被害者が出ないようにと必死に戦ってるんだぞ! こんな時に嘘なんかつけるかよ!!」
目上の人間に対する礼儀も忘れ、俺はカウンターに身を乗り出して本気で怒鳴りつけた。自らの命を懸けて囮となったルカの覚悟を、少しでも疑われたことがどうしても許せなかったのだ。
俺の必死な怒りに満ちた目をじっと覗き込んだギルド長はやがて小さく息を吐き、その厳格な表情を少しだけ和らげた。
「……すまない、落ち着け。お前の言葉が真実であることは分かった。すぐに緊急措置として、現在ギルドダンジョンにいる冒険者全員をこちらへ強制召喚する。こっちに来い」
百聞は一見にしかずか。ギルド長はカウンターから出て、俺をギルドの建物の奥へと手招きした。
急いで彼に連れられて裏口の扉を抜けると、そこには王都の中心部とは思えないほど広大な空き地が広がっていた。
ギルド長に続いて、数人のギルド職員たちが慌ただしく裏の空き地へ駆けつけてきた。彼らは広場の中心を囲むように配置につくと、全員で一斉に呪文のようなものを詠唱し始めた。
すると、何もない空き地の地面に巨大な魔法陣が浮かび上がる。直後、眩い閃光と共にダンジョン内にいたはずの無数の冒険者たちが一気にその場へ出現した。突然の強制転移に、広場はあっという間にどよめきと混乱の渦に飲み込まれる。
「ルカ! ルカっ!!」
俺は群衆を力任せにかき分け、大声で名前を叫びながら必死に彼女の姿を探した。しかし、ざわめく大勢の冒険者たちに視界を阻まれ、中々あの見慣れた姿を見つけることができない。
焦燥感で心臓が破裂しそうになっていたその時、広場の奥の方から、「おい、お前大丈夫か!?」という誰かの切羽詰まった大声が聞こえた。
嫌な予感が背筋を駆け抜け、俺は声のした方向へ駆け出す。
人だかりを無理やり押し退けた先。そこには、冷たい地面に力なく倒れ伏すルカの姿があった。
「ルカ……っ!」
その惨状に、俺は息を呑んだ。全身は赤黒い血と泥にまみれ、鋭い爪や牙でズタズタに引き裂かれている。いつもピンと立っている耳は力なく垂れ下がり、声を出すことすら難しいのか「ヒュー、ヒュー……」と浅く弱々しい呼吸を繰り返すだけだった。
「しっかりしろ!!」
俺は急いで彼女を抱き起こし、震える手でアイテムの中からポーションを取り出すとその口元へ流し込んだ。しかし液体の半分以上は力のない口から溢れ出てしまい、少しは飲み込めたはずなのに、彼女の青ざめた顔色や生々しい傷跡は一向に回復する気配を見せない。
どうして効かないんだ。ただのポーションじゃ追いつかないほどの重傷なのか!?
「誰か! 誰か回復魔法を使えるやつはいないか!? 頼む、こいつを助けてくれ!!」
俺は周りを囲む冒険者たちを見渡し必死に叫んだ。
しかし、俺の悲痛な叫びはただ空しく広場に響き渡るだけだった。冒険者たちは顔を見合わせたり、気まずそうに目を逸らしたりするばかりで、誰一人として助けの声を挙げる者はいない。重苦しい沈黙だけが、冷たく俺たちを包み込んでいた。
「お願いだ、誰かルカを助けてくれ!」
俺の悲痛な叫び声が広場に響き渡った、次の瞬間――
突如として周囲の景色が眩いほど光に包まれた。冷たい地面も、大勢の冒険者たちも全てが完全にホワイトアウトし、視界にはただ真っ白な空間と、俺の腕の中で倒れるルカの姿だけが残された。
「ユズルさんとルカさんですね、はじめまして」
光の奥から見たこともない黒髪の女性が静かに歩み寄ってきた。彼女は穏やかな微笑みを浮かべると、俺の腕の中で事切れる寸前のルカを見下ろす。
「私の力で彼女を癒して差し上げましょう」
俺は突然の出来事に何も出来ずにただその女性を見つめることしか出来なかった。
女性がルカのひどい傷口にそっと手を向けると、その手のひらから淡い黄色の光が溢れ出した。光が傷跡を包み込むと、奇跡のような光景が目の前で起きた。ズタズタに引き裂かれたルカの肉体がみるみるうちに塞がり、致命傷だったはずの傷が嘘のように消えていく。
「ふふっ、最後の力使っちゃいました」
彼女はふわりと笑った。どこか透き通るような、儚い声だった。
「もうこの世界に戻ってこれませんが”天国”でも応援しています。……お花、ありがとう」
その言葉を最後に、黒髪の女性の姿は光の粒子となって空間に溶け込み、幻のように消え去った。
それと同時に周囲を包んでいた光が徐々に薄れ、元の広場の景色がゆっくりと戻ってくる。
「……んっ……」
先程まで一言も喋ることすらできなかったルカが、小さく声を上げてゆっくりと上体を起こした。
「ルカ……!?」
「あれ……ボク、どうして……。痛みが、完全に引いてる……」
傷や痛みは癒えているようだが、流しすぎた血液までは戻らないらしい。ルカの顔色はまだ青白く、その体はふらふらと頼りなく揺れていた。
「ルカ……っ! よく、よく戻って来てくれた……!」
堪えきれなくなった俺は、大粒の涙をぼろぼろと流しながらふらつく彼女の体を思い切り強く抱きしめた。
「ひゃっ!?」と突然の抱擁に驚いたルカはしなやかな尻尾と耳をピンとさせたが、すぐに俺の温もりに安堵したのか、一瞬でふにゃふにゃと脱力して俺の胸に身を預けてきた。
「ちゃんと命令聞けて、偉いぞ……」
泣きじゃくりながら俺がそう伝えると、ルカは俺の背中にそっと腕を回し、優しくポンポンと叩いた。
「ほら、やっぱりキミは弟みたいなものじゃないか。ボクの見立ては間違ってなかったね」
いつもの少し皮肉っぽくも優しい、ルカらしい声だった。
血が足りず自力で歩くのも辛そうな彼女を前に、俺はそっと立ち上がり、静かに背中を向けた。背中にルカの細く軽い体温を感じながら、俺は彼女をおんぶをする。
歩みを進めながら、俺は先ほどの不思議な女性の言葉を思い出していた。
『天国』――特定の宗教が存在しないこの世界では、決して出てくるはずのない概念だ。黒髪の容姿と、お花への感謝。点と点が線で繋がり、一つの確信に至る。
……俺たちを助けてくれたのはくるみさんだったんだな。
彼女の残してくれた温かい奇跡に、俺は心の中で何度も「ありがとう」と繰り返した。
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