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78 イレギュラー

 王都の地下深く。

 陽の光が一切届かない湿った石造りの地下牢には、カビの臭いと淀んだ空気が重く立ち込めていた。静寂を破るのは、壁を伝って落ちる水滴の音だけ。

 そんな不穏な気配が漂う牢獄の鉄格子の奥で、薄汚れた服を着た初老の男が石の床に座り込んでいた。


「おやおや、久しぶりに会いに来たのですが中々惨めな格好しているではありませんか」


 突如、鉄格子の外から声が響く。

 足音など一切なかった。まるで最初からそこにいたかのように、冷酷な光を宿した目を持つ男が一人、暗闇の中に佇んでいた。口調こそ丁寧だが、その声色には他者の不幸を心底から嘲笑うような、底意地の悪い響きが含まれている。


「フン。なんとでもいえ」


 牢の中の男は、血走った眼で来訪者を睨みつけた。没落し、すべてを失ったというのに、その態度にはいけ好かない権力者特有の態度がねっとりと張り付いている。


「ワシはもうこの牢屋で一生を過ごす羽目になってるんだ。貴様がワシを助けてくれるというなら話は変わるがな」

「ちなみにどうして牢屋に……って愚問でしたね。心当たりが有りすぎて理由は分からな――」

「アルベルト家に関わるもの誰でも良い。殺せ。ワシをこんな目に合わせた罪を償わせろ」


 芝居がかった手振りで肩をすくめた男の言葉を、牢の中の男は憎悪に満ちた声で乱暴に遮った。鉄格子を力任せに掴み、ギリギリと歯を鳴らすその顔は、復讐心で醜く歪んでいる。


「私はそういうのに興味はありませんので」


 冷ややかな声で一蹴すると、暗闇に立つ男は懐から小さなガラス小瓶を取り出し、鉄格子の隙間から牢の中へと無造作に転がした。

 コロン、と乾いた音を立てて小瓶が床を転がる。中には、どす黒く濁った不気味な液体が入っている。


「……あ、そうです。もし全てが憎くなったらこれを飲んでください。もっとも、これを飲むと貴方の大切な人もみんな死んでしまいますがね。もちろん、貴方も死にますが。では」


 底知れない笑みを浮かべて言い残すと、男の姿が空間ごと歪んだ。

 直後、男の体は音もなくその場から完全に消失していたのだ。


 後には、不気味な小瓶を見つめる初老の男の荒い息遣いだけが冷たい地下牢に響き続ける……



 ◇ ◇ ◇


 翌日。俺とルカは再びギルドダンジョンへと足を踏み入れていた。

 順調に階層を重ね、なんとか食らいつくようにして到達した9層。薄暗い石造りの通路で、俺たちは四体のゴブリンを相手に戦闘の勘を養う。

 ヒヒイロカネの剣の重さも、ブーストの反動にも徐々に慣れてきた。これならいける、と確かな手応えを感じていた――その時だった。


――ブウンッ!


 突如として、俺たちの目の前の空間が歪んだ。空気が不快な振動を起こし、地面には白い光を放つ魔法陣が浮かび上がる。


「なんだ、これ……?」

「警戒して!」


 異常な事態に、俺とルカは魔法陣から1歩、2歩と離れるように後ずさりしながらその発光を息を呑んで見つめた。

 眩い閃光が弾けた直後、魔法陣の中から異様な巨体の獣たちが次々と姿を現した。燃え盛る炎のような赤い体毛と、鋭い牙を持つ狼型の魔物が五体。そしてその後ろには他の狼たちとは一線を画す、圧倒的な威圧感と巨体を誇る漆黒の狼が一体、低い地鳴りのような唸り声を上げていた。


「ルカ、こいつらは一体……!」


 俺が問いかけると、ルカの耳がピンと張り詰め、その顔からいつもの余裕な表情が完全に消え去った。


「……レッドウルフと、ブラックウルフ。本来ならあり得ないよ。レッドウルフはCランクダンジョンで出現する魔物だし、あのデカいブラックウルフに至っては、59層で出てくるCランクのボスだ!」

「59層のボス!? なぜそんな化け物が9層に……!」


 Cランク。いまの俺たちでは到底太刀打ちできない格上の化け物だ。恐怖で足が竦みそうになるのを必死に意志の力で押さえ込み、俺は瞬時に思考を巡らせた。まともに斬り合えば一瞬で肉片にされる。ならば前から準備していたあれを使うしかない。


「――トラック召喚!」


 俺は手のひらサイズのトラックを召喚する。

 現状6対2と数的不利だ。あのデカブツを狙うのも悪くはないと思うが、一旦敵の数を減らすのが定石だろう。


「いけっ!!」


 トラックからは貯めておいたファイヤーボールが次々と連続で射出された。空中に放たれた直後に元のサイズと威力を取り戻した炎の弾丸が隙も与えず、五体のレッドウルフめがけて無慈悲な弾幕となって降り注ぐ。

 

 ドゴォォォンッ!! と鼓膜を破るような轟音と共に凄まじい爆発と炎が巻き起こり、熱波が通路を駆け抜けた。まともに直撃を受けたレッドウルフたちは断末魔の悲鳴を上げ、黒焦げになりながら地に伏して瀕死の状態となった。


「やるじゃないか! 後はボクがやるよ!」


 好機と見たルカが、爆発後の砂煙の中へ凄まじい脚力で飛び込んでいく。彼女の手に握られたクナイが暗闇の中で冷たく閃き、一体、二体、三体、四体と、流れるような滑らかな動きで瀕死のレッドウルフの急所を貫き、確実にトドメを刺していく。


 だが、残る最後の一体にルカが刃を向けようとした、その瞬間だった。


「ルカ、危な――!」


 俺の悲鳴のような叫びと同時だった。爆発の煙を切り裂き、無傷のまま飛び出してきた巨大なブラックウルフが、信じられないほどのスピードでルカの死角から突進を仕掛けたのだ。

 ブラックウルフの体当たりをまともに受けたルカは、「かはっ……!」と短い苦悶の声を漏らし、そのまま薄暗い通路の硬い石壁へと激しく突き飛ばされてしまった。


「ユズル! 自分の魔力がどれだけ残っているか確認しろ!」


 土煙の中から肩を抑えて切羽詰まったルカの鋭い声が響いた。

 普段の「ユズル君」という親しげな呼び方ではない。余裕を完全に失った、紛れもない命令口調だった。そのただならぬ剣幕と気迫に圧倒されながらも、俺は慌てて自身の状態を確認する。先ほどのファイヤーボールはトラックにストックしていた分を放出しただけなので俺自身の魔力はほとんど手付かずのまま温存されていた。


「魔力残量ならまだ十分に余裕はある!」

「なら、君はすぐにブーストを掛けて全力で逃げろ」


 肩で呼吸を行いながら痛みを堪えて立ち上がったルカは、こちらを振り返りもせずに冷酷なまでの指示を出してきた。その言葉の本当の意味を理解した瞬間、俺の頭にカッと熱い血が上る。


「ふざけるな! お前だけをこんな所に置いて俺一人で逃げられるわけ無いだろ!」


 激昂して怒鳴り声を上げた俺に対し、ルカは油断なくブラックウルフから視線を外さないまま奥歯を噛み締めるようにして声を荒げた。


「昨日のザック君の話をもう忘れたのかい!? 冒険者の一番大事な仕事は、無事に生きて家に帰ることだ! それに……守るものが背後にいる時と、自分一人しかいない時では、戦い方が全く変わってくるんだよ!」


 ルカの悲痛な叫びが薄暗い迷宮の冷たい壁に反響する。圧倒的な実力差と死の気配を前にして、彼女は俺を守りながらこの格上の化け物と立ち回ることの限界を、誰よりも冷静に悟っていた。


「冷たい言い方になるけど今の君ではボクの足手まといだ。レッドウルフ相手だとファイヤーボールは有効打だったけどブラックウルフはファイヤーボールを当てれば勝てるという簡単な相手ではない。こんな本来いるはずのない59層のボスをここで食い止めないと、浅い階層で活動している他の冒険者たちが次々と危険な目に遭ってしまう。だからボクはこいつを絶対にここで倒さないといけないんだ!」


 ルカのしなやかな体に、かつての暗殺者としての、そして死線を潜り抜けてきたCランク冒険者としての凄まじい闘気が満ちていく。彼女は自らを囮にし、この場へとどまる覚悟を完全に決めていた。


「ボクのために、そして他の冒険者たちのために、君は逃げてくれ。……急げっ!!」


 その悲鳴のような声を聞き、俺は血が滲むほど強く唇を噛み締めた。

 悔しい。自分の無力さがどうしようもなく不甲斐ない。共に並んで戦いたいと心が叫んでいるのに、今の俺がここに残ればルカの動きを縛り、確実に彼女を死なせてしまうという残酷な現実がそこにはあった。レベルが11に上がった程度では、どう足掻いても覆せない絶望的な力量差だ。


 どうするべきか。俺は手のひらに爪が食い込むほど拳を固く握り締め、苦渋の決断を下した。


「……ルカの主人として、お前に命じる」


 震える声を必死に押し殺し、俺は彼女の細い背中へ向かって、はっきりと告げた。


「絶対に死ぬな。……生きて、必ず俺のところに帰ってこい」

「……ふふっ。了解だよ、ご主人様」


 背中越しに、いつものルカらしい不敵な笑い声が微かに聞こえた気がした。

 それ以上は振り返らず、俺は体内の魔力を限界まで引き出し、ブーストを全力で発動させた。両足で石畳を蹴り砕き、俺は視界を滲ませる涙を拭いもせず9層の転送装置がある方向へ、背後で交錯する刃の音と獣の咆哮を遠ざかる背中で聞きながらただひたすらに駆け出した。

読了いただきありがとうございます。

本編投稿は毎週月金の2日となります。

詳しい投稿日時については活動報告書を参照ください。


投稿時間については全編一括18時半となります

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