74 成果
薄暗い階段を下りきり、2層へと足を踏み入れた途端ひんやりとした空気が一段と濃くなったような気がした。通路の幅や壁の岩肌は1層とさほど変わらないが、遭遇する魔物の編成には明確な変化が現れていた。
「キュウゥ……」
岩陰から姿を現したのはスライムだ。しかし今度は一匹ではなく、二匹が同時に道を塞ぐように並んで跳ねている。
俺は焦ることなく腰からヒヒイロカネの剣を引き抜くと、流れるような踏み込みで一気に間合いを詰め、二匹の核を正確に斬り裂いた。ポン、ポンと小気味良い破裂音を立てて魔物が霧散し、後にはオレンジ色の魔石だけが転がる。
「順調だね。でもユズル君、深く潜れば潜るほど攻略が難しくなるから気をつけるんだよ」
背後からついてくるルカが、ピンと立てた耳をピクピクと動かしながら真剣な声色で忠告してくれた。
「ああ、油断はしないようにするよ」
ルカの言葉に頷きつつ、俺たちは警戒を怠らずに迷宮を奥へ奥へと進んでいった。今のところ特別困るような罠や強敵に遭遇することもなく、定期的に湧き出してくるスライムを難なく処理しながら階層を下っていく。
やがて4層まで辿り着いた頃には、敵の出現パターンはさらに激しさを増していた。通路の少し開けた場所に足を踏み入れた瞬間、四方向から同時に四匹のスライムが這い出てきたのだ。
俺は即座に右手を前に突き出し、体内の魔力の糸を指先へと束ね上げる。
「ファイヤーボール!」
手のひらから射出された炎の球が、まずは正面の一匹を爆発と共に蒸発させる。それと同時に地面を力強く蹴り出し、ヒヒイロカネの剣を上段から振り下ろす。真紅の刀身が空気を裂き、右側にいたスライムを豆腐のように両断する。残る二匹が体当たりを仕掛けてきたが、俺は最小限の身のこなしでそれを躱し、次々と核を砕いていった。
接敵から戦闘終了まで、わずか数秒の出来事だった。
「すごいすごい! ちょっと前に冒険者になったばっかりなのに、キミの成長度合いすごいね」
ルカが目を丸くしてパチパチと拍手を送ってくれる。身体能力の向上と魔法の習得、そしてヒヒイロカネの剣の圧倒的な性能。それらが上手く噛み合っている確かな実感があり、俺は少し照れくさくなりながら剣を鞘に収めた。
ふと疑問に思い、足元に散らばったオレンジ色の魔石を拾い集めながらルカに尋ねた。
「なぁ、このままずっとスライムの数が増えていくだけなのか?」
「うーん、スライムはここまでだったはずだよ。5層からゴブリンだったかな? ボクも最近ギルドダンジョンに来てないから、細かいところは覚えてないや」
ルカが尻尾を揺らしながら、記憶を探るように首を傾げる。ゴブリンか。過去に錆びた斧を腹に入れられたこともあるし、知恵を持った油断ならない相手であることに変わりはない。
そこで俺は、ギルドの掲示板に張り出されていた依頼書のことを思い出した。
「そういえば、スライムってギルドの常設依頼にあったよな。ここで倒したスライムも討伐数としてカウントされるのか?」
もしそうなら、このダンジョンはアイテムも手に入って依頼もこなせる最高の稼ぎ場になる。しかし、ルカはきっぱりと首を横に振った。
「カウントされないよ。常設依頼はあくまで、街の外の平和を維持するための依頼だからね。ギルドがダンジョン内で意図的に管理して出しているモンスターは対象外なんだ」
「なるほど、外の一般人の脅威を減らすための依頼ってわけか。理にかなってるな」
都合のいい話にはちゃんと裏があるということだ。俺は集めた大量の魔石をひとまずポケットにしまい込み、軽く息を吐いた。
「よし、結構倒したし、魔法と剣の感覚も十分に掴めた。今回は試運転だし、一度5層に降りて転送装置から地上に戻ろうか」
俺の提案にルカも異論はないようで、「さんせい!」と明るく頷いた。
再び暗い階段を下りて5層に足を踏み入れると、壁の質感がわずかに変化し、むせ返るような獣と土の匂いが強くなったように感じた。そのフロアに降りてすぐの開けた場所に、目当てのものはひっそりと佇んでいた。1層の入り口や、3層で見かけたものと同じ、青白い光を放つ転送装置のオブジェだ。
俺はその冷たい台座にそっと手を触れ、目を閉じて1層の入り口の景色を強く頭に思い描いた。
直後、視界全体が眩い純白の光に包まれる。
ふわりと体が浮き上がるような不思議な浮遊感のあと、次に目を開けた時には、俺たちはすでに1層の洞窟の入り口付近に立っていた。肌を撫でる冷気が、外から吹き込む生ぬるい風へと変わっている。
そのままルカと共に洞窟の外、太陽の光が降り注ぐ場所へ出た瞬間だった。
手首に巻かれていた「31」の数字が刻まれた青い腕輪が、まるで熱に当てられた氷のようにスッと溶け、淡い光の粒子となって空中に消えていったのだ。
「……本当に、ギルドダンジョンってすごいな」
魔法とシステムが完璧に融合したこの世界の途方もない技術力に俺は感嘆の溜息を漏らしながら、振り返って迷宮の入り口を見つめた。
◇ ◇ ◇
無事に屋敷へと戻った俺は、真っ直ぐに浴室へと直行した。
たっぷりと湯が張られた広い湯船にゆっくりと体を沈めると、思わず「ふぅ……」と深い吐息が漏れる。温かいお湯が、強張っていた全身の筋肉をじんわりと解きほぐしていく感覚がたまらなく心地よい。
湯気をぼんやりと眺めながら俺は今日一日の出来事をゆっくりと頭の中で思い浮かべた。
初めて足を踏み入れたギルドダンジョン。そこは想像以上に整備された不思議な空間だった。倒したスライムが落とした鮮やかなオレンジ色の魔石、青白い光を放つ便利な転送装置、そして、階層を降りるごとに着実に増していく魔物の数と配置。
魔法という新しい力を手に入れ、ヒヒイロカネの剣と組み合わせた戦闘は思いのほか上手くいったな。トラックの荷台を活用した魔法のストック戦術も、これからの大きな武器になるだろう。だが、ルカが言っていた通り、死なないとはいえ痛みも怪我も現実のものだ。慢心して雑な立ち回りをすれば、いつか必ず痛い目を見る。
「……ふぁ」
次なる攻略の算段を巡らせているうちに、ふと大きな欠伸が出た。
慣れない魔法の連続使用や、身体強化の反動、そして何より初めてのダンジョン探索という極度の緊張感。それらが温かいお湯によって一気に緩み、睡魔となって俺を襲い始めていた。
俺は湯船の縁に両腕を重ねて乗せ、そこを枕の代わりにするようにコトリと頭を預けると、俺の意識は心地よい湯の温もりの中へと完全に溶けていった。
一方その頃。
リビングにユズルの姿が見当たらないことに気づいたルカは、パタパタと尻尾を揺らしながら屋敷の中を歩き回っていた。やがて、キッチンで夕食の片付けをしているセレナの背中を見つけて声をかける。
「セレナ、ユズル君を見なかった? どこにいるか知ってるかい?」
丁寧に皿を拭いていたセレナは、振り返ってふわりと微笑んだ。
「ユズルさんなら、先ほどお風呂に行かれましたよ。ただ、少し時間が長いですから……お疲れで寝てしまっていないか、ちょっと心配ですね」
「あはは、確かに今日のユズル君はすごく頑張ってたからね。ちょっと様子を見に行ってみようか」
二人は連れ立って、脱衣所へと向かった。
扉越しに声をかけてみるものの、中からはちゃぷんという微かな水音が聞こえるだけで返事はない。ルカとセレナは顔を見合わせると、そっと浴室の扉を開けた。
真っ白な湯気が立ち込める中、広い湯船の縁に突っ伏すようにして、規則正しい寝息を立てているユズルの姿があった。案の定、完全に夢の中らしい。
「もう、ユズルさんったら……」
セレナは困ったような、けれどどこか慈しむような優しい笑みを浮かべ、音を立てないようにゆっくりと湯船に近づいた。ユズルの体勢は縁にうつ伏せになっているため、目のやり場に困るようなことはない。
彼女はためらうことなく手を伸ばし、お湯から出ているユズルの肩を、トントンと優しく叩いた。
「ユズルさん。……ユズルさん、起きてください」
「……んぁ? あれ、セレナさん……と、ルカ?」
肩を叩かれた感触と至近距離からの優しい声に、俺はゆっくりと重い瞼を開けた。ぼやける視界の先に、覗き込むような二人の顔があり、俺は一瞬で状況を理解してビクッと肩を震わせる。
「ご、ごめん! 俺、いつの間にか寝てたみたいで……!」
「ふふっ、お疲れなのは分かりますが、お風呂で寝たら溺れてしまいますよ? 風邪を引かないうちに、ちゃんと上がって休んでくださいね」
慌てる俺を、セレナさんはまるで子供をあやすかのように優しく諭した。ルカも「溺れたら大変だからね」と笑いながら頷いている。
「じゃあ、ボクたちは先に出てるね。ゆっくり着替えておいで」
二人が浴室を出て、脱衣所の扉がパタンと閉まる音が響く。さらに遠ざかっていく足音が完全に聞こえなくなるのを見計らってから、俺はようやくザバァッと湯船から立ち上がった。
手早く体を拭いて着替えを済ませると、ドッと押し寄せてきた本物の眠気に抗う気力もなく、俺はフラフラとした足取りで自分の部屋へ向かい、ベッドに倒れ込むようにして深い眠りについた。
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