73 ギルドダンジョン
翌朝、リビングには湯気の立つスープの香りが満ちていた。
俺はパンを口に運びながら、昨日ギルドで聞いたダンジョンの仕様を頭の中で復習していた。攻撃の方法や、魔力回復のタイミング、やられないための立ち回り……。そんなことを考えていたせいか、正面に座るリースが心配そうにこちらを覗き込んでいることに気づかなかった。
「……ユズルさん。さっきから難しい顔をしていますが、何か考え事ですか?」
リースの穏やかな声にハッとして顔を上げる。気づけばルカやセレナさんも手を止めて俺の返事を待っていた。
「あっと、ごめんな。昨日ギルドでダンジョンについて詳しく聞いたからさ。今の自分の実力がどこまで通用するのか、今日試してみようと思って考えてたんだ」
俺がそう口にした瞬間、それまでのんびりと耳を動かしていたルカの尻尾が、ピンと立った。彼女は眉間にシワを寄せ、いつになく真剣な声で問いかけてくる。
「ユズル君。ギルドダンジョンは確かに死ぬことはないけれど、怪我もするし痛みもあるよ。本気で切り裂かれれば意識が飛ぶほどの激痛だって味わうことになる。それでも、君は行くのかい?」
その問いは、単なる好奇心で踏み込むにはリスクが伴うことを突きつける、冒険者としての忠告だった。当然怪我をすれば血も出るだろう。しかし流石はルカだ。食事の場で血の話をするのはご法度だからかその手の話は出さなかった。
俺は一度パンを置き、ルカの瞳を真っ向から見据えて答えた。
「……ああ、行ってみたい。危なくなったらポーションもあるし、今の自分がどれだけやれるかを知っておきたいんだ。無茶をするつもりはないよ」
俺の返答を聞くと、ルカは「ん、ならよろしい」と短く一言だけ返し、満足げに尻尾をふりふりと左右に揺らした。
「もう、ユズルさんはすぐそうやって一人で危ないことを……。本当にお願いですから、無茶だけはしないでくださいね」
「私も同感です。せっかく怪我が治ったばかりなんですから」
リースとセレナさんから重ねて釘を刺され、俺は苦笑いしながら頷く。しかし、そこでルカが身軽に椅子から飛び降り、頼もしそうに胸を張った。
「安心しなよ。何かあったらボクが守るから。ユズル君、ボクも一緒に行くよ」
「ルカが来てくれるのか? それならこれ以上ないほど心強いな。ぜひ一緒に来てくれ」
彼女の近接戦闘能力の高さは折り紙付きだ。トラックの射出スキルとルカの連携があれば、生存率は格段に上がるだろう。
「私も……本当は一緒に行ってユズルさんのサポートをしたいのですが、今日はお仕事がありますから……。ルカさん、ユズルさんのことをよろしくお願いしますね。絶対に、無茶をさせないように」
「任せて。ボクの目が届く範囲なら、傷一つ負わせないよ」
リースから重い責任を託され、ルカは不敵に笑って応えた。
朝食を終えた俺たちは、必要最低限の装備を整え、万全の態勢で席を立つ。
「行ってきます!」
背後で見送ってくれる二人の心配そうな、けれど信頼のこもった視線を背中に受けながら俺とルカは力強い足取りで家の門をくぐり、未知の階層が待ち受ける西の森へと歩み出した。
◇ ◇ ◇
王都の西門を抜け、街道を少し外れた先。ルカの「あっちの茂みの奥だよ」という案内に導かれ、俺たちは獣道を進んでいった。
冒険者の拠点から管理されているダンジョンと聞き、俺の頭の中では石造りの塔のようなものを勝手に想像していた。しかし、実際に目の前に現れたのは、巨大な岩山に開いた、洞窟のような場所だった。
入口付近にはギルドの制服を身に纏った職員が二人、物々しい雰囲気で立っていた。俺たちが近づくと、ルカが手慣れた様子で声をかける。
「二人だよ。登録をお願い」
職員は無言で頷き、事務的な動作で俺たちの手首に青い腕輪をはめてくれた。俺の腕に光るのは、白く「31」という数字が刻まれた腕輪だ。
「この青い腕輪、ルカのも同じ数字だな」
「うん。これはパーティ・バングルといってね、同じ色と数字が書かれた腕輪同士が自動的にパーティメンバーとして紐付けられるんだ。これで万が一誰かが倒れても、一緒に外へ転送される仕組みになっているんだよ」
ルカの説明を聞きながら、俺たちはひんやりとした冷気が漂う洞窟の内部へと足を踏み入れた。
壁面には一定の間隔で松明が並べられており、その炎がゴツゴツとした岩肌を不気味に照らし出している。足元は平坦に均されているが、響き渡る自分たちの足音が妙に大きく聞こえ、いかにも「ダンジョンに来た」という実感が湧いてくる。
そのまま道なりに進むと、やがて道が二つに枝分かれしている場所に突き当たった。片方の道の脇に、周囲の自然物とは明らかに異質な、台座のようなオブジェが鎮座しているのが目に入る。
台座の中央には青白い光を放つクリスタルが埋め込まれており、まるで何かの儀式で使われる祭壇のようだった。
「ルカ、あのオブジェは何だ? すごく神聖な感じがするけど」
「ああ、あれはギルドダンジョン専用の転送装置だよ。1・3・5・7・9階のように、2階ごとに入口付近には必ず設置されているから、見つけたらとりあえず触れておくと良いよ。そうすれば、次回からはそこまで一瞬で飛んでこられるようになるんだ」
つまり奇数階ってことだな。さすがはギルド運営というべきか、非常に便利なシステムが整っている。俺が感心して納得していると、ルカは尻尾を軽く振って補足した。
「ま、一階を除いて一度でも自分の手で触って登録したことがある装置までしか行けないんだけどね」
俺はオブジェの冷たい表面にそっと手を触れさせた。淡い光が手のひらに吸い込まれるような感覚があり、どうやら無事に登録が完了したらしい。
「一階を除いてって言ったばかりなのに」と小声で笑いながらルカが呟く。色々ダンジョンに期待しているせいか、周りをしっかり見れていない証拠なのかもしれないな。改めて気を引き締めよう。
転送登録を終えてさらに奥へと進むと、通路の先からプルプルと震えながら、一匹のスライムが姿を現した。
外の草原で嫌というほど相手にしてきた魔物だ。俺は落ち着いてヒヒイロカネの剣に手をかけ、ルカが手を出すまでもなく、流れるような動作でスライムを斬り伏せた。
ポンッという音と共に霧散したスライムの残骸から、コロンと1つの石が転がり落ちる。
「……ん? 色が違うな」
拾い上げたのは、普段見かける透明な魔石ではなく、鮮やかなオレンジ色をした魔石だった。
「これがこのダンジョンの特徴だね。ギルドダンジョンの中にいる間は魔物が落とす魔石はすべてそのオレンジ色になるんだ。これをギルドに持っていけばトークンがもらえる仕組み。一応、個人売買で現金化もできるけど、あまり使い道がない代物だから基本的にはトークンに変えちゃったほうが良いね」
「ちなみに個人売買する人ってどういう理由で欲しがるんだ?」
「そりゃもちろんトークンが欲しい人向けさ。トークンで交換できるものには特殊なポーションがあるから、そういうのが欲しい人向けに商売してる人はいるよ。つまり、敵を倒してトークンを手に入れるんじゃなくて、お金を払ってトークンを手に入れたい人へ向けた商人だね。ただ、とてつもなく安く買い叩かれるから期待はしないほうがいい」
「なるほど」と頷きながら、ルカが教えてくれたオレンジ色の魔石を俺はアイテムバッグへしまい込んだ。
そういえば、ギルドの受付で聞いたトークン交換リストのことを思い出し、ふと疑問をルカに投げかけてみる。
「なあルカ。トークンで交換できるものの中に『ギルドダンジョン専用アイテムバッグ』ってのがあったよな。普通のアイテムバッグと何が違うんだ?」
「ああ、それね。そもそも、この世界でアイテムバッグを自前で買える人の方が珍しいのさ。なんせ、小さい家が一軒建つくらいには高いからね。安いものでも50万ゼル以上はするかな?」
ルカの言葉に、俺は思わず頬を引き攣らせた。そんなに高価なものを平然と使いこなしていたのか。
「だからギルドが救済措置として、このダンジョンの中で拾ったドロップ品限定で収納できる安価なバッグを用意して、トークンで購入出来るようにしているんだ。駆け出しの冒険者は装備を揃えるだけでも大変だからね」
「なるほどな。アイテムバッグを持っていない人のための物か……。あ、あそこにもスライムがいるぞ」
解説を聞きながら、俺は通路の角から覗いていた次なる獲物を発見し、間髪入れずにファイヤーボールを放った。火に呑み込まれたスライムは「キュイィ……」と鳴きながら消滅し、再びオレンジ色の魔石を残した。
「よし、順調だ。MPの消耗も今のところ気にならないな」
あっさりと戦闘を終わらせ、俺たちはさらに奥へと歩みを進める。やがて通路の行き止まりに、下へと続く暗い階段が見えてきた。
迷うことなくその段差に足をかけ、俺とルカはさらに深い二層へと降りていく……
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