70 おにごっこ
7月から火曜と金曜の週2投稿へと変更されます。
詳しくは活動報告書をご確認下さい
翌朝、朝食を済ませた俺は庭へと足を運んだ。
ひんやりとした朝の空気が肺を満たし、遠くから聞こえる小鳥のさえずりが心地よい。恐らく今日は俺にとって、異世界生活における大きな分岐点となる日だ。
周囲に誰の気配もないことを確認し、俺はアイテムバッグの中から昨日購入した『ファイヤーボール』と『ブースト』の二冊の魔法書を取り出す。
その本からは、ずっしりとした重みを感じる。
(本当に俺なんかに、魔法が使えるのだろうか……)
期待と不安が入り交じる中、俺は緊張で少しだけ強張る指先を動かし、まずはファイヤーボールの分厚い表紙をゆっくりとめくった。
――その瞬間だった。
ミリアが言っていた「不思議な感覚」という言葉の意味を、俺は身をもって理解することになる。突如魔法書が光だし、その光がスッと脳内へと直接溶け込んでくるような錯覚に陥ったのだ。
それは知識の詰め込みというよりも、まるで「最初からその魔法を使いこなすのが当たり前だった」という本能的な確信が上書きされるような、なんとも奇妙な感覚。
続けてブーストの魔法書を開くと、同じように光が俺の中へと流れ込んできた。
どうやら無事に、2種類の魔法を完全に習得することができたようだ。
俺は昂る気持ちを抑えつつ、自身のステータス画面を呼び出して確認する。
ウィンドウにはしっかりと新たに習得した魔法名が刻まれており、今まで0だったMPの項目には『45』という数値が表示されている。レベルごとに5ずつ増えるのだろうか?
(よし、俺にも魔力はちゃんとある。数値化されているなら管理もしやすいな。さっそく実戦で試してみるか)
俺は庭を出て王都の南門へと向かい、スライムが現れる草原へと足を踏み入れる。
少し歩くと、草むらの影でプルプルと飛び跳ねるスライムを一匹発見した。
絶好の的だ。俺はスライムに向けて右手を突き出し、頭の中で炎の球を強くイメージしながら自信満々に呪文を唱えた。
「ファイヤーボール!」
……何も起きない。誰も見てないと分かっているが少し小っ恥ずかしくなって俺は頭をポリポリと掻く。
スライムはこちらに気づかずにのんびりとした動きで跳ねているだけだ。
「あれ? それじゃあ、ブースト!」
続けて身体強化の魔法も試してみたが、やはり以前レイシアさんにやってもらったときのような、体に力があふれるような変化は一切訪れなかった。魔法書を読んだことで「使い方の知識」は身についたが、それを現実世界に引き出すための決定的な何かが欠けているらしい。
(どうしてだ……? あ、そうか。ただ言葉に出して叫ぶだけじゃ駄目なんだ。たしか、体内にある『魔力』そのものを感じて、それを練り上げるんだったな)
俺は突き出した手を一旦下ろし、目を閉じて深く深呼吸をした。
かつて魔力操作の感覚を掴もうと練習した時に感じた、あのエネルギーの揺らぎを探る。
――すると、驚くべき変化に気が付いた。以前まではか細く、見失ってしまいそうなほど頼りなかった「魔力の糸」が、今ははっきりと、太く力強く全身の血管を沿うように巡っているのが感じ取れたのだ。
魔法を覚えたからだろうか。目で見えるわけではないが、その鮮やかな白い魔力の流れが手に取るように理解できる。
(これだ。このエネルギーを指先に集め、炎という形に変換するんだ……)
俺は再び目を見開き、スライムへ向けて手のひらをかざした。体中を巡る魔力の糸を束ねて右腕へと誘導し、一気に解き放つ。
「ファイヤーボール!」
今度は明確な感覚があった。俺の手のひらから鮮やかなオレンジ色の炎が勢いよく飛び出した。ファイヤーボールは一直線に飛び、スライムのド真ん中へと直撃した。
キュイイィィ という声と共にスライムは一瞬で蒸発し、後には小さな魔石だけがコロンと転がった。
(すごい……! これが、俺の魔法!)
手のひらに残る微かな熱と、確かな手応え。俺は興奮冷めやらぬまま、すぐさま体内の魔力を全身の筋肉や骨格へと行き渡らせるイメージを構築し、もう一つの魔法を紡ぎ出した。
「ブースト!」
直後、全身の細胞が弾けるような高揚感と共に、体が羽のように軽くなった。試しに草原を駆けてみると、普段の自分とは比べ物にならないほどの爆発的なスピードで景色が後方へと飛んでいく。足が地面を蹴るたびにバネのように体が押し出され、それだけでなく、どれだけ走り回っても息が全く上がらない。筋力だけでなく、持久力や疲労への耐性まで劇的に向上するという、凄まじい効果だった。
それから俺は、日が少し高くなるまで草原に留まり、スライムを相手に魔法のテストを繰り返した。
ブーストの消費MPは3で、持続時間5分。
ファイヤーボールの消費MPは5。
そして、消費したMPは5分につき1MPのペースで自然回復していくということがわかった。
(なるほど。無尽蔵に連発できるわけじゃないのが少し残念だ)
想像以上の成果に胸を撫で下ろした俺は、足取りも軽く王都の自宅へと戻る。
◇ ◇ ◇
門をくぐって庭へ入ると、そこにはじょうろを持って花壇に水やりをしているセレナさんと、その隣で楽しげに話をしているルカの姿があった。
「ただいま、二人とも」
俺が声をかけると、セレナさんはじょうろを持った手を止めてお辞儀をし、ルカは頭の上の耳をパタパタと揺らして駆け寄ってきた。
「おかえりなさい、ユズルさん!」
「おかえり、ユズル君。朝からどこに行ってたの?」
「ちょっと南門の外にある、スライムが出てくる草原までな。そこで色々試してたんだ」
「スライムの草原……もしかして、魔法を覚えられたんですか!?」
俺の言葉に、セレナさんがパッと表情を輝かせて驚く。ルカも目を丸くして身を乗り出してきた。
「ああ。ブーストとファイヤーボールを覚えることができたよ。……そうだ、ルカ。ちょっと鬼ごっこやろうぜ」
「おにごっこ……ってなんですか?」
聞き慣れない単語に、セレナさんが不思議そうに小首を傾げる。
「追いかける人と逃げる人に分かれて、ひたすら逃げている人を追いかけてタッチする遊びなんだ。本来ならタッチされた人が鬼に変わって、鬼だった人が逃げる人に変わる……という単純なルールだ」
俺がルールを説明し終えたタイミングで、屋敷の扉が開いた。
「なんだか楽しそうな声が聞こえましたが、どうしたんですか?」
声の主はリースだった。俺たちが庭で盛り上がっているのを聞きつけて、様子を見に来たらしい。
「ユズル君が魔法を覚えたから、今から『鬼ごっこ』っていう遊びをやるんだ! なんだか面白そうだし、ボクやるよ!」
「魔法覚えたんですね、おめでとうございます!」と拍手しながらぴょんぴょんとジャンプする姿を見て少し気恥ずかしくなった。
そしておにごっこにやる気を出したルカが尻尾をピンと立てる。
「よし。逃げる範囲はこの庭の中限定で、屋根とか登ったりするのは無しな。ルカは魔法無しで、でも本気で逃げてほしい。俺はブーストを使って、どこまで動けるか試したいからさ」
「わかった。ボクを捕まえられるかな?」
ルカが屈伸をして準備運動を始める。俺も軽く体をほぐし、向かい合った。 庭の端に立ったセレナさんが、楽しそうに右手を上げる。
「それじゃあ、いきますよー! ……始め!」
セレナさんの合図と共に、ルカが弾かれたように走り出した。Cランクというだけあって、魔法無しでも目にも留まらぬ速さだ。
俺は焦って追いかけることはせず、その場に立ち止まり体内の魔力を練り上げた。
「ブースト!」
呪文を唱えた瞬間、全身に力がみなぎる。
俺は大きく地面を蹴り出し、ルカの後を追った。 ブーストのかかった足は想像以上に軽い。あっという間にルカの背中を捉えたが、ルカはひらりと身軽に横へ跳び退き、俺の手を躱した。
そのままスルスルと距離を取り、庭の壁際にピタリと止まって、じっと俺の動きを観察するように見つめてくる。
(なるほど、やっぱり直線的な動きじゃ捕まえられないか。なら……!)
俺は本気を出して、思いっきり地面を蹴り上げ、猛ダッシュを仕掛けた。
――ドゴォッ! という鋭い踏み込みの音が鳴り響き、景色がねじ切れるようなスピードで後方へと流れていく。
(えっ!? 速っ!?)
さっき草原で試した時よりも力が乗ったのか。あまりの異常な速さに、俺自身の認識と制御が完全に追いつかなくなってしまった。
目の前には、ルカを通り越して石造りの壁が猛スピードで迫ってくる。ブレーキをかけようにも、足が止まらない。「と、とまらない!」叫んだ直後、ドカーーーン! という凄まじい轟音と共に、俺は庭の壁に思いっきり激突した。
「「「ええっ!?」」」
あまりの衝撃と音に、三人が驚きの声を上げる。 ブーストのおかげか、思ったより痛くないことに驚いた俺は壁からずり落ちて地面に倒れ伏した。……いや、やっぱ痛え。
「ユズルさん!! しっかりしてください、今すぐポーションをかけますから!」
真っ青な顔をしたリースが慌ててポーションを持ってきて、急いで俺の体に振りかけてくれた。 ひんやりとした液体が染み込み、みるみるうちに痛みが引いていく。
(ブーストの全力ダッシュ、しばらく封印だな……)
回復していく体を感じながら、俺は心の中で深く反省したのだった。
読了いただきありがとうございます。
本編投稿は毎週月水金の3日、閑話投稿日は前話の翌日投稿となります。
詳しい投稿日時については活動報告書を参照ください。
投稿時間については全編一括18時半となります




