62 明日の予定
「にほんご……?」
ミリアとノアが顔を見合わせ、まるで意味が分からないというように首を傾げる。
無理もない。この世界に存在しない単語を出されてすぐに理解できるはずがない。しかし、ルカだけはハッと何かに気がついたように目を丸くして俺を見た。
「日本……あ、もしかして、キミがこちらに来る前の世界の言語かい?」
「そうだ。間違いなく日本語だ」
ルカの鋭い推察に俺は頷く。ミリアやノアも「あ、だから日本ってなんか聞いたことあったんだ!」と納得している。
この世界に来てから俺は、女神から与えられた翻訳スキルのおかげでこちらの言葉を不自由なく話し、読むことができていた。だが目の前の石の扉に刻み込まれたこの文字は違う。
「翻訳スキルが働いて読めてるわけじゃない。そんなものが無くても脳が直接この文字の形と意味を理解してるんだ」
異世界の、それも人が立ち入らないような遺跡の最深部に自分の故郷の言葉が刻まれている。その底知れぬ事実に背筋が冷たくなるのを感じていると、ノアが一歩前に出て扉を見上げた。
「なら教えてほしいっす。これ、一体なんと書いてあるっすか?」
暗闇の中で揺れる松明の明かりが、ノアの真剣な眼差しを照らし出す。
俺はもう一度扉に刻まれた文字列へと視線を戻し、そこに記されたメッセージを一言一句口に出して読み上げた。
「もしこの文字を読める人が居るならば、そして貴方が平和を望むのであれば、この扉は開けないで。詳細はカルディアにて手記を残す。村長宅を訪れよ……そう書かれている」
静まり返った遺跡の奥底に、俺の声だけがやけに不気味に響き渡った。重い静寂が数秒だけ場を支配する。
「カルディア……村長宅って、それじゃあバルドさんの家にその資料があるってことなのかな?」
自身の故郷である村の名前、そして顔馴染みである村長の名前が出たことでミリアが驚きの声を上げる。
「おそらくそうだろうな。だがここからカルディアは流石に少し遠い。トラックを飛ばしても往復で12時間は欲しいところだ。カルディアに行くなら明日だな」
俺は頭の中で時間を素早く計算しながら答えた。
「なるほどっすね。ちなみにユズル君、この文字が解読されたことは学会に公表したほうがいいっすかね?」
ノアが探るように問いかけてくる。しかし、俺は即座に首を横に振った。
「いや、下手に動くのはやめておこう。『平和を望むのであれば』なんて物騒な警告文が書かれている以上、この扉の奥には途方もない危険が眠っている可能性が高い。すごく慎重に動かないといけない事案だ」
言葉の通じない異世界で、あえて同郷の者にしか読めない文字で警告を残した何者か。その意図を無下にすべきではない。情報が漏れて不用意にこの扉を開けようとする者が現れれば、取り返しのつかない事態を招く恐れがある。
「りょーかいっす。今回は目的だった天界の扉について書かれてるわけではなかったみたいっすけど、これはこれで顛末が気になるっすね」
「ああ、全くだ。なら、善は急げだ。明日の朝一でカルディアに向かうか」
俺の提案に、三人が力強く頷く。
予期せぬ日本人の痕跡と、世界を揺るがしかねない恐ろしい警告文。数々の謎と一抹の不安を胸に抱えながら、俺たちは元来た一本道を戻る。
◇ ◇ ◇
トラックに乗り込み、王都の北門まで戻ってきたところで、俺は三人に問いかけた。
「明日、一応カルディアに行ってみようかと思うんだがみんなはどうする?」
「私は村長さんの家に案内するからついていくよ!」
「ボクも護衛としてついていくよ。何が起こるか分からないからね」
ミリアとルカが即座に頷く中、ノアは少しだけ残念そうに肩をすくめた。
「自分は今日だけ休みを取ったから、明日は仕事に戻るっす。ここで別行動っすね」
「分かった。じゃあ何かあったらまた報告しに行くわ」
「すー!」
ノアと別れて解散した後、俺たちは家に戻って晩御飯を食べた。
食卓を囲みながら、俺は今日遺跡で見かけた日本語のことについて留守番をしてくれていたリースとセレナの二人に伝える。
「えっ……!? それって、つまり……」
「ユズルさん以外にも、その……日本から来られた方がいるということですか!?」
リースが驚きで目を丸くし、セレナも信じられないといった表情を浮かべている。
「ああ。俺以外にも日本から来た人間がこの世界にいる、あるいは過去にいたという決定的な証拠になる。そのあたりも調べようと思って明日はカルディアへ行くことにしたんだ」
「カルディアは確か……ミリアの故郷ですよね? なぜそちらへ?」
不思議そうに小首を傾げるリースに、俺は遺跡での出来事を付け加える。
「あの扉に書かれていた文字に、『詳しくはカルディアの村長宅に手記を残す』みたいなことが書いてあったからな」
「なるほど、そういうことでしたら、道中で軽くつまめるようにサンドイッチのお弁当を作っておきますね!」
事情を察したセレナが、ぱっと表情を明るくして提案してくれた。
「ありがとう、二人とも。明日も一日家を空けちゃうけど、よろしく頼むな」
二人の元気な返事を聞き届けた後、俺は一日の疲れと高ぶる感情を落ち着かせるため一人でゆっくりと風呂に向かった。
温かい湯船に浸かりながら、俺は真っ暗な遺跡の奥で見たあの文字を思い出す。平和を望むなら扉は開けるな。そして、カルディアに残されたという手記。
明日あの村で俺を待ち受けているのは、一体どんな真実なのだろうか――。
◇ ◇ ◇
翌朝。俺たちはいつものように朝食の時間を過ごした。
食卓にはリースとセレナの料理が並ぶ。それをしっかりと平らげた後、俺とルカ、そしてミリアの三人は出発の準備を整えた。
「いってらっしゃいませ、ユズルさん! ミリアもルカさんも、お気をつけて!」
「はい、これお弁当のサンドイッチ! お腹が空いた時に食べちゃってね」
玄関先で元気よく手を振るリースとセレナに見送られ、俺たちは王都の東門へと向かった。
活気あふれる朝の東門を抜け、人目のつかない街道の脇でいつものようにトラックを召喚する。あの謎のメッセージが示す目的地――カルディアの村へ向けてトラックを発進させた。
窓の外を流れるのどかな景色を眺めながら、車内では自然と他愛のない話で溢れた。
ふとアイテムバッグにしまってある昼食のことが頭をよぎり、俺は助手席の二人に声をかけた。
「そういえば、昼飯のことなんだけどさ。セレナが持たせてくれたサンドイッチだけで足りそうか?」
二人の顔を交互に見やりながら、俺は言葉を続ける。
「もし足りなさそうだったら、どこか途中の村に寄るか、カルディアに着いてからお店で食料を買わないといけないなと思って」
すると、助手席の窓枠に肘をついて景色を楽しんでいたミリアが、パッと顔を輝かせて振り返った。
「それなら、私がお母さんに頼んで一緒に作るよ!」
「え? いや、作ってもらえるのは凄くありがたいんだけど……今回は何の連絡もなしの突然の帰省になるんだぞ? 急に押しかけてリコさんの迷惑にならないか?」
俺が本気で心配して尋ねると、ミリアは全く気にした様子もなくケラケラと笑った。
「平気平気! もし家の材料が足りなければ、カルディアの露店で私が買ってくるから大丈夫だよ!」
「……そっか。ならお言葉に甘えさせてもらおうかな」
リコさんの作る手料理――特に、あの心温まる和食の味を思い出し、俺は素直にミリアの提案に乗ることとした。
(……ん? 一緒に……? ということはミリアの手料理でもあるのか。それはとても楽しみだな)
すると、二人のやり取りを聞いていたルカが、得意げに胸を張って身を乗り出してきた。
「もし近くに川があれば魚を捕ることだけは得意だからボクに任せておくれよ! あっという間に大漁さ!」
猫人族としての本領発揮といったところか。自信満々にふんすと鼻を鳴らすルカの姿がなんとも微笑ましい。
「ははっ、二人とも本当に頼りになるな」
俺が心からの感想を口にすると、ミリアとルカは嬉しそうに顔を見合わせて笑い合う。
これから向かう先にはあの遺跡で見た文字列にまつわる重大な謎が待っている。だが、今はただ、このトラックの車内を満たすほのぼのとした温かい空気がとても心地よかった。
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本編投稿は毎週月水金の3日、閑話投稿日は前話の翌日投稿となります。
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