14
シグレは王都中を駆け回っていた。それはもちろん、死喰の討伐というのもある。しかし彼にとってもうひとつ重要なことが起こってしまった。彼女が、琥珀がどこにも見当たらない。気配が遠い。何処か屋内にでもいるのだろうか、薄っぺらくしか感じない。
怪物の駆逐は終わり、ひと段落する暇もなく彼女を探しに行こうと再び町中を駆け回っていた。そこにまたひとつ頭を抱える出来事が。
ドゴォォオオン!!!
恐ろしいくらいの爆音と、爆風。地鳴りがなかなか止まない。シグレは何とか踏み留まって周囲の安否を確認する。数秒おいてから、王城近くで悲鳴があがった。何事かと、本来とは逆向きに踵を返して、レンガ道をひたすら走った。すれ違う人々の恐怖と焦りに満ち満ちた顔がこれから先のものを想像させられる。もう少し、そう言い聞かせながら、スピードを速めた。
何やら騒がしくなってきた。そして再度爆音が鳴り響く。すぐそこが音源のせいか、思わず耳をふさぎたくなる。ビリビリと奥を刺激した。
「た、助けてぇ!!!」
「いやぁぁああ!!」
瓦礫が散乱してる。広場の象徴である噴水は無様に崩れ去ってしまっている。その近くの民家や、宿屋、周囲のものはほとんど壊されてしまっている。
よく見れば人々を襲っているのはアウリゥの騎士だ。銀色の鎧をまとい、腰にある剣を鞘から抜き出し、我が物顔でそれを振るう。その状況から一瞬で推測を始める。あらかたあの騎士らはオーベル派閥の者だろう。
そしてさっきこちらへ向かう途中小耳にはさんだことだが、オレンジ髪の少女が城を占拠し、ノーラともう1人少女が監禁されていると聞いた。
派閥の騎士らはそのオレンジ髪の少女の指示で事を起こしているに違いない。派閥以外は殺せ、といった感じの内容であろうとまでシグレは推測した。あとひとつあるのだが、ノーラと一緒に監禁された少女、多分コハクだろう。
「ほんとよく捕まるよなぁ」
やれやれ、と首を横に振ってみせる。だったら、そこまで状況が読めたなら、目の前のことが最優先事項だ。コハクなら、あいつなら大丈夫だ、と感じるのは、長年一緒にいた信頼からだろう。いや、あの凶暴さなら、と言ったほうがよかろうか。しかし、こんなことを思っていれば、シグレ自信が彼女にどやされるに違いない。
かつての同胞がこの国を、このアスカリドの街を壊していく。レトロな民家やクリーム色の煉瓦にはヒビが入ったりせっかくの美しい街並みが台無しになってしまった。
ヒュンッ。勢いよく何かが飛んできた。間一髪でそれを避ける。少しだけ髪の毛が切れてしまった。もう少し遅ければ頬を掠めていたかもしれない。投げられた方を見れば複数、人影がある。また来たのか、とめんどくさいという感じにため息が出た。
さっきまで暴れていた兵士を、やっと、縄で縛ってしまったばっかりだというのに。こうも増えていくのであれば、埒が明かない。投げ出したくもなる。
「ほらよ、っと……。だらしないねぇ、俺もう騎士じゃないんだけどなぁ」
「! ぐぅっ…」
次々倒れていく、鎧をまとった兵士達。シグレは全くと言っていいほど相手に隙を与えない。彼の言うように、もはや騎士ではないのだが、現役さながらのその立ち居振る舞いだった。華麗に、ばったばった、と敵を倒す姿は、ケルンヴェステンだった頃を、3騎士だったあの頃を思い出させる。
思ったよりか敵の数は少なく、なんとか暴動を鎮めることができた。けれど屍の山ができるほどの人数はいる。屍といっても気絶してしまっただけである。
そして意識がある兵士を探し出し尋問しようというところだった。
「おい、今城にいるやつは誰だ」
「し、知らないっ!」
「本当か。嘘は御法度だよ。分かってるよねぇ」
「嘘じゃない! 国王の意志を継ぐ者、としか聞いてない!」
なんだそれ、と疑問に思う。
「そいつの名は」
「た、確か、アリサ、とかいう名前、だったよ…」
「ふーん。まぁ、どっちにしろ全て終わればお前らのしたことは御法度だけどね。王族に…国に背いたんだからなぁ」
悪人ばりの不敵な笑みを浮かべる。寝転がったままの兵士も顔を青ざめてしまっている。それでもその顔を崩さない。彼が怒ったり、怒り狂ったりすることはまずない。だから今の彼の心情もよくは知りえないが、きっと腹立たしいとは思っているのだろう。
「お前らの行為はすべてを敵に回したんだ」
「ふん、俺らにはまだ」
「オーベルがいるとでも言うんだろ。馬鹿だなお前ら。もはや捨て駒だよ君らは。ただいいように使われるだけの、ね」
そんなわけない、と喚き散らす。どこにそんな余力があるのだろうかと不思議に思う。急所をついたはずだ。
「あいつは、人間じゃない。地上の人間じゃない……まぁ、その目で見ればいい。そしてお前達が、この地の民に行ったことを懺悔しろ…罪は重いぞ」
冷たく氷のように鋭い声だったが、ひどく悲しくも聞こえるのは何故だろうか。
シグレはもう1度、兵士を気絶させるとその場をあとにした。まだ暴動は続いている。おさまる気配がない。早く、早く、と急かされている気分だった。
シグレは冷静だった。淡々にという言葉が当てはまる。作業をするように、次々と制圧していく。その目に一切の迷いはない。彼はわかっている。今何をすれば最善なのか。慌てふためくことなく、着実に目的を果たす。それが彼の強さでもある。否、彼は強いのだ。
ふと上空を見上げれば、開いてたはずの気味の悪い目が閉じているのを確認した。
不吉な予感はまだ拭いきれてはいなかった。
〇●●〇
「ツバキさん!」
ホタルがそう叫ぶ。ツバキが振り向いた時にはもう遅かった。
王城から西に数百メートル。閑散とした市場に彼らはいた。複数の騎士が倒れて血を流している。もう複数の騎士が捕縛されている。そして、あろうことか願ってもいない悲劇が起こる。
ざくっ。ぐちゃ。鈍い音が嫌でも耳に入る。状況を把握するのにいつも以上の時間がかかってしまう。それもそうだろう。目の前で起きていることはとても受け入れ難いことだ。
ホタルの腕に突き刺さった異物。それは鋭く銀色に光ってはいるが、赤い斑点が所々目立っている。彼女の腕から今も垂れ流しになっているものに違いなかった。
一体、ここまで把握するのにどれくらいの時間がかかっただろうか。何時間にも思えたその瞬間。剣が彼女の腕から引き抜かれるときもスローモーションに見えていた。はっきりとその金色の目に焼き付いた。
ホタルは苦しげな声を上げる。その場に崩れ、出血の止まらない手を抑えている。
「おい、お前…」
「だ、大丈夫ですっ。これくらい治ります」
彼女の言う通り、その傷口は再生を始めた。細胞がうねりをあげながらみるみるうちに傷を塞いでいく。貫通していたためそれなりに時間はかかってしまうようだ。
「あーあ、ツバキくんダメだよ、余所見は。君のせいだ」
あの時の声がそう言った。余所見をするな、と言った声。その声の主は責め立てるようにツバキを非難した。
ホタルを見ていた視線を少し上へと移動させる。彼女はツバキ脳での中で同じように声の主へ視線を移した。男が悠々と立っている。見覚えのある姿だ。
忘れようにも忘れられない。
ずっと、今までずっと毎日顔を見ていたから。
今の今まで仲間だったから。
____彼は父親だから。
自分と同じ血の流れているその男。ツバキはどちらかといえば母親似で、父親に似ているのはこの目だけ。切れ長な目だが、二重なため大きく整っている。この色も父親譲りだ。
そして彼を知っているもうひとつの理由。それは彼がケルンヴェステンの1人でもあるから。シグレが脱退した今、ケルンと呼ばれる騎士は2人だけとなった。彼らも人間ではないため、長くこの国の騎士として務めてきた。
ツバキの父親は見ての通り老いが始まっている。それでも100年は生きているはずだ。
黒豹と呼ばれ、彼ら2人も人外であった。獣とは言えど、神聖味のあるその姿。人から姿を変えれば、顎から長い髭のようなものがたなびく。100年前の戦争で一族の殆どが命を落とした。そのことは彼が1番わかっていりはずだ。
「なんの真似だ。セージ・テオ・ゼノン」
ツバキは睨んだ。以前から中立だと言う彼。しかし、どちらかといえばオーベルを否定していたはずだった父が今敵として立ちはだかる。思考が追いつかないことばかり起こる。既にパンクしてしまいそうだ。表情は至って冷静なものだが、焦りも見られる。
この状況に対してどう整理をつければいい。
ホタルは深手を負い、目の前の男は父親で。負傷者がいるならば逃げるのが得策。無駄な犠牲は何としてでも今は避けるべき。それにセージの実力はツバキが1番分知っている。
「分かっててやっているんだろうな」
「…」
「何故だ」
なんと言おうと答えるつもりはないらしい。睨み合っていればふと、背筋の凍るようなそんな空気流れた。この世のものではないような、普通の人間ならば怯んで腰を抜かしそうだ。否、逆に気づかないぐらいかもしれない。
「に、逃げろ!!!」
セージを睨むように見ているとその奥から慌ただしい、切羽詰まった声が轟く。ぼやけていた姿が徐々に聡明になる。オークの騎士らしい影。勢いよく走ってきている。
グチャ。そう次に聞いた音は生々しく耳に残る。瞬間に、ドスン、と地に打ち付けるようにしてそのオークの騎士は倒れた。真っ赤な鉄臭い液体が、胸もとあたりからどくどくと流れ出てきている。
「んー、いまいちね」
コツコツコツコツ。高いヒールを地に鳴らして歩く音がだんだんと近づく。深みのある女性の声音が建物に反射して響いた。セージの背後から姿を現す。
漆黒の髪に、色白の肌は少し血色が悪い気もする。手には血がついている。先程のオークの胸元を貫いたからだろう。素手で、あの分厚い胸板を軽々と。恐怖さえおぼえる。
よく見れば、額の両端に生えた禍々しい雰囲気の角。細く黒く艶があり、先端が尖った尻尾まで生えている。正真正銘これは、
「…悪魔」
「あら、その言い方…人間はディアブロって……ああ、あなたもしかして…ふふっ」
「…チッ」
「…ッ、ツバキさん?」
女は何やら嬉しそうに笑っている。それに対してツバキは女を睨む。ホタルが呼びかけると無表情に戻った。ホタルは状況が読めず、先程からツバキの腕の中でおどおどしている。
「あれがセージの子ども?」
「ああ、そうだよ。ツバキくんて言うんだ。彼は強いよ」
「そうみたいね」
どうやら2人は知った顔のようだ。
「メア、君はどうしてここへ」
「少し暴れるつもりで来たのだけど、こっちから同胞の匂いがしたから寄り道したのよ。そうしたらぁ、いいもの、見られたからもう今日は帰るわ」
可愛らしく笑う、メアと呼ばれた女。しかしながら言っていることはとても物騒だ。
「だったら、一緒に帰ろうか」
セージはそう言った。どこへ。そう疑問が頭によぎる。そうしている間に、ふたりは靄の中へ消えていこうとする。ここで戦うのは不利だ。だからこそ良かったものの、何も解決しちゃいない。
きっとあの靄を潜ればそこは魔界と呼ばれる場所に繋がる。この世には、天界、常界、魔界、冥界と4つの空間がある。そのひとつ。最も恐ろしい場所が魔界。人間が入れば1日でその命は尽きるとも言われていた。あの戦争が終わってからは、交友関係にあったが3年ほど前からそれは途絶えてしまった。
「待て、まだ話が」
「またいつか会えるわ…ふふっ、いいえ…会いにくるわ」
呆気なくその姿は消えていった。セージはツバキたちを見たままで、言葉を発する事は無かった。まだ話したりなかったというのに。追求することは山ほどあった。寝返った理由。彼の真意を知りたかった。望み、目的を。
小さい頃から謎めいた人だったことを覚えている。言えば父には苦手意識があった。何を考えているかわからない。幼い頃の父セージに対しての印象や記憶といえばそれだけ。ツバキの母が死んだ時も特に悲しんだりしていなかった。それでも、一国の騎士である彼に憧れツバキも同じ道を選んだ。今でもその気持ちはどこかにあった。
ツバキはただただ、呆然として父の消えていった跡を眺めた。
「すまない」
「っ…」
彼が何に対して謝罪をしているのか、本当のことは誰にもわからない。ホタルの肩を抱く手が強くなっていた。
気づいた頃には、あたりは随分と暗くなり夜へと時を変えた。あれだけ騒がしかった街は一帯静まりかえっている。取り敢えずは収まったことに胸をなで下ろした。
しかし悠長な時間を過ごすわけにはいかなかった。まだ何か起こらないとも限らない。終わるはずがないのだ。ただここで奴らの足を留めておくことが最善なのだ。援軍を待ち、城を奪還する。
既に連絡網は確保済み。あの後ホタルを連れ街外れまで行き、情報を飛ばしたばかりだ。1週間もしないうちに届けてくれるだろう。そう祈って。
外れには小さな川が流れている。そこで傷を洗い流した。冷たい水は肌に沁みる。少し眉をひそめた。
空き家へ足を踏み入れ、そこで今日は一晩を過ごすことになった。何年も誰も住んでいなかったようでホコリっぽい。アルムアックのせいで月明かりもままならない今、オレンジ色のランプが部屋一帯を照らす。蜘蛛の巣が壁の端や天井の角っこにいくつも見られる。
「傷は」
静かだった部屋に、ぶっきらぼうな声がひとつ。それはホタルに向かって発せられたもの。心配してのことだ。大丈夫だ、と返事をする。
「見せて」
「えと、あの……」
「いいから、こっち」
どうしたのかと聞く暇もなく、強く言われて警戒しながらツバキに近づく。彼も座っていた椅子から立ち上がる。そしてホタルの目の前に歩を進める。じーっと見つめられる。
傷を見せるため、汚れてしまった服の袖部分を言われた通り捲っていく。ホタルの色白の肌が顕になる。それには見合わない傷が忌々しく思える。
ツバキはその腕を優しく掴んで引き寄せる。すると傷跡に唇を落とした。その状況を理解出来ずに目を丸くするだけのホタル。わなわな、ふつふつと急な羞恥が襲ってくる。耳まで真っ赤にして慌てふためく。言葉にはならない。
「ごめん。僕はまた君を傷つけた…」
時折見せるこの表情。悲しいとも苦しいとも、何とも言い難い。そんな彼の表情がいつもホタルの胸を締め付ける。
「守れなかった…」
「それは、何を指しているんですか。貴方が、ツバキさんが守れなかったのはわたしですか……それとも、私の____」