予兆
予兆
誰を次の大王とするか、歴史はそこに戸惑いを見せる。
誰もが後を継ぐものと信じて疑わなかった厩戸皇子が先に身罷ったが故に、候補として挙げられるその遺児である山背大兄王とするか、本来先に次ぐべきであった押坂彦人大兄皇子の遺児である田村皇子とするか。どちらも先の大王の直系孫である。血筋でいうなら、わずかに田村皇子が先である。
毛人は、阿倍麻呂臣に相談し、大王の遺訓を明らかにして、臣たちの意見を訊く。
はじめ躊躇していた臣たちも、意を決して話し始める。耐えかねて言い出すのは大伴連鯨である。
「天皇の遺命のままにすべきでしょう。このうえ、群臣の意見を待つまでもないでしょう」
「はっきり言えばよいではないか。」
「田村皇子に詔して、『天下を治めることは大任であるが、臆せずしっかりやるように』と言われたのでしょう。山背大兄王に対しては、『まだ若いから聞く耳をもって自重せよ』なのですから、大王の御心は明らかです。 誰も異議をいうものはないでしょう。」
采女臣摩礼志、高向臣宇摩、中臣連弥気、難波吉士身刺の四人が同意する。
だが、許勢臣大麻呂、佐伯連東人、紀臣塩手の三人は、山背大兄を推して譲らない。
毛人の弟である蘇我倉麻呂臣は判断を保留するという。腹の探り合いと筋の読み合いがもつれ合い、毛人の思惑は肩透かしを食らう。この場にはいない境部臣摩理勢は、はっきり山背大兄を推すという。
群臣の多くは、才走り、厩戸皇子の遺徳を笠に着る山背大兄を厭う。厩戸皇子の器量をもってこそ、あの安定した政権運営が可能であったのだ。それを山背大兄が一人で背負えるとは誰も思ってはいないし、背負わせたくもない。大臣の座は継いだものの、まださほどの実績もない蘇我毛人が、群臣の多くが求める田村皇子を推すのは当然である。山背大兄王を立ててしまえば、毛人が群臣から孤立し、そればかりか独断専行を好む山背大兄を抑える労まで被ることになる。―泊瀬部の二の舞は避けねばならぬ―
一方で、毛人の力量は皆の知るところである。いざとなれば、山背大兄王と互角以上の論陣を張ることができるのも、彼しかいないということ、そして広大な東国ケノやムサシをヤマトへと引き込み、国を富ませることにかけても先代に劣らず一流である。むしろ、山背大兄王を立てれば、その毛人の力を抑えられるかもしれぬと期待する者たちもいる。
摩理勢は毛人が田村皇子を推すのが気に食わない。その眼には、毛人の態度が、己の立場ばかりを気にして蘇我のことを顧みぬ弱腰としか見えていなかった。
―兄・馬子がどれほど上宮に施してきたと思っているのだ、それをどぶに捨てるようなものではないか。我がなんとしてでも山背大兄王を大王に上らせねばならぬ。―
額田部大王を、その遺言どおりに竹田皇子の墓に合葬し終え、一族で集まった馬子の墓の造営地で言い争った摩理勢が、譲らぬ毛人に激高する。そこの仮屋を叩き壊して、別宅に引きこもってしまうのである。
引きこもったまま、次の大王を選定する合議に加わろうとしない摩理勢のもとを、不思議な人物が訪ねる。隙あらば蘇我を追い落とし、その座を我がものにせんと執念深くつけ狙うあの中臣の一族、中臣連弥気。その中臣の思惑どおりに弥気に対して、摩理勢は罵倒し、自分は山背大兄王を推すと言ってしまう。
とんでもないのはその後で、摩理勢は斑鳩に逃げ込む。困ったのは山背大兄王のほうである。大臣を説得して自分を推すようにしてもらえないかと摩理勢に仲直りを求めるが、それは死んでも嫌だと断られ、ついに摩理勢を追い出してしまう。おのれの勘気で国を乱す気かと、ついに堪忍袋の緒が切れた大臣が私兵を差し向ける。まさかと慌てた摩理勢は逃亡を図るが、どこからともなく現れた来目物部伊区比なる者に縊り殺されてしまうのである。
摩理勢殺害の報を受け、山背大兄王は引かざるを得なくなった。だが、恐るべき陰謀の種が、ここに芽吹こうとしていた。
摩理勢を嵌めに行くのは、あの中臣連の一族である弥気、鎌足の父親にあたります。丁未の乱で勝海が殺され、本宗家が没落したあとを、傍系が継ぎます。ヤマトは連邦国家なので、ナカの国(奴国?)の首領を外すわけにはいかず、傍系がそのまま連として残るのです。中臣連は、それまで取り込んでいくクニの祭祀を受け継ぎ、調整していく神祇官の役割を果たしていました。ですから、日本が統一国家になり、仏教が国教にでもなってしまえば、彼らの役割はなくなってしまうことになります。それを進める蘇我や上宮王家は、排除すべき敵でしかありませんでした。
そして、摩理勢を独り追い、縊り殺すのは物部伊区比。丁未の乱の当事者一族が、蘇我氏に牙をむき始めます。




