破滅への序章
破滅への序章
額田部大王(推古帝)の世が、衆目の予想に反して永く続いたのは、中華を隋が統一し、高句麗を攻めたために半島の均衡が思いのほか保たれていたことによるのかは定かではない。もっとも、半島は高句麗の南下圧力が緩んだおかげで元の木阿弥、共闘関係などどこに消し飛んだか、百済と新羅の喧嘩はエスカレートする一方である。国力を貯えようと、新羅は任那の調を我が物として、たびたびヤマトのお叱りを受ける。
一方の虎の威を借る百済の狐は、隋に摺り寄り下賜された品々を、そのまませっせとヤマトに貢物として送り、併せて人質まで送ってくる始末である。それがまた新羅を怒らせていることには気付いていないのであろう。ヤマトもヤマトでいい気になって、娘などもらってしまったのが、後の大いなる災いの種となるのだが、それはまだ先の話である。
要するに、百済に持ち上げられていい気になって、日出る處の天子などと大国を気取ってみるが、卑弥呼の大法螺ほどの効き目もない。そのうち隋もあっけなく滅ぶ。いつの時代も、戦争など仕掛けるほうが愚かなのである。
この時代、うまくいったのは、東国の開拓と抱き込みであろう。冷涼な気候が続く中で、稲目の代で水田の造営と鉄と技術伝承によるヤマト連邦の拡大手法を確立し、馬子の代ではシナノやケに牧を設置して東国に馬の産地を確保し、毛人が文字通り、ケをヤマトに引き入れ、ムサシにまで勢力を拡大することに成功している。入鹿は、先んじで多氏が入植しながら、手を焼いているヒタチから阿波忌部氏がはるか昔に開拓し大国となっているフサの国の北、カトリの海の先カシマまでもヤマトへの引き入れに成功したのである。
だが、好事魔多しというべきか、運命の皮肉というべきか。このヒタチ、カシマのヤマトへの参画が、この国の運命を破滅へと導く発火点となることを、このときまだ誰も知らない。
隋が滅び、厩戸皇子が病に斃れ、馬子も老いて退く。そしてほどなく、額田部大王も身罷る。長く続いた平穏の時は過ぎ、新たな争乱の気配が漂い始める。
次の大王を誰とするか、巨星の後を継ぐことほど難しいことはない。群臣たちも戸惑い、票は割れる。
それを見越してか、額田部大王はこの二人に訓を遺す。
「昇大位以統天職。固非輕易之事。是以、居常深慎、無成懃速。汝、田村皇子、愼之、勿懈」
「汝、山背大兄王、獨心思之、無諠譁於群臣、必從衆言。勿違」
どちらが大王となっても、という心遣いではあろう。だが、あきらかに田村皇子が大王となることを想定していることは、言葉の選び方からして明らかである。
田村皇子に対しては、大王として職を全うすることは容易くないことだから、慎重に言葉を選び、しかし怠るなと心構えを説く。一方で、山背大兄に対しては、自分の意見を言い募るのではなくて、群臣たちの言葉をよく噛みしめて、立場をわきまえて行動せよと諭す。だが、野心を抱く山背大兄にその心は届かない。




