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幻想古事奇譚  作者: 土師 陵生


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一条の光明

一条(ひとすじ)の光明(ひかり)


 高熱(こうねつ)に苦(くる)しみ、肌(はだ)を爛(ただ)らせた大王(おおきみ)沼名倉(ぬなくらの)太玉敷(ふとたましきの)命(みこと)(敏達天皇(びたつてんのう))の枕元(まくらもと)に、嶋(しま)の大臣(おとど)蘇我馬子(すがのうまこ)は厳(しず)かに進(すす)み出(で)た。


 物部守屋(もののべのもりや)によってことごとく寺(てら)を焼(や)かれ、尼僧(にそう)を辱(はずかし)められた大臣(おおおみ)の顔(かお)には疲労(つかれ)の色(いろ)がみえる、だが、その眼眸(がんぼう)に宿(やど)る知性(ちせい)の光(ひかり)は、いささかも衰(おとろ)えていなかった。


「大王(おおきみ)、臣(しん)改(あらた)まって申(もう)し上(あ)げます。」

「いま都(みやこ)を襲(おそ)うている疫病(えきびょう)、そして大王(おおきみ)の御身(おんみ)を蝕(むしば)む瘡(そう)を、大連(おおむらじ)などは、異国(いこく)の神(かみ)への祟(たた)りと呼(よ)ばい、猛(たけ)っております。しかし、それこそが大(おお)いなる過(あやま)ちでございます」

 大臣(おおおみ)は静(しず)かに、しかし決然(けつぜん)と言葉(ことば)を紡(つむ)ぎ出(だ)す。


「仏法(ぶっぽう)の教(おし)えの本質(ほんしつ)は、祟(たた)りや呪(のろ)いなどという、卑小(ひしょう)なものではございませぬ。諸行無常(しょぎょうむじょう)、この世(よ)のすべてはうつろい、形(かたち)あるものは必(かなら)ず滅(ほろ)びる。いかに力強(ちからつよ)きものであれ、いかに尊(とうと)き大王(おおきみ)であれ、生老病死(しょうろうびょうし)の苦(くる)しみから逃(のが)れることはできぬのが、この世の絶対(ぜったい)の理(ことわり)にございます。」

 大王(おおきみ)は荒(あら)い息(いき)の下(した)から、じっと大臣(おおおみ)を見(み)た。大臣の言葉は、病(やまい)に苦(くる)しむ大王の魂(たましい)にも、正(ただ)しき真理(まこと)として染(し)み込(こ)んでいく。


「大連(おおむらじ)は、目に見えぬ祟(たた)りを恐(おそ)れるあまり、仏殿(てら)を焼き、海に捨(す)て、罪(つみ)なき尼僧(にそう)たちを鞭打(むちう)ちました。その大連(おおむらじ)自身(じしん)も瘡(そう)に苦(くる)しみました。それこそが、自(みずか)ら悪(あ)しき種(たね)を蒔(ま)き、その報(むく)いを受(う)けるという因果応報(いんがおうほう)の理(ことわり)に他(ほか)なりませぬ。暴力(ぼうりょく)によって怨恨(えんこん)の連鎖(れんさ)を生(う)めば、衆生(しゅじょう)は永久(えいきゅう)に救(すく)われません。」


 大臣(おおおみ)は大王(おおきみ)の枕元(まくらもと)に深(ふか)く頭(こうべ)を垂(た)れ、最後の願(ねが)いを奏上(そうじょう)する。

「我(わ)が王(きみ)に、我(われ)の想(おも)いを申し上げます。我(われ)らが真(しん)に目を向けるべきは、四諦(してい)すなわちすべての民の苦しみを救い、国を正しき法によって統(す)べ治(おさ)めることにございます。」


「海向こうの諸国(しょこく)が仏法を受け入れたのは、それがただ祈(いの)り願(ねが)うものではなく、理(ことわり)によって国を治め、民の心を導(みちび)く最高の智慧(ちえ)だからでございます。古(ふる)き悪習(あくしゅう)に囚(とら)われ、先に進むことのできぬ大連(おおむらじ)らに阿(おもね)てはなりませぬ。我(わ)が王(きみ)よ、どうか因果(いんが)の理(ことわり)を悟(さと)り、仏法(ぶっぽう)という新(あたら)しき知恵(ちえ)をもって、このヤ(・)マ(・)ト(・)を次(つぎ)の世(よ)へと導(みちび)くお覚悟(かくご)をお示(しめ)しくだされ。まずは、この大臣(おとど)一人(ひとり)の身(み)を試(ため)しとして、仏法(ぶっぽう)を修(おさ)めることをお許(ゆる)しいただきたい。」


 己(おのれ)を顧(かえり)みず、ただ神(かみ)の祟(たた)りを恐(おそ)れ、鎮(しず)めるための祷(いの)りの時代から、己(おのれ)の所業(しょぎょう)のなせる冷徹(れいてつ)な結末(けつまつ)を深(ふか)く省(かえり)みる理性(りせい)の時代へ――。


 大臣(おおおみ)が説(と)いた仏(ほとけ)の深遠(しんえん)なる真理(しんり)は、死(し)の淵(ふち)にあった大王(おおきみ)の心(こころ)を激(はげ)しく揺(ゆ)さぶった。大連(おおむらじ)の武力(ぶりょく)を慮(おもんぱか)ってから正式(せいしき)な公認(こうにん)こそ避(さ)けたものの、大臣(おおおみ)一人に私的(してきな)な信仰(しんこう)を許(ゆる)すという際(きわ)どい宣旨(せんじ)を下(くだ)す。


それは、新たな時代への道を照らすただ一条(ひとすじ)の光(ひかり)であった。

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