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幻想古事奇譚  作者: 土師 陵生


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篭絡

篭絡(ろうらく)


 ニギハヤヒがナガスネヒコの首(くび)を提(さ)げてヤ(・)マ(・)ト(・)に恭順(きょうじゅん)する、ちょうどそのころ、イトの首領(しゅりょう)の館(やかた)では、上座(じょうざ)に御簾(みす)を設(しつら)え、その奥(おく)にウ(・)サ(・)のヒメ。そしてツ(・)ク(・)シ(・)の首領たちを呼(よ)びつけていた。

 御簾(みす)の脇(わき)には、ム(・)ナ(・)カ(・)タ(・)の屈強(くっきょう)な者(もの)たちがヒメを守(まも)るべく控(ひか)えている。


「我らを呼び出して、何用(なによう)か?イ(・)ト(・)殿、そこに隠(かく)れておるのは何奴(なにやつ)じゃ?」

 ツクシの首領のひとりが声を荒(あら)げる。みな憔悴(しょうすい)しきった顔(かお)で、それでも仲介役(ちゅうかいやく)のイ(・)ト(・)を見据(みす)える。

「確(かく)たる用(よう)も告(つ)げず、ようお集(あつ)まりいただいた。真(まこと)にありがとう存(ぞん)ずる。」

 イトがまず非礼(ひれい)を詫(わ)びる。

「ここにお出(で)ましは、ウ(・)サ(・)のヒメ様じゃ。皆(みな)に、天(あめ)のみちびきをお告(つ)げに、このようなところまでお運(はこ)びただいておる。心(こころ)して聴(き)かれるがよかろう。」

 ツ(・)ク(・)シ(・)はヒメヒコ制(せい)ではないが、この設(しつら)えからも、何やら貴人(きじん)らしいということはわかる。


 ヒメの言葉は、通詞(つうじ)をとおして伝(つた)えられる。ヒメが何事(なにごと)かを耳打(みみう)ちし、それをまたイ(・)ト(・)に伝(つた)え、イ(・)ト(・)がかみ砕(くだ)いて話(はな)す。

「天(てん)は、そなたらツ(・)ク(・)シ(・)の有様(ありさま)に心(こころ)を痛(いた)めておられるとのことじゃ。」

 一言ずつ。厳(おごそ)かにヒメの言葉が伝えられていく。

「それが、そなたらの所業(しょぎょう)ではなく、半島(はんとう)からのもらい火(び)であることもお見通(みとお)しじゃ。」

「ゆえに、天孫(てんそん)がそちらから流(なが)れ着(つ)いた者(もの)たちを引(ひ)き受(う)けると申(もう)しておられる。」

「さすれば、争(あらそ)いももはや用(よう)をなさぬであろう。と。」

 あれさえいなくなれば、かれらはまた静(しず)かに暮(く)らして行(ゆ)ける。ツ(・)ク(・)シ(・)にしてみれば、望外(ぼうがい)の申(もう)し出(で)である。皆顔(みなかお)を見合(みあ)わせ、どう応(おう)じてよいものかと戸惑(とまど)いを隠(かく)せないでいる。


「あれらを皆(みな)引(ひ)き取(と)っていただけるというのでございますか?」

「おうよ、こちらも東(ひがし)のほうでひと悶着(もんちゃく)あったそうじゃが、それもようやく治(おさ)まったとのことでな。その痛手(いたで)を癒(いや)すための人手(ひとで)も要(い)るということで、いくらでも引き受けていただけるということじゃ。」

「なんと、ありがたいことか。これでわれらも生き返りまする。」

場にざわめきが起きる。涙(なみだ)に咽(むせ)ぶもの、手を取りあって喜(よろこ)びあうものもいる。


「であるからには、そなたらの諍(いさか)いも収(おさ)められるであろうのう。」

「それは固(もと)より。我ら食(く)うに困(こま)ってしかたなくしたことにございますれば…。直(ただ)ちに。」

「では、流民(るみん)どもをすみやかにオ(・)オ(・)ワ(・)ケ(・)に移(うつ)せ。そちらでイ(・)ヨ(・)が舟(ふね)を出して待っておる。」

「なんと申(もう)してよいやら、言葉(ことば)が見つからぬ。此度(こたび)の御恩(ごおん)、我らきっと忘(わする)ることなし。」

「良(よ)き心掛(こころが)けぞ。これはみな天(てん)の配剤(はいざい)。天照(あまて)らすお方(かた)の差配(さはい)であるゆえ、各々(おのおの)がたゆめゆめお忘(わす)れなさるな。」

「我(われ)らかしこまって奉(たてまつ)りまする。ありがたきかな。」

 這(は)いつくばって涙(なみだ)するものもいる。誰もが降(ふ)ってわいたこの僥倖(ぎょうこう)に慶(よろこ)びを隠(かく)すこともしない。


「これまではさほどの縁(えにし)でもなかったが、もとより同(おな)じ島(しま)に住(す)む我ら、この後(のち)は、も少(すこ)し近(ちこ)うなろうではないか。」

「もったいないお言葉。われらこそ伏(ふ)してお願(ねが)い申(もう)す。」

ーなんと、ナニワの津どころか、こやつらまで手懐(てなず)けてしもうたわ、ア(・)キ(・)殿はどこまで見通(みとお)しておられるのやら。ーイトの首領は悟(さと)られぬように溜息(ためいき)をついた。


 言葉に違(たが)わず、オ(・)オ(・)ワ(・)ケ(・)の津にはイ(・)ヨ(・)の大船団(だいせんだん)が待ち構(かま)えている。

「我らが同胞(はらから)は望(のぞ)めばイ(・)ヨ(・)で受(う)けいれても良(よ)い。残(のこ)りはヤ(・)マ(・)ト(・)じゃ。漢人(かんびと)やカラ人(びと)は生口(いくち)の島(しま)へ引(ひ)っ立(た)てよ。」


神武東遷、歴史はこの大転換を、多くの謎とともに淡々と描き出します。

何故、神武は東遷を思い立ったのか?なぜ、難波津で戦い、紀伊半島の南を回って大和に入ったのか?

当時の世界情勢、そして国内の状況に照らしてみると、その驚くべき真相が明らかになります。

この物語では、東遷を果たすのはウサの王子であることにしています。ですが、もう一つの仮説も成り立ちます。それは歴史が描くとおり、神武は日向から旅立ったのかもしれないということもできるからです。

九州=ツクシの島には、4つの顔があると書かれているとおり、4つの人種部族が分かれて住んでいました。一つは北九州を中心に、ムナカタ、ウサの瀬戸内海勢力の西端、ツクシからオオワケまでに至るところには、海に沈んでしまった黄海平原から移ってきた大陸・半島系の勢力、そしてアカホヤ噴火から逃げず、他部族に取り囲まれて残った阿蘇から日向にかけての旧南端の海洋民族たち、そしてアカホヤ後に入植してきた南方・琉球系ののちにクマソ・隼人と呼ばれた人たち。

ですから、神武東遷のもう一つのストーリーは、この取り残され孤立した日向からの脱出行でもあったかもしれないと思います。

最後に、伊予の二名の島、なぜ二名なのか?と考えてみると、これはイヨ、サヌキ、アワというヤマトの源流を構成する瀬戸内文化圏と土佐の海洋民族の2種類の人種部族がいたことを表していると考えれば腑に落ちます。

この分類は、海洋民族中心の地域が、ワケと書かれ、ヤマトの本流を構成した国がヒメ、ヒコであることと一致します。

とするならば、神武東遷は、瀬戸内文化圏と海洋民族文化圏の統合の象徴であったともいえるかもしれません。



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