潰走
潰走
「兄上!」
イワレが目を血走さらせ、泥をかきわけて兄のもとへかけよる。周りではキビから託された兵たちが次々と討ちとられ、陸にあがる機会すらもはや完全に潰えていた。これ以上そこにふみとどまっても、全軍が水漬く屍となり果てるのみだった。イワレは右腕から血を流して倒れ伏すイツセを両腕で抱きかかえ、歯をくいしばりながら全軍へ撤退を叫ぶ。
「引け! 皆船へ戻るのだ!」
統率の差という残酷な現実を突きつけられ、イワレは負傷したイツセを船板に横たえながら、遠ざかるイコマの峰を睨みつけた。どれほど周到に練った筋書きであっても、どこか大軍に甘える緩みがあったのであろう。傷ついた兄を労る、イワレの目から涙がこぼれ、その眼は光を失っていった。
ナニワの津から、血と泥にまみれながら潰走するウサ・アキ・キビの船団が、ほうぼうの体でアワジの港へと逃げ戻っていく。血の色に染まる水際に残されたのは、攻め寄せた側の兵たちの無残な骸と、放たれ地に落ちたおびただしい数の矢だけだであった。
ナガスネヒコの兵たちは、退いていく船団を追いもせず、ただ思い思いに鬨を上げ、得物を掲げて歓喜に沸いている。これまでみたこともないほどの大軍勢を陸に揚げることなく水際で一網打尽にし、完膚なきまでに叩き落としたのだ。
だが、その背後から一部始終を観る冷静な眼があった。




