決意
決意
ヒメがイズモへの随行を承諾したその夜、イズモの兵たちが歓喜の声を上げる陰で、ヒメの館の奥深く、一人の側近の男がヒメの前に跪いていた。男の拳は、悔しさと怒りで激しく震えている。
「ヒメよ、本気でございますか。イズモの勢いに恐れをなして、われらが命の宝たる翡翠を差し出し、その身まで捧げると? 承服しかねます。われらを侮らないでいただきたい。奴らをこの地から一歩も生きて帰さぬ覚悟はできております!」
男の悲痛な訴えを、ヒメは静かに聴いていた。その瞳には、恐怖も諦めもなかった。ただ、深い厭川の激流のごとき、冷徹で揺るぎない光が宿っている。
「……お前は、あの男の目を、イズモのものたちの佇まいを見なかったのですか」
姫は静かに、しかし胸を突く声で語りかけた。
「彼らの着物は立派ですが、その肌は痩せ衰え、手は飢えに震えていました。西の地は今、白き灰によって国ごと潰えかけているのです。あれは、ただの求婚の使節などではありません。足元まで難民に押し寄せられ、もはや後がない飢えた狼の群れです。もしここで私たちが刃を交えれば、あの狼たちは狂暴な略奪者となりかわり、この翡翠の源の山々を骨までしゃぶり尽くすでしょう。いくら隠そうとしても、私たちが秘めてきた厭川の在処も、早晩暴かれてしまいます。だからこそ、あのものたちを今すぐこの地から引き剥がさねばならないのです」
男は息を呑み、顔を上げた。ヒメの言葉の真意が、にわかに脳裏に閃いたからだった。
「では、随行というのは……」
「ええ。私が船に乗り込めば、イズモは勝ったと思い込み、大軍を引き連れて喜び勇んで西へ凱旋するつもりになるでしょう。そうすればわれらの聖域は守られます。居座られさえしなければ、翡翠の秘密は誰にも暴けません。」
ヒメは、胸元に提げた最も深く碧い翡翠の珠に触れた。石は冷たく、しかし彼女の覚悟に呼応するかのようにきらめいている。
「イズモへと向かう波の上、彼らが勝利に酔いしれ、油断する隙が必ず生まれます。その時、私は自らの足で船を脱出します。私は必ず、あの清らかな秘め川の流れへと戻ってきます。お前たちは一足先に西の親不知、そして黒部の谷へと回り、私の足跡を隠す準備をなさい」
ヒメの計略と、コシを守る覚悟を識り、男は己の浅はかさを恥じるように深く頭を垂れた。
「われらがヒメよ……我が命に代えても、黒部の盾となりて、お戻りをお待ちいたします」
闇のなか、二人は固い誓いを交わした。
翌朝、ヒメは毅然とした微笑みを湛え、一族に見送られながらイズモの舟へと乗り込んだ。




