8話
眩しい夏の日差しが、森では深い緑を通して穏やかに振り注ぐ。
彼女はいつものようにそこに立っていた。
ワンピースの上にエプロンを着け、森歩き用のブーツと編み込んだ髪。
腰に革のベルトと鋏や手袋といった採取道具を下げている。
「今日はあっちかな」
サーシャは丘を迂回して、塔とは反対側に歩を進めた。
いくつかある月白草の群生地の中から育っていそうな場所を回る。
少し前とは森の歩き方も、見方も変わった。
触ってはいけない草や食べてはいけない茸を教えられて植物にも詳しくなっていた。
半歩先を歩きながら教えてくれた彼を思い出す。
濃紺のローブに長い銀髪。
森に溶け込むように佇む、出会った頃と何一つ変わらない姿。
自分を見つめる、静かな深い青灰色の瞳。
「特別って…?」
サーシャはしゃがみこんで月白草に触れた。
柔らかい手触りの葉の表面を親指で撫でて、気持ちを落ち着かせようとする。
変わらない日々なのに。
何かが変わり始めていた。
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「妙だな」
紅茶を飲みながらアルヴェは呟く。
目線の先にはサーシャがいる。
「妙じゃない」
「否定が早い」
「やましいことがあるって言いたいの?」
サーシャは一口、紅茶を飲む。
そのままティーカップを傾けて口元を隠しながらアルヴェを据わった目で見ている。
「そこまでは言っていない」
軽く否定するが、アルヴェは思案しながら無遠慮にサーシャの顔を眺めた。
ここ数日は、大雨も侵入者も無く平穏な日が続いていた。
サーシャも薬作りに慣れ、納品も売り上げも安定している。
ただ一つ。
アルヴェと目が合うと動きが止まったり、視線が泳いだり、顔を赤くして逃げること以外は。
思案するようにアルヴェは顎に手を当てる。
「何か悪いことでは無さそうだ」
「予想しないで」
「君の…違うな。私に関する事か?」
図星で彼女は不機嫌そうな顔を作る。
「素直に知りたいから話してって言えば?」
「話してくれ」
わざと意地の悪い言い方をしたのに、あっさり言い直されて毒気を抜かれる。
サーシャは目線を落とした。
指先でティーカップの縁をなぞる。
しばらくそのまま手元を見ていたが、ようやくアルヴェに視線を戻す。
意を決して、口を開いた。
「…特別って、どういう意味?」
サーシャの呟くような問いにアルヴェは聞き返す。
「どうとは?」
「アルヴェにとって、私って何?」
アルヴェの指がぴくりと動いた。
「…そうだな」
改めて、アルヴェは目の前のサーシャを見る。
窓から斜めに入った日差しが、テーブルと彼女の赤茶色の髪を照らしている。
いつも活気に満ちた瞳は今は伏せられ、少し緊張で揺れている。
向かい合っている彼女のその表情が。
アルヴェの静かな湖面にほんの少し波紋を作る。
その波紋はゆっくりと広がっていく。
いつも引き起こすのは彼女だった。
それがいつからだったのか、彼は覚えていない。
アルヴェは遠くを見るように目を細めた。
そしてゆっくりと彼女に告げる。
「見ていたい。少しでも長く」
サーシャは顔を上げた。
淡々とアルヴェは言葉を続ける。
「ほんの数年間だというのに、もう私は君がいない生活を忘れかけている」
その言葉にサーシャは思わず笑う。
「二百年も生きてるのに?」
「それほどに」
アルヴェはただ頷く。
彼が座る重心を変えるとキィ、と椅子の背もたれが軋んだ。
「遊びでも、食事でも。笑っていても悩んでいても構わない。君が傍にいないことの方が落ち着かない」
静かに彼女を見つめる瞳が、少し揺れた。
「君はすぐに走っていってしまう。私のこともすぐに置いていくだろう」
「…アルヴェ」
「だが、それまでは共に歩みたいと思っている」
サーシャの胸にその言葉がゆっくりと落ちていく。
泣きそうな顔で眉根を寄せて笑った。
「それって、プロポーズみたいだよ」
アルヴェは表情を変えずに少しだけ首を傾げる。
「プロポーズとは?」
「生涯を共にしたいですって誓うこと」
「そうだな」
否定しない。
サーシャは鼓動が速くなるのを感じた。
アルヴェの穏やかな温度を帯びた瞳がサーシャを捉えている。
「では、君はどうして一緒にいたんだ?」
どうして。
今まで考えたことが無かった。
出会った日から、それが当たり前だった。
「…アルヴェが」
サーシャは考える前に答えていた。
「笑ってたから」
「うん?」
「嫌そうじゃ無かったから、会いに来てた」
こちらを見ようとしないサーシャを、アルヴェは僅かに顔を傾けて覗き込む。
顔を上げたサーシャと目が合う。
「今は?」
「…会いたくて、会いに来てる」
ゆっくりと口の端を上げてアルヴェは微笑む。
「ほう」
サーシャは頬を赤く染めながらも視線を逸らさない。
「…でも、私でいいの?人間だし、普通だし…」
彼女の目線がアルヴェの端正な顔立ちを見ている。
アルヴェは事もなげに言った。
「君は美しい」
サーシャは反応出来なかった。ただ大きな瞳でアルヴェを見ている。
「造形だけではない。視線や指先に生き方が現れてるから美しい」
「…どういうこと?」
「伝わらないか?」
サーシャは深く息を吐くと、力が抜けたように呟いた。
「私のこと好きなんだなって言うことだけは分かった」
アルヴェは目元を緩めた。
「そこに君が気付くまで、随分とかかった」
「分からないよ、そんなの…」
カップを持ち上げると、アルヴェは満足そうに紅茶を一口飲む。
ゆっくりとカップを置く。
「それで?」
「え?」
アルヴェは面白がるようにサーシャを見ている。
「言葉にしなければ伝わらないのだろう」
「…さっき、言った」
「分かりにくかったから、もう一度」
サーシャは今度ははっきりと大きなため息を吐くと、諦めたように緩く笑った。
もう否定しようがない。
彼が傍にいることが、当たり前になっていたことを。
そしてこれからもそれを望んでいる自分に。
「ずっと一緒にいてあげる。私がアルヴェを置いていくまで」
変わらない日々が、少しだけ形を変えた。




