9話(最終話)
サーシャが薬作りを始めて数カ月が経った。
季節は秋になっていた。
夏の瑞々しい緑は色を変え、赤や黄色の楓の葉が地面を染め上げている。
日差しはまだ暖かいのに流れていく風は冷たい。
木の根元では、落ちているどんぐりをリス達が忙しなく運んでいた。
落葉で足を滑らせないように気をつけながら、サーシャは両腕に籠を下げてゆっくり森を歩く。
今日は寄り道せずにトネリコの木も薬草も素通りしていく。
脚が重たくなってきて、眉を寄せて耐える。
籠を揺らさずに何とか砂利道の坂を登り終えた。
「アルヴェ、開けて」
サーシャはノックが出来なかったので外から呼びかける。
間もなく塔の扉が開いた。
アルヴェは真鍮のドアノブに手を掛けたまま、大荷物を抱えた彼女を見て少し目を開く。
「持とう」
肩に手を添えて、サーシャから大きな籠を受け取る。
サーシャはやっと解放された腕を揺らして笑った。
「ありがとう。今日はお母さんがローストビーフとケーキ焼いてくれたから、一緒に食べよう」
昼食には少し早いが、テーブルに籠の中身を出していく。
一つは陶器の深皿に入ったローストビーフと野菜のマリネ。
もう一つは油紙で包まれた焼き菓子だった。
レモンの砂糖漬けが入ったケーキに、砂糖を溶かしたアイシングが掛かっている。
アルヴェは一歩前に出て、並べられた料理を吟味するようにじっと見つめている。
「豪勢だな」
「アルヴェさんとお祝いするんでしょって何か張り切っちゃって。両手が塞がってたから薬草も摘んでこれなかった」
「今日は休みでいいだろう」
サーシャは戸惑って顔を上げる。
「え?でも…」
「今月は十分に納品しているはずだ。最近は宵月薬の他に栄養剤も作っている」
「あれは薬草に漬けておけば出来るから」
薬草を摘みに行こうとするサーシャをアルヴェは説得しようとしたが、途中で面倒になってやめた。
「私を困らせたいのか?」
屈んで、伺うように顔を覗き込む。
サーシャは言葉に詰まる。
「御母堂もそのために用意したのだろう。私にも、祝わせてくれ」
「うん…」
サーシャは小さく頷いた。
恥ずかしそうに視線を合わせないままキッチンへ向かうと、手を洗ってパンを切り始める。
アルヴェは彼女の背中を見ながらふっと目元を緩めていた。
しかしその様子については何も言わず、横に並んで準備を手伝う。
「皿とグラスはこれでいいか?」
「うん」
食卓に冷たいハーブティーとパンも並べて、支度が整うと二人は席に着く。
「では、君の十七歳の祝いに」
グラスを掲げて縁を合わせた。
小さく音が鳴る。
微笑むアルヴェに、サーシャは満面の笑みを返した。
「ありがとう」
フォークを手に取ると、二人は他愛もない話をしながら和やかに食事を始めた。
森に胡桃がたくさん落ちていたこと、針子を続けている友人とお茶をしたこと、ギルドの責任者が礼を言っていたこと。
「月香薬はギルドの方が、騎士団と冒険者と半々になるように在庫管理してるみたい」
「そうか」
ローストビーフを口に運ぶ。
サーシャの話を聞きながら、アルヴェはゆっくり頷いた。
「栄養剤も好評で増やして欲しいって言われた」
「それは良かった」
二人のフォークが、喋りながらも手を離れることなく動いている。
パプリカのマリネを頬張ってサーシャは笑みを溢した。
「ふふ…美味しいね」
「ご母堂に礼を伝えてくれ」
「うん。お母さんも喜ぶと思う」
サーシャはゆったりと椅子に背を預けて、グラスの水を飲んだ。
「今日、お休みにして良かった」
アルヴェはパンを食べて、一つ頷く。
「だからそう言っただろう」
言葉を交わしてゆっくりと味わいながら、二人の時間は過ぎていった。
「美味しかったね。お腹いっぱい」
「そうだな」
「ケーキの残りは包んでおいて、明日食べよう」
ケーキまで食べ終えたサーシャは、椅子の背もたれに体重を預けて眠たそうに目を細めている。
アルヴェはそれを脇目にゆったりとした動作で立ち上がる。
窓際に置いた小さな箱を手に取り、その箱をサーシャに渡した。
「これを君に」
「え?ありがとう…」
サーシャは慌ててちゃんと椅子に座り直すと、箱を開ける。
中に入っていたのは細い銀色の指輪だった。
波のようにも風のようにも見える滑らかな曲線を描いている。
指に嵌めると、シンプルな指輪は元々着けていたかのようによく馴染んだ。
「私の霊気を込めている」
アルヴェは一言だけ、そう説明した。
指輪が齎す効果については何も分からない。ただ、サーシャにも特殊な力を持つものなのだということだけは分かった。
「どうしたの?いつもは誕生日の贈り物なんてなかったのに」
手を上に翳しながらサーシャは驚きを隠せない様子でアルヴェを見る。
「そうだな。ただの理由付けだ」
アルヴェはサーシャの指に光る指輪を満足そうに眺めている。
「君に何か贈りたくなった」
サーシャは目を丸くする。その後、アルヴェと同じように手元を見て笑みを浮かべた。
「ありがとう。今度、私も何か…選んでもいい?」
アルヴェは頷く。
「どのようなものでも受け取ろう」
「嬉しいって言えないの?」
「喜ばしい」
全く声色の変わらないアルヴェに、サーシャは首を捻って疑わしげに問いかける。
「アルヴェって、何か欲しがることってあるの?」
「ある」
表情を変えずに答える。
「君に関する事であれば」
静かな瞳がサーシャを捉える。
落ち着かない。
席を立ってテーブルの上を片付けようとすると、アルヴェが目の前を塞ぐように重心を変える。
「なぜ逃げる?」
「逃げてない」
目が合うと、明らかに面白がっているのが分かって軽く肩を押す。
「からかわないで」
「からかっていない。ただ、本当の事を言ったらどうするか気になっただけだ」
肩を押した拍子にさらりとアルヴェの髪が前に流れた。
サーシャが触れている指には指輪が光っている。
アルヴェの髪と同じ銀色。
「…大切にするね」
サーシャが触れたまま離れないのを見て、アルヴェは目を細める。
「サーシャ」
「何?」
「私からも君に触れたい」
アルヴェはサーシャの言葉を待つように見つめる。
「それは…」
「君が嫌がるなら触れる以上のことはしない」
「…嫌じゃない」
サーシャは彼のローブの袖を自分の方へ引く。
そうでもしないと、彼は気を遣って離れてしまうと思った。
伝えないと彼は近くに来ない。
だから、サーシャが呼ぶ。
サーシャの方に引っ張られて、屈む形になるアルヴェを見上げる。
「いいのか?」
少し緊張に揺れている瞳を、アルヴェは穏やかに見返していた。
サーシャは小さく頷く。
「でも。私、何も知らないから…」
「善処しよう」
アルヴェの長い指がそっとサーシャの頬に触れた。
ぴくりと反応して、反射的にサーシャは目を閉じた。
「怖くないか?」
「…うん」
答えると、閉じた瞼の力が緩んでいく。
サーシャが拒まないのを見て取ったアルヴェは、近づいて唇を触れ合わせた。
彼女を気遣うような、軽い口付け。
サーシャが瞼を開けると、アルヴェが伺うように瞳を覗き込んでいた。
「…アルヴェ」
「うん?」
「私も…もっと、触れたい」
躊躇いがちにそう言うと、サーシャは袖を引いてアルヴェに身体を寄せる。
アルヴェは優しく彼女を胸元に引き寄せた。
「愛らしいな、君は」
「……そんなこと言うのアルヴェくらいだよ」
「当然だ」
彼は温もりを確かめるようにサーシャの髪に頬を寄せる。
「私だけが知っていればいい」
「うん…」
アルヴェの低く落ち着いた声が、包み込むようにサーシャの耳元に落ちてくる。
胸が高鳴るような、ひどく落ち着くような不思議な感覚だった。
「来年も祝おう」
外で風が吹いて木々がさざめく。鳥の声が遠くに聞こえる。
「うん。来年も、一緒にお祝いしようね」
二人は顔を見合わせて笑う。
そうしてまた、いつもの午後が過ぎていった。




