貨幣を分ける
私は、以前語ったように経済学を専門に学んだわけではない。だからこそ、こんな単純な発想にたどり着いたのかもしれない。
「生活を支えるお金と、豊かさを生み出すお金を分けてしまえばいいのではないか」
もちろん、現実の経済はそんなに単純ではない。
それでも、この思考実験を続けるうちに、私はむしろこの仕組みの合理性が少しずつ見えてきた。
ちなみに、分けるのはギルド経済用と、生活保障用である。
貨幣は、とても便利な発明だ。物々交換では成立しなかった複雑な取引を可能にし、人類の文明を大きく発展させてきた。
一方で、その便利さゆえに、私たちはいつの間にか「生活に必要なもの」と「より豊かな暮らしを実現するもの」を、同じ物差しで測るようになってしまったのではないだろうか。
食料も、家も、医療も、教育も。
美術品も、高級腕時計も、ゲームも、ギャンブルも。
性質のまったく異なるものが、すべて同じ貨幣で取引されている。
もちろん、それ自体が悪いと言いたいわけではない。
ただ、あまりにも大きすぎる経済が、私たちの社会が抱える問題を見えにくくしているのではないか、と私は考えたのである。
「私は貨幣を否定したいわけではない。貨幣の役割を分けて考えてみたいだけなのだ」
例えば、私はスーパーへ行けば、野菜もパンも買える。
その隣には、お菓子や酒が並び、本屋では漫画が売られ、ゲームショップには最新のゲームが置かれている。
どれも同じ貨幣で買うことができる。当たり前のことだ。だから私たちは、無意識のうちに、それらを同じ経済活動の一部として考えている。
しかし、本当にそうなのだろうか。
食料がなければ生きてはいけない。
水道が止まれば生活は成り立たない。
医療が失われれば命に関わる。
一方で、漫画やゲーム、酒や美術品は、人生を豊かにしてくれる。だが、今日それらがなくても、人は生きていくことができる。
もちろん、どちらが大切という話ではない。私が言いたいのは、「役割が違う」ということだ。
それなのに、一つの貨幣だけで社会を動かすと、この二つの役割が同じ競争の中に置かれてしまう。
現実世界では、物の価値は絶対的なものではない。
需要と供給のバランスによって価格が決まり、市場がその価値を評価する。
需要が高まれば価格は上がる。
需要が減れば価格は下がる。
とても合理的な仕組みだ。
しかし、人が生きるために必要なものの量には、おのずと限界がある。
一方で、娯楽や趣味、サービスなど、人の「もっと欲しい」という欲望には終わりがない。社会が豊かになるほど、より多くのお金がそうした市場へ流れていく。
それ自体は悪いことではない。文化も芸術も、社会を豊かにしてくれる大切な価値だからだ。
だが、その市場と同じ貨幣で食料や住まいまで支えようとするとどうなるだろう。人も企業も、より利益の出る市場へ向かう。生活を支える仕事も、その競争に巻き込まれる。
だから私は、この二つを別々の経済として考えた方が自然なのではないかと思った。そして前回まで概念として考えていた、生活保障労働とギルド経済につながるのだ。
想像しやすいのはギルド経済だろう。これは現実世界の自由経済とほとんど同じだ。作った物やサービスを自由に売り、その対価として貨幣を受け取る。ファンタジー作品で金貨や銀貨を使って商売をしている場面を思い浮かべてもらえれば、それで十分である。なので、金貨などのギルド経済用の貨幣が一つある。
では、生活保障労働とは何か。
こちらは、お金を稼ぐための経済ではない。共同体が生きていくために必要な仕事を、共同体全員で支え合う仕組みである。
農業、水道、道路、住宅、医療──。
その時代、その共同体が「生活に必要だ」と合意した仕事を分担し、その対価として、生活に必要な住居や食料、衣服などを保障する。こちらの取引には生活保障用貨幣を別に用意する必要があるだろう。
つまり、一方は「豊かさを生み出す経済」。
もう一方は「生活を支える経済」である。
生活保障労働では生活保障貨幣を受け取り、ギルド経済ではギルド貨幣を受け取る。たったそれだけの違いで、競争する場所そのものを分けようというのが私の発想である。
◇
中央広場にある市場は今日も活気に溢れている。
簡易テントの露店が立ち並び、食べ物や生活雑貨、武器や防具なども並んでいる。
野菜や米は生活保障貨幣。
違う店ではアクセサリーやワイン、木彫り、絵画がギルド貨幣で売られていた。
旅人が酒を売っている露店の店主に尋ねる。
「なんで店ごとに使える金が違うんだ?」
店主は笑った。
「当たり前だろ」
「こっちは生きるための品」
「あっちは暮らしを豊かにする品」
「役割が違うんだから、使う金も違うのさ」
「なるほどなぁ」
「生きてくだけなら、こんな高いワインは要らないもんな」
旅人は木箱に並ぶワインを眺めながら頷いた。
店主は肩をすくめる。
「まあ、それを決めるのは俺じゃない」
「共同体の連中さ」
そう言って、足元の小さな樽を軽く叩く。
「この街じゃ、毎日のエール一杯くらいは生活の一部ってことになってる」
樽には生活保障貨幣の札が掛かっていた。
旅人は思わず目を丸くする。
「酒まで保障されるのか?」
店主は豪快に笑った。
「だから言っただろ」
「何を保障するかは、街ごとに違うんだよ」
◇
今回は、「ギルド貨幣」について掘り下げる前段として、貨幣を分けるという考え方について話した。
では、二つの貨幣は互いに交換できるのだろうか?
次回は、この疑問について考えてみたい。




