生活保障労働の範囲
生活保障労働という考え方で、避けて通れない問題がある。一体どこまでの生活を、社会全体で支え合うべきなのかという事だ。
食料や住居は分かりやすい。では医療、教育は、酒や珈琲などの嗜好品は、娯楽はどうするのか。
人によって「最低限」の基準は違う。
ある人は「雨風をしのげる家と三食あれば十分」と考えるかもしれない。
別の人は、「高校までは教育を受けられるべきだ」と思うだろう。
またある人は、「医療は命に関わるから当然保障されるべきだ」と考える。
このように、「最低限」は価値観によって変わる。
だから私は、国が一方的に決める制度にはしたくない。
実際に生活保障労働を担う人たち自身が、
「今年は医療を拡充しよう」
「今は道路整備を優先しよう」
と話し合いながら決めるのが自然だと思う。
生活保障の範囲は、国によって違ってもいいし、都市ごとに違ってもいい。医療をどこまで含めるのか。教育はどうするのか。公共交通は必要か等々。
コミュニティが大きくなれば意思決定は難しくなるだろう。そのときは、選挙などの民主的な方法を活用すれば良い。
生活保障とは「誰かに与えられるもの」ではなく「みんなで支えるもの」だからだ。
例えば、新たな発明がなされ農業がさらに効率化したとする。すると、一日三時間だった生活保障労働は二時間で済むようになる。
その余った時間を自由時間にしてもいい。
あるいは医療や教育を生活保障へ組み込むこともできる。
こんな場合にも話し合いの余地がありそうだ。
なお、この制度を利用せず、生活保障労働にも参加しない生き方を選ぶ人がいても構わない。ただし、その場合は生活保障の内容を決める意思決定には参加しない、という形が良いだろう。
私がこの制度で面白いと思っているのは、
「何を保障するか」よりも、
「何を保障したい社会なのか」を、人々自身が考え続ける点である。
制度は完成品ではない。社会とともに変わっていくものなのだ。
◇
春の終わり。
生活保障労働を終えた広場には、多くの人が集まっていた。
今年から導入された新型の農耕用ゴーレムは期待以上の成果を上げ、一日の生活保障労働はこれまでより短くなった。
鐘が鳴る。
「これより共同体会議を始めます」
役人が羊皮紙を広げる。
「今回の議題は、新たに生まれた余剰労働時間の使い道についてです」
広場が少しざわついた。
「休みを増やそう」
「学校を広くするのはどうだ」
「街道の整備もまだ終わってないぞ」
いくつもの案が飛び交う。
その中で、一人の老人が静かに手を挙げた。
「ワインを作らんか」
一瞬、静まり返る。
「この土地は葡萄がよく育つ」
「他所の街へ売れば、共同体の新しい収入になる」
男も思わず耳を傾けた。
「醸造所を建てるまでだけ、みんなで力を貸してほしい」
「完成した後は、働きたい者だけが働けばいい」
「そこで得た利益はギルド貨幣で支払う」
広場の空気が少し変わる。
生活保障労働ではない。
だから参加は自由。
だが、新しい仕事が一つ生まれる。
投票の結果、提案は可決された。
翌日から、共同体総出で丘の開墾が始まる。
石を運び、畑を広げ、苗木を植える。
農閑期には、醸造所の基礎工事。
ワイン作りに向けた作業が進められていく。
その年、収穫はまだ無かった。
葡萄の株はまだ小さく、実をつけることはない。
「来年が楽しみだな」
男は土で汚れた手を見ながら笑った。
自分は酒造りなんて詳しくない。
来年からは工場へ戻るつもりだ。
でも、この葡萄畑は少し誇らしかった。
この街のみんなで作った、新しい仕事だからだ。
「それに——」
男は、これといって熱中できる趣味もなかった。
休日に少し働けば、ギルド貨幣が手に入る。そんな場所があるのも、悪くない。
男はそう思った。
◇
この掌編では、「公共ギルド」と「ギルド貨幣」という言葉が登場した。どちらも、この社会制度を考える上で重要な仕組みである。
次回から、この二つの考え方について、もう少し詳しく掘り下げてみたい。




