100人の村
今回は、なぜ私は「生活保障労働」と「ギルド経済」を分けるべきと考えたのか、そのきっかけになった思考実験を書いてみたい。
舞台は、とても小さな村だ。人口は100人。
みんなで仲良く、慎ましいながらも毎日を精一杯生きている。
やがて、農業をする人、家を建てる人、服を作る人、道具を作る人、みんなで役割を分担するようになった。その方が効率的だったから、適材適所というやつだ。
さて、ここで一つ発明が生まれたとする。
今まで十人で行っていた農作業が、五人で済むようになる便利な道具だ。
本来なら、余った五人は休めるはずである。
あるいは、みんなの労働時間を半分にしても、村の暮らしは変わらず成り立つかもしれない。もちろん現実の経済はもっと複雑だ。ここでは話を単純にするため、一つのモデルとして考えてみたい。
現実では、余った五人がそのまま休めるとは限らない。発明者への対価も必要になるし、生産を続ければ供給過多で価格も下がる。そうなると、余った人たちは新しい仕事を探さざるを得なくなることが多いだろう。
家具を作る人が現れる。 酒を造る人が現れる。 音楽を奏でる人が現れる。 もっと便利な道具を研究する人もいるだろう。
村は以前より豊かになる。
これは、とても良いことだ。
私が疑問に思うのは、その次である。
新しく生まれた豊かさも、毎日の生活も、すべて同じ市場で取引されると何が起こるのだろう。
より多く働く人。 より多く価値を生み出す人。 より成功する人。
そうした人たちが経済を大きくしていくこと自体は悪いことではない。
しかし、その競争と同じ市場で「生きるためのお金」まで稼がなければならないとしたらどうだろう。
もっと豊かになりたい人の競争に、最低限の暮らしで満足する人まで巻き込まれてしまうのでは無いだろうか。
競争は、本来「より良いもの」を生み出すための仕組みだったはずなのに、いつしか「生きるために必要なもの」まで競争の対象になってしまう。
私は、この二つを分けて考えられないだろうかと思った。
生活を維持するための仕事。そして、暮らしをより豊かにするための仕事。
前者は、社会全体で支え合う。後者は、それぞれが自由に挑戦する。
競争をなくすのではない、競争する場所を変えるのである。生きるためではなく、より良いものを生み出すために競争する社会。
そんな世界なら、技術が進歩したとき、その恩恵を「仕事を失う不安」ではなく「自由な時間が増える喜び」として受け取れるのではないだろうか。
もちろん、これはまだ思考実験に過ぎない。
「生活を保障する範囲はどこまでなのか」「誰がその仕組みを管理するのか」といった課題は数多く残っている。
それでも私は、社会の土台を一度白紙に戻して考えてみる価値はあると思っている。
ファンタジーだからこそ描ける社会制度が、現実を考えるヒントになることもあるかもしれない。
もちろん課題はある。
このような余裕のある暮らしを、社会全体で実現するには、一体どれほどの技術力と資源が必要なのだろうか。
生活保障をどこまで保障するのか。医療、教育、交通、インフラ……。また、競争する場所を変えれば、本当に技術革新は続くのだろうか。
原則として、全員が短時間だけ社会を支え、残りの時間を自由な創作やサービスに使う社会。
そんな社会は、本当に豊かと言えるのだろうか。
次回は、この社会の土台となる考え方──「なぜ全員で生活保障労働をするのか」について、もう少し掘り下げてみたい。
◇
本日の畑仕事を終えた男は、村の広場を歩く。
今日も誰かが歌っている。
少し前まで、この村に歌い手はいなかった。
新しい農具ができてからだ。
畑仕事をしなくても暮らせる人が増え、余った時間で歌う人、本を書く人、酒を造る人が現れた。
男は、その歌が嫌いではなかった。
いや、むしろ好きだった。
仕事帰りに聞く歌は、一日の疲れを忘れさせてくれる。
村は確かに豊かになった。
それなのに。
「なんで俺は、昔より忙しいんだろうな」
男は三角鍬を肩に担ぎながら空を見上げた。
村には歌が増えた。
酒も増えた。
本も増えた。
でも、畑に立つ時間は減らなかった。
それどころか、新しく生まれた仕事を支えるために、畑はもっと多くの収穫を求められるようになっていた。
「歌が悪いわけじゃないんだけどな」
誰に言うでもなく呟く。
「俺も、本当は木彫りでも始めたかったな……」
————
そこで目が覚めた。
「……夢か」
思わず苦笑する。
あんな世界だったら、木彫りなんて一生始められなかっただろう。
朝の冷たい空気が心地よい。
今日も良い天気になりそうだ。
身支度を整え、仕事へ向かう。
この時期は畑の草取りが主な仕事だ。
太陽が高くなる前に、できるだけ終わらせてしまおう。
「おはようさん」
「おはよう!」
畑には続々と人が集まってくる。
「今日もがんばろー」
「「おーう」」
皆、それなりに一生懸命働いている。
手を抜く理由も無い。手を抜けば巡り巡って自由な時間が減るだけだ。
定時に仕事を終えた男は、趣味で作っている彫刻の事を考えながら帰路に着く。
日はまだ高い。
もう少しで、木彫りの作品が完成する予定だ。
「もう少しで完成だな」
男は、作りかけの木彫りを思い浮かべて笑った。
「雑貨ギルドにでも登録してみるか。もし売れたら、新しい彫刻刀でも買おうかね」




