第8話 エミリア -Emilia-
EDEN刑務所では、男女囚人の接触は基本的に禁止されていた。
男子棟と女子棟は完全に分離されており、食堂も運動場も別々だ。
だが、完全隔離は囚人の精神状態を不安定にする。
そのため、週に数回だけ“娯楽ホール”が開放されていた。
映画。
音楽。
演劇。
わずかな時間だけ、男女の囚人が同じ空間へ集められる。
もっとも、自由ではない。
ホール内には常に看守が立っている。
軽い会話程度なら黙認されるが、身体接触は禁止。
抱擁。
接吻。
手を握る行為ですら懲罰対象だった。
実際、過去には肩へ触れただけで懲罰房送りになった囚人もいる。
囚人たちは、それをよく理解していた。
*
ジェイクは、娯楽ホールの最後列へ腰を下ろした。
古びた映画が流れている。
誰も真面目に見ていない。
囚人たちは雑談し、煙草を吸い、時間を潰している。
ジェイクも映画など見ていなかった。
頭にあるのは、あのパンフレットのことだけだ。
帰還デバイス。
無断使用禁止。
そして、突然消えた冊子。
「……帰還、ねぇ」
ジェイクはぼそりと呟いた。
その時だった。
「あなたがジェイク・ウォーカー?」
女の声。
ジェイクはゆっくり顔を上げる。
隣の席へ、一人の女囚人が座っていた。
五十代くらいに見える。
白髪混じりの長い髪。
痩せた頬。
だが、その目だけは妙に若々しく鋭かった。
「……誰だ、あんた」
「エミリア」
女は短く名乗った。
「少し話したいことがあるの」
ジェイクは眉をひそめる。
周囲には看守が立っている。
下手な会話は危険だった。
「俺はねぇよ」
「あるはずよ」
エミリアは前を向いたまま、小さな声で続ける。
「あなた、この刑務所をおかしいと思ってる」
ジェイクの目が細くなる。
「……誰に聞いた」
「噂」
「三十年間、何度も脱獄を試みた男がいるって」
ジェイクは鼻を鳴らした。
「ただの笑い話だ」
「でも諦めてない」
ジェイクは答えない。
エミリアも無理に追及しなかった。
しばらく、映画の音だけが流れる。
古い白黒映画だった。
誰も見ていない。
その時、前方で若い囚人同士が小突き合いを始めた。
看守が怒鳴る。
「静かにしろ!」
一瞬、ホールの空気が張り詰める。
エミリアは、その隙に小さく囁いた。
「あなた、何か見たのね」
ジェイクは反応しなかった。
だがエミリアは確信したように続ける。
「普通じゃない何かを」
ジェイクはゆっくり女を見る。
その目。
あまりにも真剣だった。
ただの興味本位には見えない。
「……なんでそう思う」
エミリアは少し黙り込んだ。
やがて、静かに言う。
「私も、ずっと感じてたから」
ジェイクは眉をひそめる。
「何をだ」
「違和感よ」
エミリアはスクリーンを見つめたまま続けた。
「ここ、時々おかしいの」
「でも説明できない」
「ただ……現実にしては、綺麗すぎる」
ジェイクは思わず笑った。
「綺麗? このクソ刑務所が?」
「そういう意味じゃない」
エミリアは首を振る。
「全部が整いすぎてるの」
「……」
「人間って、もっと曖昧なものよ」
ジェイクは何も言わなかった。
だが心のどこかで、その言葉に引っかかるものがあった。
エミリアは小さく続ける。
「あなた、何を見たの?」
ジェイクはしばらく黙っていた。
遠くで看守の靴音が響く。
周囲の囚人たちは映画へ飽き始めている。
ジェイクは長く息を吐いた。
「……パンフレットだ」
エミリアの目がわずかに動く。
「見学ツアーの連中が落としていった」
「そこに妙なことが書いてあった」
「帰還デバイスとか、無断使用禁止とか……」
その瞬間だった。
エミリアの表情が変わった。
血の気が引く。
「……なんですって」
ジェイクは初めて、この女が本気で怯えているのを見た。
エミリアは震える声で聞く。
「それ……その後どうなったの」
「消えた」
「……!」
「目の前で突然な」
短い沈黙。
エミリアは唇を噛み締める。
そして、小さく呟いた。
「やっぱり……」
ジェイクは女を見る。
「何がやっぱりだ」
エミリアは答えなかった。
ただ、スクリーンの白い光を見つめながら、震える声でこう言った。
「ジェイク……」
「ここ、本当に現実なのかしら」




