第7話 見学者 -Visitor-
三十年。
ジェイク・ウォーカーは、EDEN刑務所で三十年を過ごしていた。
今では“古参囚人”と呼ばれている。
新入りたちは、白髪混じりの長い顎髭と深い皺を見て、自然と道を開けた。
ジェイク自身、もう脱獄を口にすることはなかった。
若い頃は違った。
この刑務所へ入って最初の十年、何度も脱獄を試みた。
搬出口。
監視塔。
配膳車。
洗濯室。
囚人同士の喧嘩を利用した陽動まで試した。
だが、全て失敗した。
警備が特別厳重なわけではない。
むしろ普通だ。
なのに、最後には必ず捕まる。
まるで刑務所そのものが、自分の行動を知っているかのように。
だが理由は分からなかった。
だから今では、新入りへこう言う側になっていた。
「やめとけ。無駄だ」
囚人たちは笑う。
「ジジイ、びびってるのか?」
「昔は脱獄王だったらしいぜ」
ジェイクは何も言い返さない。
どうせ、そのうち分かる。
ここからは逃げられない。
*
その日も、いつもと変わらない朝だった。
点呼。
朝食。
労働。
単調な毎日。
作業を終えたジェイクが中庭へ戻る途中、妙に騒がしい声が聞こえてきた。
若い囚人たちがフェンス越しに何かを見ている。
「おい、来たぞ」
「今日は多いな」
ジェイクは眉をひそめた。
見学ツアーだった。
一般市民によるEDEN刑務所見学。
時々ある行事だ。
政府はEDENを“更生の成功例”として大々的に宣伝している。
その一環として、希望者向けの見学ツアーが存在していた。
囚人たちにとっては珍しくもない。
ただの暇つぶしだ。
「物好きな連中だな」
ジェイクはぼそりと呟く。
見学客たちは看守に案内されながら施設内を歩いていく。
収容棟。
作業場。
懲罰房。
そして娯楽ホール。
政府は、この刑務所が“人道的”であることを積極的に宣伝していた。
『受刑者にも文化的生活を』
『適度な娯楽は更生を促します』
そんな説明が聞こえてくる。
ジェイクは鼻で笑った。
「くだらねぇ」
見学客たちは囚人たちを興味深そうに眺めている。
若いカップル。
背広姿の男。
着飾った女。
老夫婦。
その目は、どこか似ていた。
まるで動物園の檻に入った動物を見るような目。
ジェイクは心の中で毒づく。
――やめてくれ。
――そんな目で俺たちを見るな。
「すごい……」
「本物の刑務所と変わらないわ」
「空気までリアルだな」
そんな声が聞こえる。
ジェイクは少しだけ違和感を覚えた。
刑務所を見て楽しそうにする連中など、普通はいない。
だが、その程度だった。
見学客など、所詮は外の人間だ。
囚人の人生など他人事なのだろう。
ジェイクは興味を失い、その場を離れた。
だが、その日――
彼の人生を変える“ある出来事”が起こった。
*
夕方。
見学ツアーの一団が去って行った後だった。
ジェイクは通路を歩いている途中、小さな冊子が落ちているのを見つけた。
「……?」
拾い上げる。
薄いパンフレットだった。
表紙にはEDEN刑務所見学ツアーと書かれている。
ジェイクは眉をひそめながら中を開いた。
施設案内図。
集合場所。
見学時間。
注意事項。
そこまでは普通だった。
だが、一つの文章が目に止まる。
『帰還デバイスを紛失しないでください』
ジェイクは目を細めた。
帰還?
意味が分からない。
さらに下にはこう書かれていた。
『緊急時は担当職員へ連絡してください』
『無断使用は禁止されています』
ジェイクはゆっくりと顔を上げる。
「……なんだこれ」
刑務所見学のパンフレットにしては妙だった。
まるで別の世界へ行く観光案内みたいな書き方だ。
その時、遠くで看守の声が響く。
「見学ツアー終了します。点呼開始」
ジェイクは無意識にパンフレットを握りしめた。
*
しばらくすると。
ジェイクの手の中で、パンフレットが突然消えた。
「……!?」
跡形もなく。
まるで最初から存在しなかったかのように。
ジェイクは凍りつく。
床を見る。
袖を見る。
だが、どこにもない。
確かに持っていた。
触っていた。
読んでいた。
なのに消えた。
ジェイクはゆっくりと周囲を見回した。
囚人たち。
看守。
誰も気づいていない。
いつも通りの刑務所。
いつも通りの日常。
だがジェイクの背中には、じっとりと冷たい汗が流れていた。
「……なんだ、今の」
その夜。
三十年間で初めて。
ジェイクは本気で恐怖を覚えていた。




