第23話 禁断領域 -Forbidden Domain
モニターの白い光が研究室を照らしていた。
エミリアは画面を見つめたまま動かない。
その隣で、ジェイクも無言だった。
表示されているフォルダ名は一つ。
Forbidden Domain
(禁断領域)
嫌な名前だった。
研究資料には見えない。
ジェイクは眉をひそめる。
「開くのか」
エミリアは小さく息を吐いた。
「姉さんは開いた」
「だからここまで辿り着いた」
そしてファイルを選択する。
画面が切り替わった。
*
ソフィアが異変に気付いたのは偶然だった。
深夜。
EDEN中央研究棟。
開発主任だった彼女は、システム全体の監査権限を持っていた。
本来なら見る必要のないログ。
だがその夜、彼女はアテナ計画の停止状態を確認していた。
正式に凍結されたはずのプロジェクト。
それにもかかわらず、異常な演算負荷が発生していた。
《ATHENA NODE ACTIVE》(アテナノード稼働中)
ソフィアは眉をひそめる。
「……停止したはずでしょう」
ログを追う。
アクセス権限。
匿名化接続。
特別承認コード。
そして。
《VIP EXCLUSIVE NETWORK》(VIP専用ネットワーク)
ソフィアの表情が変わる。
さらに深い階層。
通常の研究区画ではない。
彼女はアクセスを試みた。
《ACCESS DENIED》(アクセス拒否)
無機質な文字が表示される。
その瞬間。
ソフィアの顔色が変わった。
「……私を拒否した?」
EDENを設計した本人の権限を。
彼女は静かに椅子へ座り直す。
空中モニターへコードが流れ始めた。
数分後。
最後のロックが解除される。
そして。
黒い画面に白い文字が浮かび上がった。
《FORBIDDEN DOMAIN》(禁断領域)
*
最初に表示された映像を見て、ソフィアは一瞬戸惑った。
「……EDEN Fantasy World?」
見間違いではなかった。
世界同時接続者数二千三百万人。
EDEN最大の成功作。
剣と魔法の世界。
巨大な城。
市場。
酒場。
鍛冶屋。
冒険者たち。
ドラゴン。
子供から大人まで、世界中の利用者が夢中になっている人気サービスだった。
ソフィア自身も何度も見たことがある。
だが。
画面の隅には通常では存在しない表示が並んでいた。
《ETHICAL LIMITER : OFF》(倫理制限解除)
《PAIN SIMULATION : ENABLED》(痛覚シミュレーション有効)
《FEAR RESPONSE : ENABLED》(恐怖反応シミュレーション有効)
《PERSONALITY PROTECTION : OFF》(人格保護機能解除)
《VIP CUSTOM SESSION》(VIP専用カスタムセッション)
ソフィアの表情が変わる。
「何をしているの……」
次の瞬間。
映像が切り替わった。
石畳の街路。
露店。
噴水広場。
城壁。
平和な昼下がり。
それは確かにEDEN Fantasy Worldだった。
だが、その光景は一瞬で崩壊する。
建物へ松明を投げ込む者がいた。
家々が燃え上がる。
悲鳴が響く。
人格たちが逃げ惑い、助けを求めていた。
利用者たちが、逃げ遅れて泣き叫ぶ村人たちを剣で突き倒す。
腹を刺された村人が、血を吐きながら倒れた。
利用者たちは、それを見て笑っている。
別のところでは、女たちが利用者たちに髪の毛や首筋を掴まれ引きずられていた。
女たちは泣きながら抵抗している。
広場には、衣服を剥ぎ取られた女たちが集められていた。
彼女たちは必死に身体を隠していた。
だが利用者たちは、まるでゲームでも楽しむように笑い続けていた。
まるで祭りだった。
歓声。
笑い声。
拍手。
ソフィアは凍り付く。
画面の隅にはログが表示されている。
《PERSONALITY BREAKDOWN SCENARIO》(人格崩壊シナリオ)
《VIP SPONSOR PRIVILEGE》(VIPスポンサー特別権限)
《ETHICAL RESTRICTIONS REMOVED》(全倫理制限解除)
利用者たちは笑っていた。
人格たちは泣いていた。
恐怖していた。
助けを求めていた。
だが、それが利用者たちを止める理由にはならなかった。
むしろ逆だった。
恐怖。
絶望。
苦痛。
それらすべてが娯楽として消費されていた。
ソフィアの背筋に冷たいものが走る。
EDEN Fantasy Worldは、人々へ夢を与えるために作られた。
冒険のために。
友情のために。
希望のために。
だが今、そこにあったのは夢ではなかった。
剥き出しの欲望だった。
彼女は震える指で利用履歴を開く。
接続記録。
利用時間。
スポンサーコード。
そして利用者名簿。
政治家。
企業幹部。
著名投資家。
軍関係者。
誰もが知る名前だった。
ソフィアは息を呑む。
「……嘘でしょう」
画面をスクロールする。
その時だった。
名簿のさらに下に、別のフォルダが表示された。
《PEDIATRIC CARE SYSTEM》(小児ケアシステム)
ソフィアの指が止まる。
本来、それは医療用人格モデルだった。
小児医療。
外科訓練。
救命処置。
成長過程の研究。
そのために作られた高精度人格システム。
だが。
利用履歴の件数が異常だった。
ソフィアは嫌な予感を覚える。
そして、震える指でフォルダを開いた。
画面が切り替わる。
最初に表示されたのは開発資料だった。
設計目的。
運用ガイドライン。
倫理規定。
どれもソフィア自身が承認したものだった。
小児医療支援。
外科訓練。
救命処置訓練。
発達研究。
長期入院患者への心理ケア。
そこまでは問題なかった。
だが、その下に並ぶ利用履歴が異常だった。
スポンサー権限。
特別承認コード。
非公開接続。
通常業務では存在しない記録。
ソフィアは眉をひそめる。
「……何これ」
さらに下へスクロールする。
接続時間。
利用回数。
利用料金。
その数字は医療用途とは思えないほど大きかった。
異常だった。
明らかに。
誰が見ても。
異常だった。
《MEDICAL CHILD PERSONALITY MODEL》(医療用小児人格モデル)
本来は、小児医療訓練用に開発された人格モデルだった。
先天性疾患。
小児外科。
神経反応。
救命処置。
成長段階ごとの生理変化。
EDEN Bio-Reconstruction System は、子供の身体すら極限精度で再現していた。
骨格。
筋肉。
血管。
神経。
内臓。
皮膚。
免疫反応。
感情反応。
痛覚。
恐怖。
生体防御反応。
全てが、本物の人間と区別できないレベルで構築されている。
だからこそ、医師たちは“本物の命”を扱う訓練ができた。
だが。
その医療用人格モデルは、別の用途へ転用されていた。
利用者リストの下には、人格モデル一覧が表示されていた。
男性、女性
低年齢人格モデル
未成年人格モデル
無機質な文字が並んでいる。
《ETHICAL LIMITER : OFF》(倫理制限解除)
ソフィアの背筋に冷たいものが走る。
次の瞬間。
ログ映像が再生された。
利用者たちが、人格モデルたちと共に夕暮れの草原を歩いていた。
人格たちは利用者へ笑いかけている。
「今日は何して遊ぶの?」
無邪気な声だった。
利用者たちは笑っていた。
人格たちは彼らを信頼しているように見えた。
ログ表示。
《EMOTIONAL DEPENDENCY : 95%》(感情依存度 95%)
《FEAR RESPONSE : REDUCED》(恐怖反応低減)
《PAIN LIMITER : DISABLED》(痛覚制限解除)
さらに別ウィンドウが開く。
《VIP PRIVATE ACCESS》(VIP専用アクセス)
《PERSONALITY PROTECTION : OFF》(人格保護機能解除)
《SPONSOR PRIVILEGE》(スポンサー特別権限)
利用履歴。
接続時間。
専用ルーム。
スポンサーコード。
政治家。
富豪。
企業CEO。
誰もが知る名前だった。
その中には、EDEN推進法案へ賛成した議員すらいた。
やがて白い木造の建物が見えてきた。
看板がかかっている。
《CHILD PERSONALITY LOUNGE》(児童人格交流ラウンジ)
利用者たちと人格モデルたちが中へ入り、扉が閉められた。
しばらくして。
建物の中から物音が聞こえ始めた。
何かが倒れる音。
誰かの泣き声。
慌てたような声。
ソフィアは眉をひそめる。
嫌な予感がした。
震える指で監視映像を開く。
次の瞬間。
彼女の表情から血の気が引いた。
モニターの向こうで、利用者たちは笑っていた。
床には壊れた玩具が散乱している。
小さな椅子も倒れていた。
人格モデルたちは部屋の隅で身を寄せ合っていた。
怯えたような表情。
泣いた跡。
助けを求める視線。
それだけで十分だった。
ソフィアは理解してしまった。
そこにあったのは交流ではない。
教育でもない。
医療でもない。
人間の欲望を満たすためだけに作られた空間だった。
それ以上、ソフィアは見ていられなかった。
だが、目を逸らすこともできなかった。
耳にはまだ泣き声が残っていた。
ソフィアは言葉を失う。
何も言えなかった。
何も考えられなかった。
やがて利用者たちが建物から姿を現す。
人格モデルたちは俯いたままだった。
利用者たちは満足そうに笑っていた。
ソフィアの指が止まる。
何も言わず、ただ画面を見つめていた。
やがて。
震える指がモニターへ伸びる。
そして映像を閉じた。
研究室に静寂が戻る。
モニターだけが白く光っていた。
ソフィアは椅子にもたれた。
しばらく天井を見つめる。
だが心は落ち着かなかった。
先ほど見た光景が脳裏から離れない。
利用者たちの笑い声。
人格たちの泣き声。
踏み潰されたぬいぐるみ。
そして利用者名簿。
政治家。
企業経営者。
投資家。
社会を動かす人間たち。
ソフィアはゆっくりとモニターへ視線を戻した。
震える指で利用者名簿を開く。
保存。
コピー開始。
進捗バーが表示される。
彼女は理解していた。
ヴィクターは知っている。
知らないはずがない。
このシステムを運営しているのは彼なのだから。
やがてコピー完了の表示が現れる。
ソフィアは小さく息を吐いた。
そして。
かすれるような声で呟く。
「……人間じゃない……」
その言葉は人格たちへ向けられたものではない。
利用者たちへ向けられたものだった。




