第19話 ガラスの花 -Glass Flower-
ソフィアの部屋は、静かだった。
あまりにも静かすぎた。
棚。
本棚。
机。
白い壁。
そこには、誰かが生きていた痕跡だけが残っている。
だが――生活の熱がなかった。
ジェイクは低く言った。
「……綺麗すぎるな」
エミリアも静かに頷く。
「ええ」
机の上には薄型端末。
研究用 PC。
外部ストレージ。
しかし、どれも不自然だった。
生活感だけが、綺麗に消えている。
エミリアはソフィアの PC を起動した。
数秒後。
画面には、無機質な初期セットアップ画面が表示された。
言語設定。
ネットワーク接続。
ユーザー登録。
工場出荷状態。
ジェイクが眉をひそめる。
「……やっぱり初期化されてるか」
「ええ」
エミリアは静かに答えた。
「ヴィクターは徹底する」
「初期化くらい当然やる」
ジェイクは腕を組む。
「じゃあ、もう何も残ってないのか?」
「保存データは……期待しない方がいいわね」
そう言いながらも、エミリアは画面から目を離さなかった。
ゆっくりとカーソルを動かす。
《続行》
をクリックした。
ジェイクが怪訝そうな顔をする。
「何してる?」
「確認よ」
エミリアは静かに言った。
「姉さんなら、完全に消される前提で動く」
「けど、私がこのパソコンに触れることも想定内」
「残すとしたら……」
セットアップ画面が進んでいく。
システム確認。
ストレージ診断。
初期構成。
無機質な文字列が流れる。
そして――
一瞬だけ。
画面左下へ、小さな花のマークと数字が表示された。
✿ 0427
次の瞬間には消えていた。
ジェイクが目を細める。
「……今のは?」
エミリアの動きが止まる。
「……姉さん」
彼女は小さく息を吐いた。
「ヴィクターは、私を EDEN へ閉じ込めたことで安心したのよ」
「もう計画を邪魔する者はいないって」
「だから、このパソコンも初期化して終わりだと思った」
「だけど姉さんは……」
エミリアは、そっと画面へ触れた。
「私がセットアップへ進むところまで考えてたのよ」
「つまり、OS に仕掛けをしたんだわ」
短い沈黙。
そしてエミリアは、ほんの少しだけ笑った。
「……ありがとう、姉さん」
ジェイクが尋ねる。
「意味が分かるのか?」
「0427 は姉さんの誕生日」
「花は……」
エミリアの視線が、ゆっくり部屋の奥へ向いた。
棚。
ガラスケース。
その中に、小さなガラス細工が置かれている。
一輪の花。
透明なガラスで作られた、小さな置物。
エミリアの目が揺れた。
「……あれよ」
彼女は近づき、そっとケースを開く。
ガラスの花を手に取った。
「私が姉さんへプレゼントしたの」
「誕生日に」
ジェイクが低く言う。
「それがヒントか」
「ええ」
エミリアは静かに頷く。
「姉さんは昔から、こういう隠し方をする」
「技術者っていうより……昔から悪戯好きだった」
彼女は置物を裏返した。
底面。
そこには、小さな白いシールが貼られていた。
エミリアの呼吸が止まる。
「……あった」
震える指で剥がす。
そこに書かれていたのは、長い文字列だった。
K3258B4AF9
E-77 / S-K / MEMORY VAULT
9X-44A-KL992-ZETA-7713-AX
ジェイクが息を呑む。
「……これが本命か」
「ええ」
エミリアは頷いた。
「パスワード……」
「保管領域……」
「アクセスキー……」
彼女は小さく息を吐く。
「姉さん、本当に全部残してたのね」
エミリアは、部屋の隅に置かれていた EDEN 接続端末の前へ座った。
黒い画面。
認証画面。
彼女はソフィアの ID と、シールに書かれていたパスワードを入力する。
数秒の沈黙。
そして――
《ACCESS ACCEPTED》
画面が切り替わり、ソフィアの管理画面が開かれた。
無数のフォルダ。
研究資料。
内部映像。
削除済みログ。
そして――
機密レポート。
ジェイクは眉をひそめる。
「まだ残ってたのか」
「ヴィクターは、私を EDEN に閉じ込めたことで油断したのよ」
「姉さんの ID も削除していない」
「データも残ってる」
エミリアの目が細くなる。
「もっとも……EDEN 内部の研究データは、ヴィクター自身にとっても重要なのよ」
「迂闊には消せない」
画面には、ロックされたフォルダが並んでいた。
その中に。
《E-77 / S-K / MEMORY VAULT》
エミリアは、それをクリックした。
アクセスコード入力画面。
彼女はシールに書かれていたキーを入力する。
9X-44A-KL992-ZETA-7713-AX
一瞬の沈黙。
そして――
ロックが解除された。
フォルダの中には、無数の機密ファイルが並んでいた。
研究ログ。
実験映像。
被験者記録。
内部監査資料。
そして最上段。
《Dependency Report》
――依存症報告書。
エミリアの顔から血の気が引いた。
「……姉さん」
ジェイクが静かに尋ねる。
「何を見つけた?」
エミリアはゆっくり答えた。
「EDEN の……本当の危険性よ」




