第17話 違和感 -Unease-
高い鉄門は閉ざされていた。
深夜の屋敷は静まり返っている。
庭園灯だけが敷地を淡く照らしていた。
ジェイクは門越しに屋敷を見上げる。
思っていたほど豪華な家ではなかった。
広い庭はある。
建物も大きい。
だが金持ちが趣味で建てるような豪邸とは違う。
落ち着いた外壁。
古い洋館。
どこか年月を感じさせる佇まいだった。
「意外だな」
ジェイクが呟く。
「何が?」
「もっと派手な家かと思った」
エミリアは少し笑った。
「姉さんが嫌ったのよ」
「派手なのをか?」
「ええ」
彼女は屋敷を見つめた。
「ここは私たちの実家だから」
短い沈黙。
「思い出まで作り替えたくないって言ってた」
そう言いながら認証パネルへ指を置く。
電子音。
ロック解除。
鉄門がゆっくり開いた。
「まだ登録されてるのか」
「家族だったもの」
エミリアは肩をすくめた。
「消されてなくても不思議じゃないわ」
二人は敷地へ入った。
*
玄関扉も同じだった。
生体認証。
電子ロック。
そして静かな解錠音。
扉がゆっくり開く。
冷えた空気が流れ出した。
人の気配はない。
だが放置されているわけでもなかった。
家具は整えられ、
床も綺麗なまま。
生活感だけが消えている。
住人が帰らなくなった家。
そんな印象だった。
エミリアは玄関ホールへ足を踏み入れる。
壁。
階段。
照明。
飾り棚。
二週間前に見た時と何も変わっていない。
あの日もここへ来た。
姉を殺した犯人を探すために。
そして――
その夜、自分もまたEDENへ送られた。
「変わってないな」
ジェイクが言う。
「ええ」
エミリアは小さく頷いた。
「二週間前と同じ」
短い沈黙。
「本当なら、もっと早く戻るつもりだったんだけど」
苦笑する。
「気が付いたら二十一年経ってたわ」
ジェイクが鼻で笑った。
「俺は三十年だ」
「知ってるわ」
「勝ったな」
「何を競ってるのよ」
二人は少しだけ笑う。
だが、その笑顔はすぐ消えた。
ここは笑うための場所ではない。
その時だった。
ジェイクの視線が玄関脇の棚へ向く。
「そういや……」
何かを思い出したように呟く。
「ここだったな」
「何が?」
「荷物を置いた場所だ」
エミリアが振り返る。
ジェイクは玄関脇を指差した。
「……あの日のこと、まだ覚えてる」
彼は少し目を細めた。
『重かったでしょう』
『ありがとうございます』
ソフィアは申し訳なさそうに笑った。
『せめてこれ、飲んでいってください』
彼女は冷えた缶コーヒーを差し出した。
『ここで飲んでいってもいいですか?』
『どうぞ』
『飲み終わったら、そこのゴミ箱へ入れておいてくださいね』
ジェイクは小さく息を吐いた。
「感じのいい人だったよ」
ジェイクは静かに言う。
「普通は荷物を受け取って終わりだろ」
「礼を言って、それで終わりだ」
「でも君の姉さんは違った」
エミリアは小さく笑った。
「姉さんらしいわ」
その一言には懐かしさが滲んでいた。
「昔からそうだった」
「困ってる人を見ると放っておけないの」
ジェイクは頷く。
「そんな風に見えた」
短い沈黙。
そして低く続ける。
「だから余計に信じられねぇ」
視線が屋敷の奥へ向く。
「俺が会った翌日に死んだなんてな」
エミリアは何も言わなかった。
ただ静かに頷く。
そしてリビングの方へ歩き出す。
ジェイクも後に続いた。
やがて彼は思い出したように口を開く。
「そういえば」
「何?」
「君が刑務所に入った理由を、まだ聞いてなかったな」
エミリアの足が止まる。
静かな部屋。
壁時計の音だけが響いていた。
「ヴィクターが犯人かもしれないって言ってたよな」
「ええ」
エミリアは棚へ視線を向ける。
そこには小さなガラス細工が置かれていた。
「あなたが犯人じゃないって確信したから」
ジェイクは眉をひそめる。
「どうやって?」
エミリアは小さく息を吐いた。
長い記憶を呼び起こすように。
「――その話をするには」
エミリアはガラス細工を見つめた。
「まず、これの話からしなきゃいけないわね」
エミリアはガラス細工へ近付いた。
透明なガラスの中へ小さな花が閉じ込められている。
月明かりを受けて静かに輝いていた。
「その置物か」
ジェイクが言う。
「ええ」
エミリアは小さく頷いた。
「半年前の誕生日に贈ったの」
指先がガラスへ触れる。
「姉さん、すごく喜んでくれた」
*
『綺麗ね』
ソフィアは目を輝かせた。
『ありがとう』
『どこに置こうかしら』
そう言いながら部屋を見回す。
やがて棚の前で立ち止まった。
『ここね』
嬉しそうに笑う。
『ここが一番似合うわ』
ソフィアは自らの手でガラス細工を棚へ置いた。
『見るたびに思い出せるもの』
『あなたから貰ったって』
エミリアは照れ臭そうに笑った。
『大袈裟よ』
『そんなことないわ』
ソフィアは本気だった。
あの笑顔をエミリアは忘れていない。
*
「姉さんの葬儀が終わったあと」
エミリアは静かに言った。
「警察で証拠映像を見せられた」
ジェイクは黙って聞いている。
「あなたが犯人だという映像」
リビング。
争う二人。
倒れるソフィア。
血。
悲鳴。
全てが鮮明だった。
「警察は本物だと言った」
「AI解析でも改ざんは無いって」
「でも私は何かおかしいと思った」
「何が?」
「分からなかった」
エミリアは首を振る。
「本当に小さな違和感だったから」
「説明も出来なかった」
「ただ……何かが引っ掛かってた」
だから彼女はヴィクターへ連絡した。
*
『話があるの』
『今から行ってもいい?』
少し沈黙。
『急だな』
ヴィクターが笑う。
『そんなに急ぐのかい?』
『ごめんなさい』
『姉さんの思い出の品を取りに行きたいの』
『わがまま言ってるのは分かってる』
電話の向こうで小さな笑い声が聞こえた。
『構わないよ』
『待っている』
*
その夜。
エミリアは再びこの家を訪れた。
ヴィクターはリビングで待っていた。
テーブルには紅茶が置かれている。
だがエミリアは違和感を覚えた。
ソフィアを失った男には見えなかった。
悲しみが薄い。
演技を見ているようだった。
エミリアは会話を続けながら部屋を見回した。
そして。
棚を見た瞬間。
全てが繋がった。
ガラス細工。
半年前に贈ったプレゼント。
今もそこにある。
だが。
警察で見た犯行映像には映っていなかった。
その瞬間。
警察で見た映像への違和感の正体を理解した。
「義兄さん」
「ん?」
「姉さんの誕生日のあと」
「この部屋、模様替えした?」
ヴィクターは不思議そうな顔をした。
「してないよ」
「どうしてだい?」
エミリアは棚を見つめた。
「そう」
静かな返事。
そして顔を上げる。
「それなら説明がつかないわ」
ヴィクターの眉が動く。
「何が?」
エミリアはガラス細工を指差した。
「これよ」
「私が姉さんへ贈ったプレゼント」
「姉さんはここへ飾った」
「そしてあなたは言った」
「模様替えはしていないって」
沈黙。
「でも警察の映像には映っていなかった」
部屋の空気が変わる。
ヴィクターは黙ったままだ。
エミリアは続ける。
「つまり――」
確信していた。
もう疑いではない。
「あの犯行映像は偽物よ」
長い沈黙。
ヴィクターはしばらく何も言わなかった。
やがて深く椅子へもたれた。
「やれやれ……」
小さな笑み。
「まさかそんな所から見破られるとは思わなかった」
エミリアは目を見開く。
「義兄さん……」
「AIも警察も騙せた」
ヴィクターは苦笑する。
「だが君は騙せなかった」
「さすがソフィアの妹だ」
エミリアの拳が震える。
「本当に……」
声が掠れた。
「本当にあなたが姉さんを殺したの?」
ヴィクターは答えない。
ただ静かに見つめ返す。
「どうして?」
沈黙。
「どうして姉さんを殺したの?」
さらに長い沈黙。
やがて彼は肩をすくめた。
「君には関係ない」
「関係あるわ」
「姉さんは私の家族よ」
ヴィクターは小さく笑った。
「だったら尚更だ」
「これ以上知る必要はない」
エミリアは立ち上がろうとした。
だが。
足元がふらつく。
「……え?」
視界が揺れる。
テーブルへ手をついた。
身体に力が入らない。
ヴィクターは静かに紅茶を口へ運ぶ。
「やっと効いてきたね」
エミリアは息を呑んだ。
「どういう……こと……?」
「君には刑務所へ行ってもらう」
穏やかな声だった。
「正確には」
ヴィクターは微笑む。
「EDENだ」
視界が暗くなる。
床が遠ざかる。
身体が崩れ落ちる。
最後に見えたのは。
無表情で自分を見下ろすヴィクターの姿だった。




