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第15話 外へ -Outside-

 管理端末の画面が静かに光っていた。

《システム正常》

《異常なし》

《監視継続中》

 先ほどまで赤く点滅していた警告表示は、どこにも残っていない。

 まるで最初から何も起きなかったかのようだった。

 エミリアは画面を閉じる。

「行きましょう」

 ジェイクは壁にもたれたまま息を整えていた。

 身体が思うように動かない。

 三十年。

 脳は確かにそれだけの時間を生きていた。

 だが肉体は違う。

 現実では十一日しか経っていない。

 筋肉も関節も若いまま。

 感覚だけが老いていた。

「大丈夫?」

「……たぶんな」

 立ち上がる。

 少しふらつく。

 エミリアは小さく眉をひそめた。

「無理なら言って」

「女に支えられる趣味はねぇ」

「なら頑張りなさい」

 即答だった。

 ジェイクは苦笑する。

 その時だった。

 ふと気付く。

 エミリアを見た。

 じっと。

「……なによ?」

 警戒したような声。

 ジェイクは視線を逸らした。

「いや」

「その……」

 珍しく言葉が続かない。

「だから何よ」

「俺たち」

 一瞬迷う。

「薄着だなって」

 数秒。

 エミリアは意味を理解できなかった。

 だが自分の格好を見下ろした瞬間――

「……あ」

 顔が赤くなる。

 白い薄手の肌着。

 冷却液で濡れた生地が肌へ張り付き、身体の線を隠し切れていない。

 肩。

 腰。

 脚。

 そして胸元。

 本人が思っていた以上に危険だった。

「ちょっと!」

 慌てて胸元を隠す。

「そんなに見ないで!」

「見ようと思ったわけじゃ――」

「見てたじゃない!」

「見えたんだよ!」

「同じことよ!」

 エミリアは慌てて近くのタオルを掴んだ。

 胸元へ巻き付ける。

 濡れた肌着が隠れる。

 だが顔の赤さまでは隠せない。

「そんなに見ないで!」

「だから見ようと思ったわけじゃ――」

「言い訳しない!」

 エミリアは踵を返した。

「さっさと着替えるわよ!」

「はいはい」

「あと忘れなさい!」

「無茶言うな」

「忘れなさい!」

ジェイクは肩をすくめた。

長い年月を過ごした気でいたが、現実では身体は若いままだ。

エミリアも同じだ。

若返ったらしいのは身体だけではないらしい。

あの勢いを見る限り。

          *

 二人は管理区画を離れた。

 白い通路がどこまでも続いている。

 職員の姿は少ない。

 だがゼロではない。

 見つかれば終わりだった。

 エミリアは迷いなく進む。

「どこへ行く」

「更衣室」

「職員用?」

「ええ」

 曲がり角を一つ。

 さらに二つ。

 途中で清掃ロボットとすれ違う。

 壁面モニターには企業広告が流れていた。

《EDEN》

《人生をもう一度》

《限界のその先へ》

 ジェイクは吐き捨てる。

「笑えねぇな」

 エミリアは何も言わなかった。

 やがて一枚のドアの前で立ち止まる。

《STAFF LOCKER》

 職員更衣室。

 エミリアは認証端末へ手を伸ばした。

 数秒。

 電子音。

 ドアが開く。

「まだ残ってるといいけど」

 中へ入る。

 整然と並ぶロッカー。

 制服。

 私物。

 職員たちの日常。

 エミリアは迷わず一番奥へ向かった。

 ロッカー番号。

C―17。

指先が少し震える。

ゆっくり開く。

中には制服が残っていた。

社員証。

古い写真。

そしてネームプレート。

《EMILIA CROFT》

エミリアは一瞬だけ動きを止めた。

現実では一週間前。

だが彼女には遠い昔のように思えた。

二十一年。

EDENで過ごした時間は、それほど長かった。

社員証を手に取る。

「……あった」

「よかった」

小さく呟く。

ロッカーの奥に残された写真へ目が向く。

姉が生きていた頃。

まだ三人とも同じ夢を見ていた頃だった。


ジェイクは黙って見ていた。

 彼女は急いで制服へ着替える。

 そして予備の作業服を取り出した。

「着て」

「サイズ合うのか」

「文句言わない」

 ジェイクは肩をすくめる。

「新人研修中の職員ってことで押し通す」

「無理あるだろ」

「あなたが喋らなければ案外いける」

「ひでぇな」

 エミリアは少しだけ笑った。

 ほんの一瞬だった。

 だがジェイクは初めて見る表情だった。

          *

 再び通路へ出る。

 今度は職員として。

 少なくとも外見上は。

 二人は出口へ向かって歩き始めた。

 しばらく無言だった。

 エミリアは前を向いたまま歩いている。

 だが、その表情はどこか硬かった。

 ロッカーに残っていた写真を思い出しているのかもしれない。


 やがてエミリアがぽつりと呟いた。

「ヴィクター・ケイン」

 ジェイクは苦い顔をした。

「忘れようにも忘れられねぇ名前だな」

 ソフィア・ケイン殺害事件。

 自分を地獄へ送り込んだ事件の中心にいた男だ。

 エミリアは頷く。

「EDEN開発企業CEO」

「姉ソフィアの夫」

 そして。

 その先の言葉は重かった。

「……姉を殺したかもしれない男」

 ジェイクは足を止めた。

「なんだって?」

 エミリアは真っ直ぐ前を見たまま続ける。

「私はそう考えている」

「待て」

 ジェイクは思わず声を荒げた。

「夫のヴィクターがソフィアを殺して――」

「俺を犯人に仕立て上げたって言うのか?」

沈黙。

機械音だけが響く。

「証拠はあるのか」

「まだない」

 エミリアは首を振った。

「だから探す」

「どこで」

 エミリアは少しだけ黙った。

 そして答える。

「私の実家」

 ジェイクは眉をひそめた。

「実家?」

「ええ」

 エミリアは頷く。

「姉さんと私が育った家」

「ヴィクターは姉さんと結婚した後、そこへ住むようになった」

 短い沈黙。

「昔は三人とも仲が良かった」

 その声はどこか遠かった。

「同じ夢を見ていたの」

「人を救うための技術を作るって」

 だが今は違う。

 エミリアは前を向く。

「今あそこにいるのは、人を救うための技術を、自分の欲のために使っている男よ」

 ジェイクは小さく息を吐いた。

「……敵の本拠地ってわけか」

「そうね」

 エミリアは皮肉っぽく笑う。

「それと、私の実家でもある」


「時間がないの」

 その言葉に嘘はなかった。

 警報は消えた。

 AIも騙した。

 だがいつまでも隠し通せるわけではない。

 ヴィクターが気付けば終わりだ。

「なら急ごう」

 ジェイクは歩き出した。

 エミリアも続く。

 白い通路の先。

 出口を示す緑色の表示が見えていた。


 ジェイクにとって、三十年ぶりの現実世界が、その向こうに待っていた。


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