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浮世英伝 ――大正ウキヨ英士伝――  作者: 本堂ポンタ


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9/12

高飛車令嬢と浅草めぐり

挿絵(By みてみん)

「へっ……俺が、ですか?」

 突然の指名に、俺は素っ頓狂な声を上げた。

 美与は、そんな俺の反応が気に食わなかったのか、眉をひそめる。

「何か不満でも? わたくしが直々に指名しているのですよ。光栄に思いなさい」

 有無を言わさぬその物言いに、俺は言葉を失う。

 隣に立つ寡黙な執事は、ただ無言でそのやり取りを見ているだけだった。


 俺が引く人力車に、ドレス姿の高飛車令嬢とその執事が乗り込むという、奇妙な浅草めぐりが始まった。

「もう少し揺らさないように引けないのかしら。これだから素人は」

「道が悪いんでさ。こっちも必死なんですよ、お嬢様」

 美与の嫌味に、俺も負けじと軽口で返す。

 後部座席から感じる、二つの視線。

 美与のそれは、終始俺を試すような、値踏みするような視線だ。

 そして、あの執事のそれは、感情の読めない静かな視線。

 その二つの視線は、まるで俺の魂の奥底までを見透かそうとしているようで、背中に嫌な汗が流れた。

(……なんなんだ、こいつら……)

 ただの道楽で新人を試しているのではない。

 何か、意図があって、俺を試してるのか?

 俺の本能が、警鐘を鳴らしていた。

 二人を乗せた人力車は裏路地を抜け、人通りの多い伝法院通りへ。

 その時だった。

「——危ない!」

「きゃあ!」

 甲高いクラクションの音と共に、通りの先から人々の悲鳴が上がる。

 見ると、一台の黒い自動車が、運転手を失ったのか、猛烈な勢いで蛇行しながらこちらへ突っ込んでくる。

 道行く人々は蜘蛛の子を散らすように逃げ惑い、通りは一瞬にしてパニックに陥った。

「ちっ……!」

 俺は舌打ちし、すぐさま人力車を反転させようとする。

 だが、道幅が狭すぎる。

 反転している間に、確実に鉄の塊に追いつかれる。

「な、何とかしなさいよ!」

 後部座席から、美与の金切り声が響く。

 絶体絶命。

 脳裏に、炎の中でなすすべもなく死んでいった、未来の光景がフラッシュバックする。

(——させるかよ、二度も!)

 その瞬間、俺の体中に、カッと熱い何かが駆け巡った。

 時の流れが、引き伸ばされたように遅くなる。

 俺は、反転を諦めた。

 そして、常人では考えられない行動に出る。

「——うおおおおっ!」

 雄叫びを上げ、人力車の梶棒を握る腕に、ありったけの力を込める。

 そして、自らの体を軸にして、大人二人が乗った重い人力車を、強引に真横へと押しやったのだ。

 ゴゴゴッ、と重い車輪が地面を擦る音。

 直後、暴走した自動車が、轟音と共に俺が今までいた場所を駆け抜けていく。

 そのまま建物の壁に激突し、けたたましい破壊音を立てて黒煙を上げた。

「……はあっ、はあっ……」

 俺は、肩で荒い息をついていた。全身の筋肉が悲鳴を上げている。

 我に返ると、自分がとんでもないことをしでかしたことに気づき、冷や汗が噴き出した。

(……なんだ、今の力……)

 後部座席では、美与が呆然としていた。

 いつもは扇子で隠されているその口元が、驚きにわずかに開いている。

 高飛車な態度は消え失せ、ただ信じられないものを見る目で、俺の背中を見つめていた。

 そして、あの執事は。

 彼は、相変わらず感情の読めない静かな瞳で、俺を、いや全身を見つめている。

 だが、その瞳の奥に、さっきまでとは明らかに違う、鋭い光が宿っているのを、俺は見逃さなかった。

 やがて、我に返った美与が、慌てて扇子で口元を隠す。

「……た、たいした腕力なのね。まあ、わたくしを守る盾としては、及第点かしら」

 その声は、虚勢を張っているのがありありと分かった。

 すると、これまで沈黙を保っていた執事が、初めて口を開いた。

「お嬢様、お怪我は?」

「え、ええ……ないわ」

「左様ですか。……車夫殿、見事な判断力と腕力だ。感謝する」

 感情の抑揚のない、淡々とした口調。

 だが、その一言一句に、彼の知性と品格が滲み出ていた。


 浮世組へと戻る道中、後部座席の二人は、もう何も話さなかった。

 ただ、重く、そして熱を帯びた沈黙だけが、三人を包んでいた。

 浮世組に到着すると、美与は最後まで尊大な態度を崩さぬまま、執事の男と共に政信の旦那の部屋へと入っていく。

 残された俺は、まだ震える自分の掌を見つめた。

 あの二人は、何者なのか。

 そして、俺の中に眠る、この得体の知れない力は、一体何なのか。

 新たな謎が、熱を帯びたまま俺の胸に居座り続けていた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

次回は5月3日(日)19時に更新予定です。

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