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浮世英伝 ―大正ウキヨ英士伝―  作者: 本堂ポンタ
第十五章 新龍穴

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嵐吹く夜

挿絵(By みてみん)

 数日後の夜。

 帝都は、バケツをひっくり返したような土砂降りの雨と、時折空を切り裂く激しい雷鳴に見舞われていた。

「……ひでぇ雨だな」

 酒場『浅魂』の小上がりで、熱燗の猪口(ちょこ)を傾けながら、俺は窓ガラスを打ち付ける雨音を聞いてため息をついた。

 こんな天気の夜は、さすがに人力車の客もつかないし、浮世組の仕事も基本的には待機となる。

 店内には、俺の他に、政信の旦那と清信さんが静かに酒を飲んでいるだけだった。

 攻助さんも、厨房の奥で手持ち無沙汰に小鉢を布巾で拭いている。

「……見事に客が来ねえな。攻助、余った牛すじ煮込み、俺のツケで全部もらおうか」

 政信の旦那が、煙管に火をつけながら気だるげに言った。

「呆れた奴だ。お前のツケはすでに限度額を超えているはずだがな」

 清信さんが、呆れたようにため息をつきながら熱燗を啜る。

「固いこと言うなよ。こんな夜は、美味いもんでも食って寝るに限るぜ」

 そんな、たわいない会話が交わされていた、その時だった。

 ——ゴロゴロ……ピッシャァァァンッ!!

 近くに雷が落ちたのか、鼓膜を破らんばかりの轟音と共に、店内の電灯がチカチカと瞬いた。

 その刹那の暗転。

「……!」

 再び電灯が安定した時、店の入り口に、二つの黒い影が立っていた。

 扉が開く音など、一切しなかったはずだ。

「……いらっしゃい。ひどい雨だったろう。さあ、奥の空いてる席へどうぞ」

 攻助さんが警戒の色を見せずに声をかける。

 濡れた洋傘を静かに畳み、雨よけのトンビコートを脱いで、仕立ての良いスーツ姿を現した二人の男。

 一見すればただの雨宿りのモダンボーイだ。

 だが、その足音を全く立てない滑らかな歩き方と、目深に被った中折れ帽の奥から覗く鋭い眼光に、俺の背筋にゾクリとした悪寒が走った。

(……こいつら、前に江戸城の襲撃を報せに来た……)

 俺が身構えようとしたのを、政信の旦那が目で制した。

 二人の男——将軍直属の隠密である智雪と康雪は、周囲に気取られぬよう自然な足取りで政信の旦那と清信さんの背後に近づき、スッと立ち止まった。

「……何事だ」

 清信さんが、前を向いたまま、唇をほとんど動かさずに低い声で問う。

「美与様より、緊急の報せです」

 兄の智雪が、周囲には絶対に聞こえない、風の音に紛れるような極小の声で囁いた。

「——湾岸地区。新龍穴の『発現予定地』にて、強く禍々しい龍輝の反応を検知しました。現場の情報は錯綜しており、詳細は不明です」

「禍々しい龍輝、だと……!?」

 清信さんの冷静な顔に、明確な驚愕の色が走る。

「……チッ。どしゃ降りの夜に、ずいぶんとデカい花火を打ち上げる気らしいな」

 政信の旦那は、煙管を灰吹にコンと叩きつけて立ち上がった。

 その目は、いつもの昼行灯のような濁ったものではない。

 獲物を狩る直前の、鋭く冷たい獣の目に変わっていた。

「写楽」

「はいッ!」

 旦那の短く鋭い声に、俺は即座に立ち上がった。

「行くぞ。……事態は急を要する。他の連中を集めてる暇はねえ、ここにいる三人で現場へ直行する!」

「応!」

 智雪と康雪がスッと道を空ける。

 俺たちは、攻助さんに短く目配せをすると、酒場『浅魂』を飛び出した。

 肌を刺すような冷たい豪雨の帝都へ。

 平和な日常を切り裂く、新たな死闘の幕開けだった。


 バチバチと窓ガラスを叩きつける豪雨の中、黒塗りの自動車が帝都の夜道を猛スピードで駆け抜けていく。

 ハンドルを握っているのは、先ほど酒場に現れた隠密の弟・康雪だ。

 兄の智雪は別件の任務があるとかで、俺たちをこの車に乗せるとすぐに夜の闇へと消えていた。

 車内には、重苦しい沈黙と、張り詰めた緊張感が漂っていた。

「……なぁ、旦那」

 後部座席に座る俺は、隣で腕を組んで目を閉じている政信の旦那と、助手席で前方を睨みつける清信さんに向かって、ずっと気になっていた疑問を口にした。

「さっき言ってた、『新龍穴』ってなんなんだ? 帝都の龍穴って、江戸城と浅草の二つだけじゃなかったのか?」

 俺の問いに、助手席の清信さんが、窓の外の暗闇を見つめたまま静かに答えた。

「……帝都の龍穴は、常に『三つ』だ、写楽」

「三つ?」

「そうだ。龍脈から溢れ出る莫大なエネルギー……龍輝を安定させるためには、巨大な三つの排出口で均等にバランスを取る必要がある。江戸城、浅草……そしてかつては、赤坂がその役割を担っていたが、五年前の『赤坂龍穴事変』で、赤坂の龍穴はその役割を失ってしまった。……二つの龍穴だけでは、いずれ龍脈の圧力に耐えきれず、帝都の地盤そのものが崩壊してしまう」

「じゃあ……」

「赤坂龍穴が死んだあの日から、いずれ帝都のどこかに『三つ目の新しい龍穴』が発現することは、予見されていたことなんだ」

 清信さんの言葉を引き継ぐように、政信の旦那がゆっくりと目を開けた。

「そして四年前……赤坂龍穴事変の翌年のことだ。美与様に、『新たな龍脈の口は、帝都の東……東京湾の海中に開く』と神託が下った」

「海の中……!?」

 俺は思わず身を乗り出した。

「ああ。そのまま海中に龍穴が開いちまえば、管理も防衛もできねえからな。だから政府は、美与様の予言した海域を密かに埋め立てて、新しい龍穴を管理するための『人工島』を極秘裏に造り始めたってわけだ」

「人工島を、極秘で……」

 俺は息を呑んだ。

「その『発現予定地』である人工島で、異常な龍輝が検知された。……そういうことですね、清信さん」

「ああ。まだ龍穴として完全に開いていない不安定な場所だ。もし大倭衆の連中がそこに目をつけ、何か良からぬことを企んでいるのだとしたら……」

 清信さんの声が、微かに険しさを増す。

「到着いたします」

 ハンドルを握っていた康雪が、前方を睨みつけたまま低い声で告げた。

 自動車がキキッとブレーキを鳴らして停車する。

 俺たちが車を降りると、そこは、帝都の華やかな光など一切届かない、漆黒の東京湾に突き出た広大な埋立地だった。

 周囲には建設途中の重機や資材が無造作に転がっており、冷たい海風と横殴りの雨が、容赦なく俺たちの体を打ち据える。

 まだ土とコンクリートしかない、無機質で巨大な未完成の人工島。

 だが、その奥深くから、肌がヒリヒリと焼けつくような、禍々しく異常な気配が漂ってきているのを、俺の極印が確かに感じ取っていた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

次回は10月12日(月)19時に更新予定です。

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