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浮世英伝 ―大正ウキヨ英士伝―  作者: 本堂ポンタ
第十五章 新龍穴

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休日の銀座

挿絵(By みてみん)

 初夏の陽気が心地よい、日曜日。

 俺たちは、久しぶりの完全な非番を満喫していた。

「うわぁ……! やっぱり銀座はすごいね! 浅草とは全然違う!」

 レンガ造りの洋館が立ち並び、西洋の香りが色濃く漂う銀座の大通り。

 目を輝かせながらキョロキョロと辺りを見回しているのは、今日のために少し背伸びをして、淡い桃色の矢絣の着物でおめかしをした応為だ。

「おいおい、田舎者みたいにキョロキョロすんなよな。みっともねえ」

 俺が少しからかうように言うと、応為はむっと頬を膨らませた。

「うるさいわね! 写楽だって、さっきからショーウィンドウに映る自分の姿、チラチラ確認してるじゃない!」

「なっ、してねえよ!」

「ふふっ。お二人は本当に仲が良いですわね」

 俺と応為の言い合いを見て、上品に口元を袖で隠して笑ったのは、五月さんだった。

 今日は上質な浅葱色の着物に、モダンな日傘を差している。

 その清楚で凛とした佇まいは、華やかな銀座の街並みの中にあっても一際目を引き、すれ違う帝都のモダンボーイたちが次々と振り返るほどだった。

 今日は、大怪我からようやく復帰できた北斎の快気祝いを兼ねて、応為の提案で四人で銀座へ来ていたのだ。

 まぁ、いわゆる銀ブラというやつだ。

「北斎さんも、お怪我の具合はもうよろしいのですか?」

 五月さんが、少し後ろを歩いていた北斎に、気遣うようにそっと声をかける。

「……ああ。もうなんともない」

 いつも通り無愛想な北斎だったが、五月さんは全く気にした様子もなく、

「それは本当によかったですわ」

 と嬉しそうに微笑んだ。

 五月さんのその底抜けに優しく、誰にでも分け隔てなく接する人柄は、北斎の頑固な殻すらも自然と和らげているように見えた。

(……石燕の野郎にはもったいねえくらい、本当に良い妹さんだよな)

 五月さんの裏表のない気立ての良さに、俺もすっかり毒気を抜かれていた。

 彼女は、行方知れずの兄を探しているという重い事情を抱えながらも、決してそれを表に出して暗くならず、むしろ俺たちを気遣ってくれる。

 応為が五月さんを慕い、姉のように懐いているのもよくわかった。

「さあ、帝国劇場での開演までもう少し時間がありますわ。あちらのカフェーで、少しお茶でもいかがですか?」

「カフェー! 行く行く!」

 五月さんのスマートな提案に、応為がパッと花が咲いたような笑顔を見せる。

 俺たちは、モダンな西洋風のカフェーへと足を踏み入れた。

 眩しい初夏の日差しが差し込む窓辺で、美味しい珈琲と、弾むような笑い声。

 これから始まる芝居への期待に胸を膨らませていた。


『……以上を持ちまして、本日の公演を終了とさせて頂きます。なお、お帰りの際には……』


「……いやあ、すげえ迫力だったな!」

 帝国劇場での観劇を終え、劇場を出た俺は、興奮冷めやらぬまま大きく伸びをした。

 今日観たのは、最近帝都で大人気だという『少女たちによる歌劇』だ。

「本当に! 桜色の袴姿の子も可愛かったし、軍服衣装の子たちもすごく素敵だった!」

 応為も目を輝かせてはしゃいでいる。

「なんだかさ、舞台の上で悪を討ち払う演技を見てたら……あの子たちも、俺たちみたいに裏で帝都を守るために戦ってたりしてな、なんて思っちまったよ」

 俺が冗談めかして言うと、応為が

「バカね、お芝居に決まってるじゃない」

 と笑い飛ばした。

「ふふっ。でも、それくらい皆様の演技に魂がこもっていましたわね」

 五月さんも、楽しそうに微笑みながら同意してくれた。

「ああ。手先、足先の動きに至るまで、一切の無駄がなかった。日々の過酷な鍛錬の賜物だろう」

 それまで黙って聞いていた北斎が、腕を組みながら真面目な顔で感心している。

「……お前も、少しは見習うんだな、写楽」

「なんでそこで俺に飛び火するんだよ!」

 俺が抗議すると、応為が

「あははっ、兄貴の言う通りね!」

 と声を上げて笑った。

 その後、俺たちは銀座の洋食屋で少し早めの夕食をとりながら、北斎の快気を祝った。

「兄貴、改めて乾杯! ……でも、まだ完全に治ったわけじゃないんだから、無茶しちゃダメだからね」

 応為がグラスを掲げながら念を押す。

「……分かっている。お前たちには、心配をかけたな」

 北斎は少し照れくさそうに目を伏せ、短く答えた。

「まったくだ。北斎がボロボロになった時は、ホント生きた心地がしなかったぜ」

 俺も笑いながらグラスを合わせる。

「ふふっ。でも、こうしてまた北斎さんが元気になられて、皆様と楽しくお食事ができて、本当によかったですわ」

 五月さんが嬉しそうに微笑むと、北斎は彼女に向かって深く頭を下げた。

「……五月さんも、わざわざ俺の快気祝いなどに付き合っていただき、感謝する」

「そんな。私の方こそ、お誘いいただいてとても楽しい一日になりましたわ」

 美味しい料理と、たわいない会話。

 不器用な北斎も、五月さんが上手く話題を振ってくれるおかげで、いつになく穏やかな顔で会話の輪に加わっていた。

「……五月さん」

 食後の珈琲を飲みながら、俺はふと、五月さんに向かって口を開いた。

「今日は、誘いに乗ってくれて本当にありがとうな。応為も北斎も、すげえ楽しそうだった」

「そんな。私の方こそ、素敵な一日に誘っていただいて感謝しておりますわ」

 俺は、カップを置き、真っ直ぐに五月さんを見た。

「五月さんのお兄さんも……いつか絶対、見つかるといいな」

 俺の言葉に、隣の応為も

「うん! 絶対に見つかるよ!」

 と力強く頷く。

 その瞬間、五月さんの美しい瞳が、微かに揺らいだ。

 瞬きをした彼女の瞳から、ポロリと一粒の涙がこぼれ落ちる。

「……五月さん?」

「あっ……ごめんなさい。私ったら……」

 五月さんは慌ててハンカチを取り出し、目元を拭った。

 そして、涙で濡れた睫毛を伏せ、柔らかい微笑みを俺たちに向けたのだ。

「……ええ、必ず見つかると信じています。皆様のような、こんなにも温かくてお優しい方々に出会えて……兄も私も、本当に幸せですわ」

 その涙ながらの感謝の言葉に、俺の胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。

 大倭衆との激しい戦いが迫っていることなど忘れさせるような、平和で、尊い時間。

 窓の外を行き交う人々の喧騒を遠くに聞きながら、俺たちは珈琲の香りに包まれて、穏やかな夕暮れ時を過ごしていた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

次回は10月10日(土)19時に更新予定です。

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