休日の銀座
初夏の陽気が心地よい、日曜日。
俺たちは、久しぶりの完全な非番を満喫していた。
「うわぁ……! やっぱり銀座はすごいね! 浅草とは全然違う!」
レンガ造りの洋館が立ち並び、西洋の香りが色濃く漂う銀座の大通り。
目を輝かせながらキョロキョロと辺りを見回しているのは、今日のために少し背伸びをして、淡い桃色の矢絣の着物でおめかしをした応為だ。
「おいおい、田舎者みたいにキョロキョロすんなよな。みっともねえ」
俺が少しからかうように言うと、応為はむっと頬を膨らませた。
「うるさいわね! 写楽だって、さっきからショーウィンドウに映る自分の姿、チラチラ確認してるじゃない!」
「なっ、してねえよ!」
「ふふっ。お二人は本当に仲が良いですわね」
俺と応為の言い合いを見て、上品に口元を袖で隠して笑ったのは、五月さんだった。
今日は上質な浅葱色の着物に、モダンな日傘を差している。
その清楚で凛とした佇まいは、華やかな銀座の街並みの中にあっても一際目を引き、すれ違う帝都のモダンボーイたちが次々と振り返るほどだった。
今日は、大怪我からようやく復帰できた北斎の快気祝いを兼ねて、応為の提案で四人で銀座へ来ていたのだ。
まぁ、いわゆる銀ブラというやつだ。
「北斎さんも、お怪我の具合はもうよろしいのですか?」
五月さんが、少し後ろを歩いていた北斎に、気遣うようにそっと声をかける。
「……ああ。もうなんともない」
いつも通り無愛想な北斎だったが、五月さんは全く気にした様子もなく、
「それは本当によかったですわ」
と嬉しそうに微笑んだ。
五月さんのその底抜けに優しく、誰にでも分け隔てなく接する人柄は、北斎の頑固な殻すらも自然と和らげているように見えた。
(……石燕の野郎にはもったいねえくらい、本当に良い妹さんだよな)
五月さんの裏表のない気立ての良さに、俺もすっかり毒気を抜かれていた。
彼女は、行方知れずの兄を探しているという重い事情を抱えながらも、決してそれを表に出して暗くならず、むしろ俺たちを気遣ってくれる。
応為が五月さんを慕い、姉のように懐いているのもよくわかった。
「さあ、帝国劇場での開演までもう少し時間がありますわ。あちらのカフェーで、少しお茶でもいかがですか?」
「カフェー! 行く行く!」
五月さんのスマートな提案に、応為がパッと花が咲いたような笑顔を見せる。
俺たちは、モダンな西洋風のカフェーへと足を踏み入れた。
眩しい初夏の日差しが差し込む窓辺で、美味しい珈琲と、弾むような笑い声。
これから始まる芝居への期待に胸を膨らませていた。
『……以上を持ちまして、本日の公演を終了とさせて頂きます。なお、お帰りの際には……』
「……いやあ、すげえ迫力だったな!」
帝国劇場での観劇を終え、劇場を出た俺は、興奮冷めやらぬまま大きく伸びをした。
今日観たのは、最近帝都で大人気だという『少女たちによる歌劇』だ。
「本当に! 桜色の袴姿の子も可愛かったし、軍服衣装の子たちもすごく素敵だった!」
応為も目を輝かせてはしゃいでいる。
「なんだかさ、舞台の上で悪を討ち払う演技を見てたら……あの子たちも、俺たちみたいに裏で帝都を守るために戦ってたりしてな、なんて思っちまったよ」
俺が冗談めかして言うと、応為が
「バカね、お芝居に決まってるじゃない」
と笑い飛ばした。
「ふふっ。でも、それくらい皆様の演技に魂がこもっていましたわね」
五月さんも、楽しそうに微笑みながら同意してくれた。
「ああ。手先、足先の動きに至るまで、一切の無駄がなかった。日々の過酷な鍛錬の賜物だろう」
それまで黙って聞いていた北斎が、腕を組みながら真面目な顔で感心している。
「……お前も、少しは見習うんだな、写楽」
「なんでそこで俺に飛び火するんだよ!」
俺が抗議すると、応為が
「あははっ、兄貴の言う通りね!」
と声を上げて笑った。
その後、俺たちは銀座の洋食屋で少し早めの夕食をとりながら、北斎の快気を祝った。
「兄貴、改めて乾杯! ……でも、まだ完全に治ったわけじゃないんだから、無茶しちゃダメだからね」
応為がグラスを掲げながら念を押す。
「……分かっている。お前たちには、心配をかけたな」
北斎は少し照れくさそうに目を伏せ、短く答えた。
「まったくだ。北斎がボロボロになった時は、ホント生きた心地がしなかったぜ」
俺も笑いながらグラスを合わせる。
「ふふっ。でも、こうしてまた北斎さんが元気になられて、皆様と楽しくお食事ができて、本当によかったですわ」
五月さんが嬉しそうに微笑むと、北斎は彼女に向かって深く頭を下げた。
「……五月さんも、わざわざ俺の快気祝いなどに付き合っていただき、感謝する」
「そんな。私の方こそ、お誘いいただいてとても楽しい一日になりましたわ」
美味しい料理と、たわいない会話。
不器用な北斎も、五月さんが上手く話題を振ってくれるおかげで、いつになく穏やかな顔で会話の輪に加わっていた。
「……五月さん」
食後の珈琲を飲みながら、俺はふと、五月さんに向かって口を開いた。
「今日は、誘いに乗ってくれて本当にありがとうな。応為も北斎も、すげえ楽しそうだった」
「そんな。私の方こそ、素敵な一日に誘っていただいて感謝しておりますわ」
俺は、カップを置き、真っ直ぐに五月さんを見た。
「五月さんのお兄さんも……いつか絶対、見つかるといいな」
俺の言葉に、隣の応為も
「うん! 絶対に見つかるよ!」
と力強く頷く。
その瞬間、五月さんの美しい瞳が、微かに揺らいだ。
瞬きをした彼女の瞳から、ポロリと一粒の涙がこぼれ落ちる。
「……五月さん?」
「あっ……ごめんなさい。私ったら……」
五月さんは慌ててハンカチを取り出し、目元を拭った。
そして、涙で濡れた睫毛を伏せ、柔らかい微笑みを俺たちに向けたのだ。
「……ええ、必ず見つかると信じています。皆様のような、こんなにも温かくてお優しい方々に出会えて……兄も私も、本当に幸せですわ」
その涙ながらの感謝の言葉に、俺の胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
大倭衆との激しい戦いが迫っていることなど忘れさせるような、平和で、尊い時間。
窓の外を行き交う人々の喧騒を遠くに聞きながら、俺たちは珈琲の香りに包まれて、穏やかな夕暮れ時を過ごしていた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
次回は10月10日(土)19時に更新予定です。




