迷いの剣
江戸城でのあの出来事から、数日が過ぎた。
浅草・凌雲閣の地下に広がる、浅草龍穴の修練場。
清らかな龍輝が満ちるその広大な空間に、甲高い剣戟の音が連続して鳴り響いていた。
「はぁぁぁっ!!」
気合の入った声と共に、赤い閃光が鋭い軌道を描いて俺の横っ腹に迫る。
俺は咄嗟に己の『龍輝筆刃』を縦に構え、その一撃を弾き返した。
バヂィィンッ! と、赤い光刃同士が激突し、火花のような龍輝の粒子が散る。
「おっと! やるじゃねえか、応為!」
「まだまだぁっ!!」
弾き返された反動を利用し、応為は空中でクルリと身を翻すと、着地の勢いそのままに再び下段から俺の足をすくい上げるように斬りかかってきた。
俺は大きく後ろへ跳躍してそれを躱すが、応為は息をつく暇も与えずに次々と連撃を叩き込んでくる。
(……すげえな。本当に英士になったばっかりかよ)
俺は防戦に回りながら、内心で舌を巻いていた。
剣術の型としては、素人同然の荒削りなものだ。
だが、その動きには一切の無駄がない。
何より驚異的なのは、そのバネのような『足腰』だ。
毎日毎日、重い人力車を引いて浅草の町を走り回ってきたことで培われた、強靭な脚力と無尽蔵のスタミナ。
それがウキヨ英士の身体能力強化と組み合わさった結果、応為の動きは目にも留まらぬほど軽快で、変幻自在なものになっていた。
「どうしたの、写楽! 手加減なんて不要よ!」
「へっ、先輩の余裕ってやつを見せてやってんだよ!」
俺が軽口を叩きながら赤い光刃を横に薙ぐと、応為は深く身を沈めてそれを鮮やかに躱し、俺の懐へと鋭く潜り込んできた。
間近で見る彼女の顔は、汗だくになりながらも、生き生きとした喜びに満ち溢れていた。
かつて、化け物に襲われたあの夜、俺の背中で震えていた頃の面影はない。
自らの力で未来を切り開こうとする、一人の戦士としての頼もしい顔つきがそこにあった。
(……ああ。いい顔してんな)
俺は、応為のその真っ直ぐな瞳を眩しく見つめながら、刃を交え続けた。
だが、彼女のその笑顔を見た瞬間。
俺の脳裏に、江戸城の祭壇の間で美与様から告げられた、あの冷酷な言葉がフラッシュバックしてしまったのだ。
『——この時代から、あなたの存在そのものが消え去り……仲間と、永遠に別れることになります』
「……ッ」
急激に胸の奥が冷たくなり、俺の動きが、ほんのコンマ数秒、ピタリと止まってしまった。
修練の最中、刃を交えている極限状態において、それはあまりにも致命的な『隙』だった。
(しまった……!)
俺が己の隙に気づいた時には、すでに応為の赤い光刃が下段から鋭く跳ね上がってきていた。
俺は体勢を崩しながらも、反射的に龍輝筆刃を交差させてなんとかその一撃を受け止める。
だが、不完全な体勢での防御は、強靭なバネを持つ応為の踏み込みの威力を殺しきれない。
「くっ……!」
重い衝撃に俺は体勢を崩し、大きくよろめいた。
そこへ、応為が息もつかせぬ波状攻撃を仕掛けてくる。
上段、中段、そして再び下段。流れるような連撃を前に、俺は完全に防戦一方に追い込まれてしまった。
頭では、眼前の敵の太刀筋に集中しなければならないと分かっている。
だが、一度脳裏に蘇ってしまった美与様の言葉が、呪いのようにぐるぐると渦巻き、思考の邪魔をするのだ。
『——この時代から、あなたの存在そのものが消え去り……仲間と、永遠に別れることになります』
『——あの鏡に残された力は……あと二回分です』
(あと二回。俺が時を遡ったら……俺はこの世界から消える)
祭壇の間で、俺は確かに覚悟を決めたはずだった。
仲間が笑って生きられるなら、自分が消えてもいいと。
だが、こうして実際に目の前で、生き生きとした笑顔を向けてくる応為を見ていると、たまらなく恐ろしくなってしまったのだ。
この何気ないやり取り。
剣を交え、軽口を叩き合い、笑い合う。
そんな当たり前の日常が、ある日突然、俺だけが切り取られたように永遠に失われてしまう。
(俺は……あとどれくらい、こいつらと一緒にいられるんだ?)
「……ッ」
迷い。
恐怖。
未練。
ウキヨ英士が操る『龍輝』は、己の魂と直結した力だ。
精神状態のブレは、そのまま武器の威力に直結する。
バヂィィンッ!
応為の渾身の袈裟懸けをなんとか弾き返したものの、俺の『龍輝筆刃』から放たれていた赤い光刃は、まるで接触不良の電灯のようにチカチカと明滅し、本来の鋭さと熱を完全に失い始めていた。
足の運びが遅れ、剣先が鈍る。
極限の集中が求められる修練の場において、俺の動きは、誰の目から見ても明らかなほどに精彩を欠き始めていた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
次回は10月6日(火)19時に更新予定です。




