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浮世英伝 ―大正ウキヨ英士伝―  作者: 本堂ポンタ
第十四章 ペンダント

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譲れぬ名前

挿絵(By みてみん)

「さて、応為」

 輝吉様が、満足そうに頷きながら口を開いた。

「これでそなたも正式なウキヨ英士となった。……我が直轄の剣となる者には、新しい名を与えるのが習わし。さて、どのような名が良いか」

 輝吉様が、楽しげに顎を撫でる。

 以前写楽が言っていたが、この将軍様は自分で仰々しい名前を考えるのがお好きらしい。

「そなたのその桜色の癒やしの光と、決して折れぬ不屈の闘志……うむ、『桜花天女』あるいは『紅炎女傑』などはどうだ? なかなか勇ましかろう」

 将軍様直々の、名誉ある命名。

 普通なら、平伏してありがたく頂戴するのが臣下としての絶対の務めだ。

 でも。

「——あたし!」

 気がつけば、あたしは顔を上げ、広間に響くほどの大きな声を張り上げていた。

「あたし! 応為のままがいいです!」

 ピシッ、と。

 広間の空気が、文字通り凍りついた。

 隣で平伏していた写楽が、「おいバカ、相手は将軍様だぞ!」と言わんばかりに顔を真っ青にしてあたしを見ている。

 美与様も、扇子を持った手を止めて目を丸くしていた。

 下座の兄貴でさえ、微かに肩をビクッとさせたのが分かった。

 無理もない。

 この国の頂点に立つお方の提案を、新米の小娘が真っ向から拒否したのだ。

 不敬罪で首が飛んでもおかしくない。

「……ほう」

 輝吉様の声が、一段と低くなった。

 肌を刺すような沈黙が、重く広間にのしかかる。

(やっちゃった……)

 冷や汗が背中を伝う。

 でも、あたしはこの『応為』という名前を手放したくなかった。

 兄貴の背中を追いかけて、車夫として意地を張って生きてきたあたし自身の名前。

 誰かに与えられた立派な名前じゃなく、等身大のあたしとして、不器用な兄貴の隣に並び立ちたかったのだ。

 張り詰めた沈黙の中。

 下座に控えていた政信の旦那が、少しだけ顔を上げ、輝吉様に向かって「こいつはこういう真っ直ぐな奴なんですよ」とでも言うように、スッと目配せをした。

 輝吉様の視線が政信の旦那へ向き、そして再び、あたしへと戻る。

「……くっ」

 輝吉様の肩が、微かに震えた。

「あっはっはっはっは!」

 次の瞬間、広間に響き渡ったのは、怒号ではなく、輝吉様の豪快な笑い声だった。

「よい、よい! 権威に臆せず、己の意志を貫くか! まことに政信の組の者は、どいつもこいつも型破りな奴ばかりよ!」

 輝吉様は面白そうに膝を叩くと、威厳に満ちた顔に破顔の笑みを浮かべた。

「許す! そなたには『応為』のまま戦うことを認めよう!」

「あ、ありがとうございます……!」

 あたしはホッと胸を撫で下ろし、再び床に深々と額をこすりつけた。

「お前なぁ……心臓に悪いぜ」

 隣で写楽が、小さく安堵のため息をつく。

 あたしは写楽にこっそりと舌を出して笑うと、再び龍輝筆刃の柄を胸に抱きしめた。

(あたしは、応為。ウキヨ英士の応為だ!)

 ただ守られているだけの妹は、もう卒業だ。

 大好きな家族を、仲間を、そしてこの帝都を守る。あたしの新たな戦いの日々が、今、ここから始まるんだ。


 応為の型破りな命名騒動が無事に終わり、俺たちが広間を退出して、江戸城を後にしようとした矢先のことだった。

「……写楽。あなただけ、少し残っていただけますか」

 呼び止めたのは、美与様だった。

 振り返ると、彼女は『祭壇の間』の入り口に立ち、底知れぬ深みを湛えた瞳で俺を見つめていた。

「俺、ですか?」

 俺が戸惑って政信の旦那を見ると、旦那は何かを察したように短く頷いた。

「俺たちは先に戻って、新米英士の歓迎会の準備でもしてるさ。……粗相のないようにな」

「あ、はい」

 政信の旦那や北斎、そしてホッと胸を撫で下ろしている応為たちを見送った後。

 俺は再び、重苦しい静寂に包まれた祭壇の間へと足を踏み入れた。

 広大な部屋の中央。

 清められた白木の祭壇の前に、純白の千早と緋色の袴姿の美与様が静かに立ち、俺を待っていた。

 先ほどの広間で見せた姿よりもさらに深く、そこにあるのは、この国の理を司る『龍脈の巫女』としての、息を呑むほどに神聖な空気だった。

「……話って、なんでしょうか」

 俺が緊張を隠せずに尋ねると、美与様は静かに振り返り、俺の胸元を真っ直ぐに指し示した。

「……写楽。あなたが持つそのペンダント……『白陽の鏡』の力について、お話ししなければならないことがあります」

「白陽の鏡……?」

 俺は無意識に、服の上からペンダントを強く握りしめた。

 あの朝、浅草の自分の部屋で語りかけてきた声。

 俺の想いに応え、時間を巻き戻してくれたこの不思議な金属。

「先日、あなたが浅草に来られた時、その首に我が一族の至宝がかかっているのを見て、驚きました」

「一族の至宝……美与様の一族の?」

「ええ。我々『龍脈の巫女』の系譜は、遙か昔にまで遡ります。初代の巫女であり、邪馬台国の女王であった『卑弥呼』。あなたが身につけているそれは、彼女の代から連綿と受け継がれてきた、真の神器なのです」

 初代巫女、卑弥呼。

 あまりにもスケールの大きな歴史の事実に、俺は絶句した。

 そんなとんでもない代物が、なぜ俺の手元にあるのか。

 それは未だに謎だが、このペンダントが持つ人知を超えた力には、十分すぎる説得力があった。

「……じゃあ、俺がこのペンダントの力で……時間を巻き戻したことも、知ってるんですか」

 俺は、ずっと誰にも言えずに一人で抱え込んでいた秘密を、恐る恐る口にした。

 狂っていると思われるかもしれない。

 だが、美与様は驚くこともなく、静かに悲しげな目を伏せた。

「……ええ。私は、この江戸城龍穴を通して、帝都のウキヨ英士たちが纏う『龍輝』の繋がりを感じ取っています」

 美与様の静かな声が、祭壇の間に響く。

「赤坂での歌麿、そして先ほどの広重。……本来なら完全に途絶えるはずだった彼らの命の灯火が、不自然に巻き戻り、再び強く結び直されたのを、私はこの身で確かに感じたのです」

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

次回は10月3日(土)19時に更新予定です。

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