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浮世英伝 ―大正ウキヨ英士伝―  作者: 本堂ポンタ
第十三章 江戸城龍穴(後編)

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抗う運命

挿絵(By みてみん)

 ドグゥンッ……!!

 空間を揺るがすほど重く、湿った嫌な音がした。

 肉が裂け、骨が砕かれる、決して戦場で聞いてはならない音。

「……え?」

 俺の思考が、真っ白に染まる。

 土煙が晴れた視界の先。そこに広がっていたのは、あまりにも残酷な光景だった。

 豊広さんの体は、数メートル離れた安全な地面へと投げ出されていた。

 だが、その代わりに。

 豊広さんを庇うように突き飛ばした広重の体が、髑髏龍の頭部に生えた巨大な凶角によって、その腹部を貫かれていたのだ。

「……ひろ、しげ……?」

 地面に倒れ込んだ豊広さんが、震える声を漏らす。

 常に計算高く、どんな窮地でもあの胡散臭い余裕の笑みを崩さなかった男の顔から、すべての感情が抜け落ちていた。

 完璧な計算を信条とする彼にとって、部下が己の命を代償にしてまで自分を救うという非合理的な行動は、完全に予測の範疇を超えていたのだろう。

 その冷徹な仮面は無惨に砕け散り、狼狽える一人の男になり下がっていた。

「が、はっ……」

 宙に串刺しにされた広重の口から、おびただしい量の鮮血が吐き出される。

 広重を覆う漆黒のコートは、瞬く間に血の色に染まっていく。

 広重の体がビクンと大きく跳ね、そして、糸の切れた人形のようにだらりと力なく垂れ下がった。

「広重ェェェェェェェェッ!!!」

 俺の喉の奥から、肺が千切れるほどの絶叫が迸った。

 赤坂の旧龍穴で、歌麿が凶刃に倒れたあの忌まわしい記憶が、鮮烈に蘇る。

 まただ。

 また、俺の目の前で仲間が理不尽に命を奪われていく。

「あはははっ! なんて滑稽なのかしら! 虫ケラが虫ケラを庇って、一体何になるというの?」

 絶望の底に突き落とされた俺たちを見下ろし、滝夜叉姫が腹を抱えて狂ったように笑い声を上げる。

「……てめぇら……よくも、よくも広重をォォッ!!」

 国貞が血走った目で吠え、国芳が悲鳴のような叫び声を上げる。

 豊春さんも豊国さんも、かつてないほどのドス黒い怒りと殺気を膨れ上がらせ、今にも髑髏龍へと飛びかからんとしていた。

 だが、どんなに俺たちが怒り狂おうとも、広重の命の灯火が今、完全に消え去ろうとしている現実は変わらない。

「……あぁ、ああ……っ」

 俺は、ガクガクと震える足を引きずりながら、角に貫かれた広重の方へと歩み寄ろうとした。

 視界が涙で歪み、息がうまく吸えない。

(……また、俺は何もできなかった……。助けられなかった……!)

 絶望が、俺の心を完全に黒く塗り潰そうとした。

 その時だった。

『——強き想いは星火の波紋となり、時として運命さえ塗り替える力となるでしょう』

 赤坂龍穴から戻ったあの日、浅草の自室で聞いた女の声が、ふいに脳裏に蘇ったのだ。

「……え?」

 俺は立ち止まり、ハッとして自分の胸元へ手をやった。

 ずっと冷たかったペンダントが、まるで俺の激しい感情に呼応するかのように、脈打つような熱を帯び始めていた。

 ペンダントの鏡面から、俺の激しい怒りと悲しみに呼応するかのように、確かな熱と脈動が伝わってくる。

(……そうだ。あの時と、同じだ)

 赤坂の地下。

 歌麿が凶刃に倒れ、俺が絶望のどん底に突き落とされたあの瞬間。

 あの時も、このペンダントは眩く輝き、そして——『時間』を巻き戻した。

『——強き想いは星火の波紋となり、時として運命さえ塗り替える力となるでしょう』

(……運命を、塗り替える)

 俺は、髑髏龍の凶角に貫かれたまま力なく垂れ下がる広重の姿を、真っ直ぐに見据えた。

 視界を歪ませていた涙を、手の甲で乱暴に拭い去る。

(絶望している暇なんてない。……また、俺は何もできなかった?)

「……違う」

 俺は、小さく、だがはっきりと言葉を紡いだ。

「また何もできなかったわけじゃない。……あの時と同じには、させねえ!」

 俺は胸元に手を突っ込み、ペンダントを力強く握りしめた。

 あの朝、確信した通りだ。

 この力は偶然じゃない。

 俺の想いに応え、未来を切り開くための力だ。

「今度は俺が、俺の意志で……この悲劇をぶっ壊してやる!!」

 俺は胸元からペンダントを掴み出し、その鏡面を、命の灯火が今にも消えゆく広重へと真っ直ぐに向けた。

「頼むッ!! 運命を変える力を……俺に貸してくれッ!!」

 俺の腹の底からの絶叫が、禍々しい瘴気が渦巻く空間に響き渡った。

 その瞬間だった。

 カッ……!!

 ペンダントの小さな鏡面が広重の姿を捉えた途端、そこに宿っていた熱動が、爆発的な光の奔流へと変わった。

 それは、龍穴を覆い尽くす赤黒い瘴気すらも一瞬でかき消すほどの、圧倒的な閃光。

「な、なんだぁっ!?」

「目がッ!?」

 狂ったように笑っていた滝夜叉姫の声が、光の中に掻き消されていく。

 国芳や国貞たちの驚愕の声も、遠くへ離れていくように聞こえなくなった。

 凄まじい光が、俺の視界を、感覚を、すべてを真っ白に塗り潰していく。

 そして、光の渦の中で、俺の意識が急速に過去へと吸い込まれていく確かな感覚があった。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

次回は9月28日(月)19時に更新予定です。

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