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浮世英伝 ―大正ウキヨ英士伝―  作者: 本堂ポンタ
第十三章 江戸城龍穴(後編)

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業火の記憶

挿絵(By みてみん)

 凄まじい瘴気の奔流が、龍穴内を無慈悲に削り取っていく。

「退避しろッ!!」

 豊春さんの鋭い声が響くと同時に、俺たちは全速力でその瘴気の射線から飛び退いていた。

 ゴァァァァァァッ!!

 という耳を劈くような轟音と共に、瘴気の直撃を受けた岩壁が、まるで泥のようにドロドロと溶け落ちていく。

「なっ……岩壁が、溶けた……?」

 俺は冷や汗を流しながら、その光景に絶句した。

 あんなものをまともに食らったら、ウキヨ英士の頑強な肉体であっても、文字通り骨一つ残らないだろう。

「ちぃっ、近寄らせる気もねえってか!」

 国貞が舌打ちをし、赤い光刃を構え直す。

「ただ闇雲に叩いても埒が明きません!」

 爆音を縫うように、豊広さんの鋭い声が響く。

 彼はいつもの胡散臭い笑みを完全に消し去り、冷静な瞳で巨大な髑髏龍を観察していた。

「先ほどの再生……斬り落とされた骨を瘴気が糸のように繋いでいましたが、あの膨大な瘴気を制御している大元がどこかにあるはずです」

「それって、どこに!」

 俺が叫び返す。

「あの空ろな眼窩……赤く燃える炎のさらに奥底です。先ほどの再生の瞬間、膨大な瘴気を生み出している呪詛の塊……いわば『核』が一瞬輝きを増しました。あそこを完全に破壊すれば、恐らく厄介な再生も止まる!」

 豊広さんの的確な分析に、ウキヨ英士たちの間に明確な「勝ち筋」が共有された。

「なるほどな! なら、俺たちが派手に暴れて、デカブツの気を引いてやるぜ!」

 国貞が吠え、俺たちも一斉に散開して髑髏龍への牽制攻撃を再開する。

 だが、髑髏龍は首を大きく振って俺たちの光刃を弾き、長い尻尾と巨大な前足を使って、まるで城壁のように自身の前方を制圧していた。

 しかし、その圧倒的な面制圧の隙を突き、豊広さんは周囲の岩場を利用して素早く後方へと跳躍した。

 彼は、俺たちの陽動によって生じる髑髏龍の死角に回り込み、再生の要である眼窩の奥にある核を射抜く機会を狙っているのだ。

(……豊広さん、頼む……!)

 俺が豊広さんの動きを視界の端で追った、その直後だった。

「——愚かな」

 石燕の冷酷な声が、空間に響き渡った。

「その程度の小賢しい立ち回りで、この魔竜の死角を突けると思ったか」

 ズンッ

 と地鳴りが響いた。

 髑髏龍が、豊広さんの動きを完全に見切っていたかのように、巨体に似合わぬ凄まじい速度でその首を真横へ薙ぎ払ったのだ。

「なっ……!?」

 豊広さんの計算では、間違いなく髑髏龍の視界から外れていたはずだった。

 だが、この召喚獣は、単なる視覚だけでなく、気配そのものを感知して動いているらしい。

 回避の動作に入っていた豊広さんの体勢は、完全に空中に浮き、崩れていた。

 そこへ、髑髏龍の頭部に生えた巨大で鋭利な骨の角が、容赦なく迫る。

 避けられない。

 完璧な計算を信条とする豊広さん自身が、己の死を悟ったように、一瞬だけ自嘲的な笑みを浮かべたのが見えた。

「豊広さんっ!!」

 俺の絶叫が、空間を引き裂く。

 だが、その時。

「——っ!!」

 俺よりも、いや、誰よりも早く、弾かれたように駆け出した影があった。

 漆黒のコートを翻し、大鷲が獲物を狩るかのような凄まじい踏み込みで、一直線に豊広の元へと向かう男。

 広重だった。


「広重——っ!!」

 俺の名を叫ぶ写楽の声が聞こえる。

 目の前では、空中に投げ出され体勢を崩した豊広さんへ向かって、巨大な髑髏龍の角が迫っていく。

(……間に合え……!)

 あの理不尽なまでの巨体と、眼窩で燃え盛る禍々しい赤い炎。

 それらが、かつて俺が消防夫として対峙した、あの忌まわしい業火の記憶と重なった。

 炎に包まれた家屋。

 崩れ落ちる太い梁。

 狂ったように燃え盛る火の粉の中で、助けを求める親子の叫び声。

 俺は炎の中に飛び込み、逃げ遅れた二人を必死に探した。

 その時だ。

 俺の右手の甲に、熱く焼け焦げるような痛みと共に、極印が浮かび上がったのは。

 突如として全身から湧き上がった不思議な力。

 その力のおかげで、俺は崩れ落ちる瓦礫を強引に跳ね除け、子供の命だけはなんとか救い出すことができた。

 だが——。

 母親を救うことは出来なかった。

 猛威を振るう業火の前に、覚醒したばかりの未知の力だけでは、あまりにも無力だった。

 炎の熱さに阻まれ、新たな瓦礫の重さに押し潰され、俺は伸ばした手を届かせることすらできずに、ただ、目の前で命が理不尽に奪われていくのを見ていることしかできなかったのだ。

 絶望と無力感に打ちひしがれ、煤と涙にまみれて立ち尽くしていた俺の前に現れたのが、豊広さんだった。

 彼は、安っぽい同情など一切口にしなかった。

 ただ、静かに俺の右手に刻まれた極印を見つめ、一つの道を指し示したのだ。

『力なき己を悔やむなら、その手に宿った極印の真の使い道を示しましょう。……帝都を蝕む見えない炎を、私と共に消し去るのです』

 豊広さんが差し伸べてくれた手が、言葉が、空っぽになりかけていた俺の心に光を灯してくれた。

 そして俺は豊広さんに導かれて『初摺の儀』を乗り越え、ウキヨ英士となったのだ。

 彼が俺に再び立ち上がるための「生きる意味」を与えてくれた。

 だから。

(……あの日のように、ただ見ているだけの俺では、もうない……!)

 俺は限界を超えようと、さらに全身の筋肉に力を込めた。

 足の筋繊維が千切れるような嫌な音がしたが、痛みなど感じない。

 ただひたすらに、己のすべてをこの一瞬の踏み込みに叩きつける。

「豊広さんッ!!」

 驚愕に見開かれた豊広さんの瞳に、俺の姿が映る。

 俺は漆黒のコートを羽織った体を弾丸のように投げ出し、豊広さんの体を横合いから思い切り突き飛ばした。

 ズンッ、と。

 豊広さんの体が俺の腕から離れ、安全な軌道へと弾き出される確かな手応えがあった。

 守れた。

 俺に生きる意味をくれた恩人を、今度こそ、この手で。

 安堵に似た感情が胸を満たした次の瞬間。

 俺の視界を、圧倒的な質感を伴った赤黒い炎と、巨大な凶角が完全に覆い尽くした。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

次回は9月26日(土)19時に更新予定です。

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