託された背中
「オラオラッ! どうした新顔、逃げ回ってばっかりじゃねえか!」
耳をつんざくような狂った笑い声と共に、春英が紫の光刃を力任せに振り回す。
一撃一撃が異常に重く、空を切るたびにブォンッと空間が泣き叫ぶような音がした。
まともに受け合えば、一瞬で腕の骨を持っていかれる。
「チッ!」
春英が舌打ちをして後方へ跳躍し、ニヤリと笑う。
「いい動きするじゃねえか! てめえ、名前は?」
「写楽だ!」
俺は答えると同時にさらに間合いを詰め、連撃を打ち込んだ。
しかし、春英は俺の攻撃をすべて紫の刃で弾き返し、嬉しそうに口元を歪め反撃してくる。
ウキヨ英士になりたての頃の俺なら、最初の数撃で圧倒されていただろう。
だが、今の俺には北斎との地獄のような夜稽古で培った『目』と『足』がある。
春英の攻撃は直線的で荒っぽいが、決してデタラメじゃない。
その本能剥き出しの太刀筋を見極め、ギリギリで躱して反撃に転じる。
俺は機動力を活かし、春英相手に一歩も引かずに互角の打ち合いを演じていた。
(よし……! いけるぞ!)
確かな手応えを感じた、その一瞬だった。
視界の端で、凄まじい衝撃音と共に、青い光刃が大きく弾き飛ばされるのが見えた。
飛び込んできたのは——完全に防戦一方に追い込まれている北斎の姿だった。
「よそ見してんじゃねえぞ、写ァ楽ッ!!」
俺の僅かな隙を、戦闘狂の春英が見逃すはずがない。
狂ったような咆哮と共に、紫の光刃が俺の首筋めがけて叩き込まれる。
「くそッ!」
俺は咄嗟に身を屈め、間一髪でその凶刃を躱して大きく後方へと跳躍した。
荒い息を吐きながら、俺は改めて隣の戦場を目の当たりにする。
「……どうした、北斎。お前の天才的な剣技とやらは、そんなものか?」
蜘蛛丸の粘着質で、底冷えするような声が響き渡っていた。
禍々しい蜘蛛の仮面の奥から放たれる執念深い視線が、北斎を射抜いている。
「……くっ」
北斎が、苦悶の表情を浮かべて後退する。
いつもなら、どんな敵の攻撃も流水のように受け流し、隙を突いて完璧な反撃を叩き込む北斎が、今は完全に防戦一方に追い込まれていた。
「遅い、遅いぞ北斎! その程度の太刀筋で、強者の頂に立ったつもりか!」
蜘蛛丸が紫の光刃を振るうたび、北斎の青い光刃が弾き飛ばされ、姿勢が崩される。
力任せの春英とは違う。
無駄がなく殺意に満ちた重い一撃。
蜘蛛丸の剣術は、洗練され尽くした『型』の極致だった。
それはまるで、北斎自身の剣技の思考を完全に先読みしているかのような、完璧な連続攻撃だった。
「……勘違いするな」
北斎が、弾き飛ばされた勢いを利用して間合いを取り、静かに、だが涼やかな声で言った。
防戦一方に追い込まれ、息は上がっているはずなのに、その双眸には微塵の絶望も焦りもない。
「俺は、今も修行中の身。強者の頂なぞ、まだ遥か彼方よ」
「黙れッ!!」
蜘蛛丸が突如として激昂し、仮面の奥の目が血走る。
自分がどれだけ圧倒して追い詰めても、決して心を折ろうとしない北斎のその平然とした態度こそが、蜘蛛丸の逆鱗だった。
「お前のその涼しい顔が……天才気取りのその目障りな余裕が、我慢ならんのだッ!! 貴様のすべてを、私がここで叩き潰してやるッ!」
蜘蛛丸の全身から、どす黒い瘴気が爆発的に膨れ上がった。
紫の光刃がさらに禍々しく輝き、蜘蛛丸の姿がブレたかと思うと、音もなく北斎の懐へと潜り込んでいた。
「北斎ッ!!」
俺の絶叫と、蜘蛛丸の凶刃が振り下ろされたのは同時だった。
北斎は咄嗟に青い光刃を盾にして防ごうとした。
だが、激昂し、どす黒い瘴気を纏った蜘蛛丸の一撃は、先ほどまでの洗練された剣技とは別次元の重さだった。
バヂィィィンッ!!
空間を切り裂くような甲高い音が鳴り響き、北斎の青い光刃が大きく弾き飛ばされる。
「がはっ……!」
防ぎきれなかった紫の刃が、北斎の肩口から胸郭にかけてを無慈悲に切り裂いた。
鮮血が宙を舞う。
いつもはどんな時も凛と立っている北斎の体が、糸の切れた人形のように崩れ落ちていく。
「よそ見するなって言っただろうがァ!」
俺が息を呑んだ一瞬の隙を、狂気に満ちた春英が見逃すはずがない。
紫の光刃が、俺の胴を薙ぎ払おうと迫る。
「どけッ!!」
俺は全身のバネを限界まで使い、春英の猛攻を紙一重で躱すと、その跳躍の反動を利用して北斎の元へと一直線に滑り込んだ。
「消えろ、北斎ッ!」
倒れ伏した北斎の首筋へ、蜘蛛丸が冷酷に刃を突き立てようとしていた。
俺は滑り込みながら、赤い龍輝筆刃を全力で下から振り上げ、蜘蛛丸の光刃を強引に弾き飛ばす。
「させねえッ!!」
腕の骨が軋むほどの凄まじい衝撃。
だが、なんとか致命傷だけは防いだ。
俺はそのまま北斎の陣羽織の襟首を掴み、全速力で後方へと跳躍する。
「チッ……目障りな小蠅が」
蜘蛛丸が忌々しそうに舌打ちをした。
「あははっ! 逃げ足だけは一丁前だな、写楽!」
春英が狂ったように笑いながら追ってくる。
「くそっ!」
俺は近くにあった、龍穴の天井を支える巨大な石柱の裏へと回り込み、さらに奥の深い暗がりへと身を隠した。
追撃を遅らせるため、わざと足元の瓦礫を切り飛ばして盛大な土煙を上げる。
「オラァッ! どこに隠れやがった、引きずり出してやるぜ!」
土煙の向こうで、春英の荒れ狂う声が聞こえる。
俺が息を殺して龍輝筆刃を構え直した、その時だった。
「……よせ、春英。もういい」
底冷えするような蜘蛛丸の声が、春英を制止した。
「……チッ、しょうがねえな。俺はまだ遊び足りねえってのに」
「……地を這う瀕死の虫ケラと、逃げ回るだけの小蠅の相手など、もう興醒めだ。行くぞ」
「……了解。おい写楽! 次会う時までにもっと腕磨いとけよ! じゃないと、秒で細切れにしちまうからなァ!」
春英の未練がましい声と共に、二つの禍々しい気配が遠ざかり、やがて完全に気配が消え去った。
「北斎! おい、しっかりしろ!」
気配が消えたのを確認し、俺は北斎の体をそっと抱き起こした。
ベロ藍のぼかしと白波が描かれた美しい陣羽織が、べっとりと赤黒い血に染まっている。
呼吸は浅く、顔面は蒼白だ。
傷は深く、自力で立ち上がることも不可能に見えた。
「……すまん、写楽。完全に……読まれていた。あいつの剣には、一切の迷いが……ない」
北斎が、血の混じった咳を吐き出しながら、途切れ途切れの声で言った。
悔しそうに歪むその顔を見て、俺の胸がギリッと締め付けられる。
「喋るな。すぐに止血する」
俺は懐から、出撃前に清信さんから渡されていた応急用の傷薬を取り出した。
「清信さんの特製だ。少し沁みるぞ」
俺は祈るような気持ちで、その強力な止血作用のある軟膏を北斎の深い傷口にたっぷりと塗り込んだ。
(どうする……。俺が北斎を背負って、地上まで退避するか?)
いや、ダメだ。
ここから地上までは遠すぎる。
それに、敵の主力である石燕や滝夜叉姫はまだこの奥にいるんだ。
先行した豊春さんたちだけでは、どうなるかわからない。
俺一人欠けることが、この戦況において致命傷になりかねない。
俺の葛藤を見透かしたように、北斎が弱々しい手で俺の腕を掴んだ。
「写楽……俺に構うな。行け……」
「でも、こんな状態のお前を放っておけるかよ!」
「お前が行かなくて、誰がこの国を守るんだ……。急げ……!」
北斎の瞳には、死への恐怖など微塵もなかった。
そこにあったのは、ウキヨ英士としての、帝都を守り抜くという強い意志。
「……ッ!」
俺は奥歯を強く噛み締め、北斎の手をそっと握り返した。
「絶対に死ぬなよ、北斎。……あとで必ず迎えに来るからな!」
俺は北斎を、敵の目に触れない安全な物陰へと隠し、立ち上がった。
振り返らずに、地を蹴る。
目指すは、豊春さんや広重たちが戦っているはずの、さらなる最奥。
俺は赤い光刃を強く握りしめ、激しい戦音の鳴り響く奥底へと駆け出していった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
次回は9月21日(月)19時に更新予定です。




