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浮世英伝 ―大正ウキヨ英士伝―  作者: 本堂ポンタ
第十一章 江戸城龍穴(前編)

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遠ざかる背中

挿絵(By みてみん)

「——待ってくれ!」

 俺の腹の底からの叫びに、引き戸に手をかけていた清信さんがピタリと動きを止めた。

「清信さん! 浮世組からは俺たちが行く!」

 俺は一歩前に踏み出し、清信さんを真っ直ぐに見据えた。

 隣には、北斎が静かに並び立つ。

「浅草の守りは政信の旦那や清信さんがいれば十分なはずだ」

 北斎が淡々とした口調で補足する。

「写楽と俺が江戸城龍穴に行く。この緊急事態に、悩んでいる時間なんてないだろう」

 清信さんは、険しい表情のまま俺たちを見回した。

 清信さんの頭の中では、浅草を守る戦力と、江戸城へ向かう戦力が、天秤にかけられているんだろう。

 俺は強く拳を握りしめた。

「確かに俺は、ウキヨ英士になったばかりで頼りないかもしれねぇ。でも、行かせてくれよ!」

 俺の必死の訴えに、清信さんは小さく息を吐き、静かに口を開いた。

「……頼もしくなったな、写楽」

 清信さんの声に、全員の視線が一点に集まる。

「写楽、北斎。浮世組を代表して直ちに江戸城へ急行せよ。先行している豊春たちと合流し、大倭衆の江戸城龍穴占拠を必ず阻止するんだ!」

「「はっ!」」

 俺たちは一斉に姿勢を正し、力強く返事をした。

「……決まったようだな!」

 国貞がバツが悪そうに頭をガシガシと掻きむしる。

「よし、行くぜ野郎ども! 帝都のド真ん中でデカいツラしてる化け物どもを、一匹残らず叩き出すぞ!」

 国芳が拳を高く突き上げ、熱く吠える。

「応!」

 待ってろ、大倭衆。

 これ以上、お前たちの好きにはさせねえ。

 俺たちは弾かれたように事務所を飛び出し、夜の帝都へと駆け出した。

 目指すは、江戸城龍穴——。


 事務所の入り口がバタンと閉まり、喧騒が夜の闇に吸い込まれていく。

 後に残されたのは、急激に冷え込んだ静寂と、取り残された者の焦燥感だけだった。

「……行っちゃった」

 奥の部屋から飛び出してきた応為は、その場に立ち尽くし、五人が消えた夜道をぼんやりと見つめていた。

 国貞、国芳、広重、北斎、そして写楽。

 背中を預け合い、同じ志を持って戦場へ赴く彼らの後ろ姿が、応為の目にはやけに眩しく、そして遠く映った。

 彼らは戦う力を持っている。

 帝都を守り、大倭衆に立ち向かうための龍輝筆刃と、それを振るうに足る強さを。

(あたしは……また、置いていかれた)

 応為は、車引きの仕事で硬くなった自分の掌を、ぎゅっと握りしめた。

 兄である北斎や、日進月歩で力をつける写楽たちに比べて、今の自分はあまりにも無力だ。

 大倭衆のような化け物が相手の戦場で、車引きしかできない自分ができることなど、何もない。

 彼らが命を賭して戦っている間、あたしは浅草の街で、ただ彼らの無事を祈ることしかできないのか。

 その事実が、応為の胸を深く、鋭く突き刺す。

(悔しい……。ただただ、悔しいよ)

 温厚で心優しい五月と出会い、少しだけ自分を見つめ直せたと思っていた。

 だが、事態が急激に動き出し、戦いの火蓋が切られた今、自分の無力さがかつてないほど鮮明に突きつけられる。

 応為の瞳に、悔し涙が滲む。

 だが、彼女はすぐに袖口で乱暴にそれを拭った。

 ただ悲しんでいても、何も変わらない。

 あの眩しい背中を、いつか必ず自分も追い越してみせる。

 戦う力がないのなら、今はせめて、この鍛え上げた足腰と体力で、いつか力が目覚めたその瞬間に、誰よりも速く駆けつけられる備えをしておくしかない。

「……あたしだって、絶対に強くなる」

 応為は引き戸をしっかりと閉めると、誰もいない夜の事務所で、小さな決意を口にした。

 いつか必ず、彼らの隣に並び立つために。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

次回は9月14日(月)19時に更新予定です。

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