↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
浮世英伝 ―大正ウキヨ英士伝―  作者: 本堂ポンタ
第十一章 江戸城龍穴(前編)

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
54/78

龍人会の意地

挿絵(By みてみん)

「国貞……!」

 俺が声を上げるよりも早く、国芳が弾かれたように声を上げた。

「兄貴! どうしたんだよ、それにその姿……!」

 国芳の兄であり、歌川龍人会に所属する国貞だ。

 どんな時も「俺に任せろ!」と快活に笑う熱血漢の彼が、今は切羽詰まった表情で肩で激しく息をし、額には玉のような汗を浮かべている。

 漆黒のスーツの裾は泥で汚れ、どれほど無茶な走り方をしてきたのかがひと目でわかった。

 そのただならぬ様子に、俺は木刀を握る手にぐっと力を込める。

 だが、国貞の視線は、俺たちを通り越し、部屋の中央に静かに佇む二人の黒装束——将軍直属の隠密である智雪と康雪に向けられた。

「……っ、将軍直属の隠密か。どうやら、俺が報せるまでもなく耳に入ってたようだな!」

 国貞は少しだけ息を整え、声を張り上げた。

「国貞。お前も、江戸城の急報を伝えに来てくれたのか」

 清信さんが、警戒を解かないまま静かに問う。

「ああ! だけど、政府ののんびりした連絡網より早く報せてやろうと思って全速力で駆けてきたが……さすがは直属の隠密ってとこか」

 国貞の言葉には、政府の組織である浮世組に対して、龍人会特有の負けん気の強さが表れていた。

 智雪が、顔の半分を覆う布の奥で、鋭い視線を国貞に向ける。

「龍人会のウキヨ英士が、なぜ江戸城の異変を察知している。事態が発生してから、まだ幾時も経っていないのだぞ」

 康雪も同調するように、国貞を睨みつけた。

「政府に属さぬ龍人会が、どこからその情報を得たのか、お答えいただきたい」

 隠密兄弟の静かな問いかけに、室内の空気が一気に張り詰めた。

 だが、国貞は隠密たちの威圧に臆するどころか、不敵に笑って言い放った。

「政府の管轄外だからこそ、だよ! あんたたち正規の連中が上の命令を待ってる間も、俺たちは常に帝都の龍穴に目を光らせてるんだ。……それ以上の詮索は無用だぜ」

「……何だと」

 康雪が一歩前に出ようとした瞬間、清信さんがスッと右手を挙げて制した。

「やめろ。今は味方同士で揉めている場合ではない」

 清信さんの静かだが絶対的な響きを持つ声に、隠密兄弟は動きを止めた。

「智雪、康雪。事態の緊急性は十分に理解した。輝吉様には、我ら浅草浮世組はこれより直ちに江戸城へ向かうと伝えてくれ」

「……承知いたしました」

 智雪は短く応えると、国貞へ最後にもう一度鋭い視線を投げかけ、弟の康雪と共に深く頭を下げた。

 次の瞬間。

 風が鳴るような微かな音と共に、二人の姿は夜の闇へと溶けるように消え去った。

 事務所の中には、俺たち浮世組の面々と、国貞だけが残された。

 薄暗い電灯の光が、重苦しい沈黙を照らし出している。

「……兄貴。あんたが直々に全速力で走ってきたってことは、相当ヤバい状況なんだな」

 国芳が、普段のおどけた態度を完全に消し去り、真剣な顔で尋ねた。

「ああ。敵の数は未知数だが、すでに龍穴内は地獄絵図になっているはずだ」

 国貞はギリッと奥歯を鳴らし、拳を強く握りしめた。

「大倭衆の奴ら……ついにこの国の本丸に牙を剥きやがったか」

 北斎が静かに呟く。

「だが、お前が一人で伝令に走ってくるなんてな。豊春さんたちはどうした」

「頭領(オヤジ)と頭(カシラ)、豊広さんの三人は、すでに先行して江戸城龍穴へ向かってる」

 国貞は力強く言い放つと、鋭い視線を国芳と広重に向けた。

「俺はこいつらを回収しに来たんだ。龍人会の戦力は、一人でも多く必要だからな」

(……江戸城龍穴が落ちれば、この帝都の平和と繁栄は完全に終わってしまう……!)

 俺がその絶望的な事実に戦慄を覚えていると、張り詰めた沈黙を破るように、広重が口を開いた。

「だが、事態が発生してからまだ幾時も経っていないはずだ。豊広さんが、単独でその兆候を掴んでいた……ということか」

 さっきまで広重が口にしていた『今夜は少し外す』という豊広の言葉が、俺の脳裏にも蘇る。

「ああ。豊広さんはここ数日、大倭衆の不穏な動きを嗅ぎつけて、ずっと独自のルートで探りを入れてたんだ。そして今夜、奴らの狙いが江戸城龍穴だと確信した。……もっとも、奴らが外の結界を破らずに内部から直接湧いて出るなんていう、反則みたいな手を使ってくるとまでは読めなかったようだがな」

 国貞は悔しそうに顔を歪め、強く拳を握りしめた。

「内部から直接……!? じゃあ、江戸城を覆ってるあの巨大な結界は、まったく役に立ってないってことかよ!」

 俺が思わず声を上げると、国貞は重々しく頷いた。

「そういうことだ。大倭衆の連中がどうやって空間を歪めたのかはわからねえ。だが、現実として、江戸城龍穴は今、惡魂衆の巣窟になりつつある」

「……最悪の事態だな」

 北斎が、忌々しそうに短く吐き捨てた。

「だからこそ、一刻の猶予もねえんだ! 頭領(オヤジ)と頭(カシラ)、それに豊広さんの三人は、一足先に江戸城へ向かったが、相手はあの大倭衆だ。いくらあの三人でも、数が多けりゃどうなるかわからねえ」

 国貞はそこまで言うと、真っ直ぐに弟の国芳と、広重を見据えた。

「だから、俺は急いでここに来た! 国芳! 広重! お前たちの力が必要だ!」

 国貞の、腹の底から響くような熱く力強い声が、事務所の空気をビリビリと震わせる。

「……ッ!」

 国芳から、普段のおどけたような空気が完全に消え去っていた。

 彼は無言で立ち上がると、傍らに置いてあった己の龍輝筆刃を手に取った。

「……兄貴。言われなくたって、そのつもりだぜ。頭領(オヤジ)たちを放っておけるわけねえだろ」

「国芳……」

「それに、江戸城の龍穴が落とされたら、赤坂の二の舞だ。この浅草だって、どうなるかわかったもんじゃねえ。……俺たちの手で、ガツンとやってやろうじゃねえか」

 着ぐるみの奥から覗く国芳の瞳には、かつてないほどの鋭い闘志が宿っていた。

 隣にいた広重もまた、静かに立ち上がり、自身の龍輝筆刃を固く握りしめた。

「無論、俺も行く。頭領(オヤジ)たちが死線を彷徨っている時に、ここで大人しく待っている理由はないからな。……必ず、俺たちの手で江戸城龍穴を守り抜く」

 広重の生真面目な顔にも、言葉数を抑えた確かな決意がみなぎっていた。

「二人とも……! 頼りにしてるぜ!」

 国貞は、嬉しそうにパァンと大きく手を叩き、ニカッと頼もしい笑みを浮かべた。

 どんな絶望的な状況でも、決して諦めず、仲間を信じて鼓舞する。

 それが、国貞という男の持つ最大の強さなのだろう。

 その熱いやり取りを見つめながら、清信さんが険しい顔で腕を組んだ。

「……輝吉様からの直々の急報。本来なら、我ら浮世組も総力を挙げて江戸城へ急行すべき事態だ」

 清信さんの低い声に、事務所の空気が一段と重くなる。

「だが……大倭衆の狙いが江戸城だけとは限らない。もし我々全員がここを空けた隙に、浅草龍穴を狙われれば、それこそ一巻の終わりだ」

「ああ、その通りだ。だからこそ、浅草の守りは政信の旦那やあんたらに任せるぜ。江戸城は俺たち龍人会がなんとかしてみせる!」

 国貞が胸を張り、力強く言い放つ。

 清信さんは眉間を深く揉みほぐしながら、ギリッと奥歯を噛み締めた。

「……正規部隊である我々が、お前たち龍人会だけに江戸城を任せるわけにはいかない。だが、浅草を空にするわけにもいかぬ。戦力をどう分けるべきか……」

 清信さんの苦悩は、痛いほど理解できた。

 大倭衆の襲撃を受けている江戸城龍穴に一分でも早く駆けつけねばならない。

 だが、浅草を守る戦力も絶対に残さなければならないのだ。

 そのやり取りを聞いていて、俺の胸の奥で、ジリジリと熱いものが煮え滾ってくるのを感じた。

 大倭衆。

 赤坂の地下で、歌麿を傷つけ、帝都の平和を脅かそうとする連中。

 今度は江戸城龍穴で最悪の事態を引き起こそうとしている中、国貞たち龍人会は、たった数人でその地獄のど真ん中へ飛び込もうとしているのだ。

(……ここで、黙って見送るなんて、俺にできるわけがねえ!)

 俺は、無意識のうちに自分の龍輝筆刃を強く握りしめていた。

 隣を見ると、北斎もまた、静かに、だが獲物を狙う鷹のような鋭い眼差しで、己の龍輝筆刃に手をかけているところだった。

 考えていることは、きっと同じだ。

 俺は大きく息を吸い込み、清信さんと、踵を返そうとする国貞に向かって、腹の底から声を張り上げた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

次回は9月12日(土)19時に更新予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。