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浮世英伝 ―大正ウキヨ英士伝―  作者: 本堂ポンタ
第十章 兄妹

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影の刃

挿絵(By みてみん)

「あの日、異常な龍輝の噴出を調査するため、俺や清信たちは赤坂の地下へ向かった。だが、豊春は……政府の連中の命令で、地上での待機を余儀なくされちまったんだ」

「待機? なんでですか。豊春さんって、当時からすげえ腕が立ってたんですよね?」

 俺が身を乗り出して聞くと、旦那は紫煙の向こうで自嘲気味に笑った。

「お偉いさん方ってのは、現場の血の匂いより、書類の体裁や規則を重んじる生き物でな。『状況が完全に把握できるまで勝手な行動は許可できん』……だとよ」

「なんだよ、それ……!」

 思わず声が荒らがる。

 仲間が地下で得体の知れない事態に直面しているというのに、見ていることしかできないなんて、どれほど歯痒かったか。

 想像しただけでも胸糞が悪くなる。

「結果、俺たちが地下で石燕たちの罠にハメられて地獄を見てる間、豊春は地上でただ、仲間の血が流れるのを待つしかなかった」

 旦那の声が、一段と低く沈む。

 五年前のあの日。

 清長さんが心に深い傷を負い、清信さんが前線を退くほどの重傷を負った、あの悲劇。

「上が判断を下す頃には、何もかもが手遅れだった。硬直した指揮系統のせいで、対応がすべて後手に回っちまったんだ。……豊春にとって、あの日の地上待機は、自分が斬られるより辛かったはずだぜ」

 とっくりを傾け、旦那は手元の杯を一気に干した。

「あの悲劇を機に、俺たち浮世組は政府の一部署から将軍直轄の組織になった。だが……豊春は骨の髄まで痛感していたのさ。いくら直轄になろうが、公の組織である以上、大倭衆の狡猾なやり口には対抗しきれねえってな。法や規則、体面に縛られていちゃ、本当に守るべきものは守れねえと」

 俺は口を閉ざしたまま、旦那の言葉を噛み締めた。

 さっき店の前ですれ違った豊春さんの、あの静かで険しい眼差し。

 その裏には、かつて己の無力さを呪い、体制の限界を思い知った男の、血を吐くような悔しさがあったのだ。

「普通なら、そこで政府を見限って反旗を翻すか、絶望して剣を置くかのどっちかだ。……だが、あいつは違った」

 旦那が空になった杯をトン、とカウンターに置く。

「あいつは絶望する代わりに……とんでもねえ改革に打って出たんだ」

「……改革、って?」

 俺が尋ねると、旦那はゆっくりと煙管を口に運び、細く紫煙を吐き出した。

「あいつは、政府の正規の手続きなんか全部すっ飛ばして、直接将軍である輝吉様に直談判に及んだんだよ。『法や体面に縛られず、自由に動ける独立部隊を設立させてくれ』とな」

「将軍様に、直接……!?」

 俺は思わず目を見開いた。

 いくら腕が立つとはいえ、一介のウキヨ英士が、この国のトップに直接そんな要求を突きつけるなんて、並の度胸じゃない。

 一歩間違えれば、不敬罪で重罰に処されてもおかしくないはずだ。

「普通なら門前払いか、不敬罪でしょっぴかれて終わりだ。だが……輝吉様は違った。あのお方は、豊春の訴えの裏にある『本質』を見抜かれたのさ」

 旦那の目が、どこか楽しげに細められる。

 そういえば、以前江戸城で会った輝吉様は、威厳がありながらも、どこか型破りで底知れない凄みを持った人だった。

「『上の連中に任せていては、本当に守るべきものは守れない。だからこそ、俺たちが為政者の手の届かぬ影を斬る刃となる』。……豊春のその覚悟を、輝吉様はもう一つの刃として認められた。そうして設立されたのが、帝都政府公認の別動隊……歌川龍人会ってわけだ」

「政府公認の……影の刃……」

 俺は呟きながら、先ほどの豊春さんの険しい顔を思い出した。

 彼らはただの反骨心で浮世組と反目しているわけじゃない。

 政府の表の顔である俺たち「浮世組」にはできない、裏の汚れ仕事や非合法な手段を使ってでも、この帝都を守り抜くという、強烈な信念で動いているのだ。

「豊春のその覚悟と漢気に惚れ込んだのが、さっきの豊国と豊広だ。あいつらは、豊春の信念に生涯を預け、自ら進んで影の道を歩むことを選んだのさ」

 旦那は煙管を灰吹にコンと叩きつけ、残っていた酒を飲み干した。

「やり方は違えど、見据えてる先は同じだ。……奴らは奴らで、必死にこの帝都を守ろうとしてるんだよ」

 俺は、自分の手元にある杯をじっと見つめた。

 浮世組と龍人会。光と影。

 二つの組織が背負っているものの重さを知り、俺の胸の奥で、何かが熱く滾るのを感じていた。

「……なんだか、すげえ話を聞いちまいましたね」

「ははっ、新入りには少し重かったか?」

「いや……」

 俺は顔を上げ、旦那に向かってニヤリと笑ってみせた。

「俺も負けてらんねえなって、気合が入ったところッスよ」

 旦那は少し驚いたように目を見張った後、

「……頼もしいこった」

 と、いつもの昼行灯のような柔らかい笑みを浮かべた。

 夜の酒場に、また静かな時間が流れ始める。

 俺は残りの酒をあおりながら、この仲間たちと共に戦う覚悟が研ぎ澄まされていくのを感じていた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

次回は9月7日(月)19時に更新予定です。

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