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浮世英伝 ―大正ウキヨ英士伝―  作者: 本堂ポンタ
第八章 赤坂旧龍穴(前編)

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哀しき剣舞

挿絵(By みてみん)

「……なんでだよ」

 掠れた声で、俺は問う。

「なんで、俺なんかのために、そこまで……」

 応為は一瞬、言葉を止める。

 そして、闇の中でちょっとだけ頬を赤らめ、そっぽを向いてぽつんと呟いた。

「……仲間でしょ。バカ 」

 その一言が、じんわりと、胸の奥に染み込んでくる。

 そうだ。

 いつの間にか、俺は忘れてた。

 俺はもう、一人じゃないんだ。

 震える足で、ゆっくりと立ち上がる。

 まだ体は重い。

 鳩尾の痛みは消えねえ。

 それでも、応為の視線が、俺の背中を押してる気がした。

 まだ、戦える。

 いや、戦わなきゃならねえ。

「……悪ぃ、応為。助かった」

 掠れた声で呟くと、喉に残る血の味がまだざらつく。

「ふん、礼なんていつでもいいよ。それより、これからどうするつもり?」

 応為が、腕組みをして俺をじっと見つめる。

 その瞳には心配が滲むけど、負けん気の強い光もちゃんと宿ってる。

「どうするって……決まってんだろ。応為はここから出ろ。地上に戻れ」

 胸の奥で何か重いものが疼く。

 俺なんかのために、こんな奴が危険な目に遭うなんて、考えるだけで胃が締め付けられる。

「は!? 何!? それ、冗談でしょ!?」

 応為が目を丸くして、ちょっと高めの声でまくし立てる。

「一人で突っ走って、またボロボロになる気!? あたしを置いてくなんて、ありえないから!」

 その声には、怒りと一緒に、隠しきれねえ不安がチラッと混じる。

 でも、彼女の瞳には、怖さを押し潰すような、強い意志の光が宿っていた。

 こいつ、ホントに本気だな。

「……分かったよ」

 俺は力なく息を吐く。

 根負けしたんじゃねえ。

 こいつの目を見てたら、説き伏せるなんて無理だと分かっただけだ。

「ただし、約束しろ。絶対に俺から離れねえこと。何かあったら、俺を置いてでも逃げろ」

 応為の唇が、ちょっとだけ尖る。

「……うん、わかったよ。約束する」

 少し拗ねたように言うけど、ちゃんと頷いてくれる。

 俺たちは互いに顔を見合わせ、言葉なく小さく頷き合った。

「よし、行くぞ。清長たちと合流する」

 再び、闇の奥へと足を踏み出す。


 二人分の足音が、湿った坑道に不気味に反響する。

 冷たい空気が肺を刺すたび、鳩尾の痛みが鈍く疼く。

 まだ、俺の体はあの惨敗の傷を引きずってる。

 情けねえ。

「……ねえ」

 隣を歩く応為が、ぽつりと口を開く。

「あんた、さっきの奴にやられた傷……本当に平気なの?」

 その声には、さっきの強気とは裏腹にほんの少しの震えが混じる。

「大したことねえよ。動ける」

 嘘だ。

 動くたびに体が軋む。

 けど、こんなことで足を止めるわけにはいかねえ。

「応為こそ、こんな真っ暗で地獄みてえな場所、怖くないのか?」

 応為が一瞬、黙る。

「……怖いよ。こんなとこ、誰だってそうでしょ」

 彼女の声は小さくて、闇に吸い込まれそうに頼りねえ。

「でもさ……あんたが一人でここでくたばってる方が、よっぽど怖いよ」

 その不器用だけど真っ直ぐな言葉に、胸がギュッと締め付けられる。

 何も言えねえ。

 でも危険な闇が、皮肉にも俺たちの心の距離を縮めていた。

 俺はあの負け犬の自分を引きずってる。

 けど、こいつの足音が隣で響く限り、俺はまだ前に進める気がした。


 歌麿が踏み入れた左の坑道は、異様な静寂に支配されていた。

 壁面は不自然に滑らかで、まるで神の業で削られたかのごとく冷たく光る。

 薄紅色の陣羽織から放たれる龍輝の光は壁面に冷たく反射し、歌麿の姿を不気味に映し出す。

「……なんとも下品な舞台ね」

 歌麿は扇子で口元を隠し優雅に呟くが、その声には微かな苛立ちが滲む。

 この先に潜むナニカの魂——致命的に歪んだ禍々しい気配を、彼は捉えていた。

 一歩、また一歩。

 陣羽織の擦れる音が、静寂を切り裂く。

 歌麿の足取りは慎重だが、決して怯まない。


 やがて、坑道が開け、歌麿は地底湖のほとりに辿り着いた。

 小さな滝が岩を穿ち、黒い水面に波紋を広げる。

 そこに、まるで血に染まった月のように、静かに佇む人影があった。

 禍々しい赤のマントが、不気味に揺れる。

 その男がゆっくり振り返った瞬間、歌麿の瞳が、哀しみと怒りに鋭く細められた。

「……栄之ちゃん」

 その声は、普段の華やかな彼からは想像もつかぬほど低く、冷たく響く。

 そこに立つのは、かつて浅草浮世組のウキヨ英士として剣を交えた男——栄之。

 歌麿の好敵手であり、友だった男。

 二年前の『浅草大火』。

 炎に呑まれた帝都の街で、栄之は歌麿の目の前で裏切り、大倭衆の闇に堕ちた。

 あの日、燃え盛る浅草の街並みが崩れる中、栄之の背中が闇に溶けた記憶が歌麿の胸を刺す。

「久しぶりね。そんな無様な姿で、まだ生きてたなんて、驚きだわ」

 歌麿の言葉が、鋭く投げかけられる。

 だが、その瞳の奥には、かつての友が失われたことへのやり場のない哀しみが揺らめく。

 栄之は答えない。

 ただ、光を失った瞳で、かつての好敵手を見つめていた。

 その手には、紫の刃を放つ龍輝筆刃が、まるであやかしの類が宿ったかのように禍々しく光る。

「その汚らしいマント、まるで似合わないわよ。大倭衆なんかに魂を売って、剣の道まで見失ったのかしら?」

 歌麿の声は挑発的で、優雅さを崩さない。

 だが、言葉の端々に、友を失った哀しみが滲む。

 栄之はそれを、冷たく踏みにじる。

「……歌麿」

 初めて口を開いた栄之の声は、まるで龍脈の底から響く冷たく無機質なものだった。

「貴様のその浮ついた剣、俺がここで断ち切る。それだけだ」

 歌麿の唇が、ふっと自嘲するように歪む。

「……そう。だったら、思い出させてあげるわね」

 彼は扇子を畳み、薄紅の陣羽織を翻す。

 龍輝筆刃が握られ、まるで月光を切り裂くような深紅の輝きを放つ。

「本物の強さ——そして、美が何かを!」

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

次回は8月17日(月)19時に更新予定です。

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