哀しき剣舞
「……なんでだよ」
掠れた声で、俺は問う。
「なんで、俺なんかのために、そこまで……」
応為は一瞬、言葉を止める。
そして、闇の中でちょっとだけ頬を赤らめ、そっぽを向いてぽつんと呟いた。
「……仲間でしょ。バカ 」
その一言が、じんわりと、胸の奥に染み込んでくる。
そうだ。
いつの間にか、俺は忘れてた。
俺はもう、一人じゃないんだ。
震える足で、ゆっくりと立ち上がる。
まだ体は重い。
鳩尾の痛みは消えねえ。
それでも、応為の視線が、俺の背中を押してる気がした。
まだ、戦える。
いや、戦わなきゃならねえ。
「……悪ぃ、応為。助かった」
掠れた声で呟くと、喉に残る血の味がまだざらつく。
「ふん、礼なんていつでもいいよ。それより、これからどうするつもり?」
応為が、腕組みをして俺をじっと見つめる。
その瞳には心配が滲むけど、負けん気の強い光もちゃんと宿ってる。
「どうするって……決まってんだろ。応為はここから出ろ。地上に戻れ」
胸の奥で何か重いものが疼く。
俺なんかのために、こんな奴が危険な目に遭うなんて、考えるだけで胃が締め付けられる。
「は!? 何!? それ、冗談でしょ!?」
応為が目を丸くして、ちょっと高めの声でまくし立てる。
「一人で突っ走って、またボロボロになる気!? あたしを置いてくなんて、ありえないから!」
その声には、怒りと一緒に、隠しきれねえ不安がチラッと混じる。
でも、彼女の瞳には、怖さを押し潰すような、強い意志の光が宿っていた。
こいつ、ホントに本気だな。
「……分かったよ」
俺は力なく息を吐く。
根負けしたんじゃねえ。
こいつの目を見てたら、説き伏せるなんて無理だと分かっただけだ。
「ただし、約束しろ。絶対に俺から離れねえこと。何かあったら、俺を置いてでも逃げろ」
応為の唇が、ちょっとだけ尖る。
「……うん、わかったよ。約束する」
少し拗ねたように言うけど、ちゃんと頷いてくれる。
俺たちは互いに顔を見合わせ、言葉なく小さく頷き合った。
「よし、行くぞ。清長たちと合流する」
再び、闇の奥へと足を踏み出す。
二人分の足音が、湿った坑道に不気味に反響する。
冷たい空気が肺を刺すたび、鳩尾の痛みが鈍く疼く。
まだ、俺の体はあの惨敗の傷を引きずってる。
情けねえ。
「……ねえ」
隣を歩く応為が、ぽつりと口を開く。
「あんた、さっきの奴にやられた傷……本当に平気なの?」
その声には、さっきの強気とは裏腹にほんの少しの震えが混じる。
「大したことねえよ。動ける」
嘘だ。
動くたびに体が軋む。
けど、こんなことで足を止めるわけにはいかねえ。
「応為こそ、こんな真っ暗で地獄みてえな場所、怖くないのか?」
応為が一瞬、黙る。
「……怖いよ。こんなとこ、誰だってそうでしょ」
彼女の声は小さくて、闇に吸い込まれそうに頼りねえ。
「でもさ……あんたが一人でここでくたばってる方が、よっぽど怖いよ」
その不器用だけど真っ直ぐな言葉に、胸がギュッと締め付けられる。
何も言えねえ。
でも危険な闇が、皮肉にも俺たちの心の距離を縮めていた。
俺はあの負け犬の自分を引きずってる。
けど、こいつの足音が隣で響く限り、俺はまだ前に進める気がした。
歌麿が踏み入れた左の坑道は、異様な静寂に支配されていた。
壁面は不自然に滑らかで、まるで神の業で削られたかのごとく冷たく光る。
薄紅色の陣羽織から放たれる龍輝の光は壁面に冷たく反射し、歌麿の姿を不気味に映し出す。
「……なんとも下品な舞台ね」
歌麿は扇子で口元を隠し優雅に呟くが、その声には微かな苛立ちが滲む。
この先に潜むナニカの魂——致命的に歪んだ禍々しい気配を、彼は捉えていた。
一歩、また一歩。
陣羽織の擦れる音が、静寂を切り裂く。
歌麿の足取りは慎重だが、決して怯まない。
やがて、坑道が開け、歌麿は地底湖のほとりに辿り着いた。
小さな滝が岩を穿ち、黒い水面に波紋を広げる。
そこに、まるで血に染まった月のように、静かに佇む人影があった。
禍々しい赤のマントが、不気味に揺れる。
その男がゆっくり振り返った瞬間、歌麿の瞳が、哀しみと怒りに鋭く細められた。
「……栄之ちゃん」
その声は、普段の華やかな彼からは想像もつかぬほど低く、冷たく響く。
そこに立つのは、かつて浅草浮世組のウキヨ英士として剣を交えた男——栄之。
歌麿の好敵手であり、友だった男。
二年前の『浅草大火』。
炎に呑まれた帝都の街で、栄之は歌麿の目の前で裏切り、大倭衆の闇に堕ちた。
あの日、燃え盛る浅草の街並みが崩れる中、栄之の背中が闇に溶けた記憶が歌麿の胸を刺す。
「久しぶりね。そんな無様な姿で、まだ生きてたなんて、驚きだわ」
歌麿の言葉が、鋭く投げかけられる。
だが、その瞳の奥には、かつての友が失われたことへのやり場のない哀しみが揺らめく。
栄之は答えない。
ただ、光を失った瞳で、かつての好敵手を見つめていた。
その手には、紫の刃を放つ龍輝筆刃が、まるであやかしの類が宿ったかのように禍々しく光る。
「その汚らしいマント、まるで似合わないわよ。大倭衆なんかに魂を売って、剣の道まで見失ったのかしら?」
歌麿の声は挑発的で、優雅さを崩さない。
だが、言葉の端々に、友を失った哀しみが滲む。
栄之はそれを、冷たく踏みにじる。
「……歌麿」
初めて口を開いた栄之の声は、まるで龍脈の底から響く冷たく無機質なものだった。
「貴様のその浮ついた剣、俺がここで断ち切る。それだけだ」
歌麿の唇が、ふっと自嘲するように歪む。
「……そう。だったら、思い出させてあげるわね」
彼は扇子を畳み、薄紅の陣羽織を翻す。
龍輝筆刃が握られ、まるで月光を切り裂くような深紅の輝きを放つ。
「本物の強さ——そして、美が何かを!」
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
次回は8月17日(月)19時に更新予定です。




