赤坂龍穴事変
清信は、目の前で戸惑いながらも、真っ直ぐな瞳で自分を見つめる写楽に、かつての教え子の姿を重ねていた。
(……面白い奴だ。あの時の奴の眼とよく似ている)
写楽に助言を与えながら、清信の脳裏には、決して忘れることのできない、あの日の光景が蘇っていた。
——五年前、『赤坂龍穴事変』。
若き日の清信は、ウキヨ英士として、まさにその実力の頂に到達していた。
そんな彼が目をかけ、指南役として鍛え上げていたのは、当時血気盛んで未熟な若き剣士だった、清長。
現在は崩壊し封鎖されている赤坂龍穴で、異常な量の龍輝が噴出する『赤坂龍穴事変』が発生し、清信は清長らを引き連れ調査に向かった。
しかし、龍穴最深部で彼らを待ち受けていたのは、仮面をつけた二人の男だった。
彼らの名は、夜叉丸と蜘蛛丸。
異常に噴き出る龍輝を背景に、仮面の男たちは清信らに紫色に光る刃を向けてきた。
「貴様ら、ここで何を企んでやがる!」
若さゆえの熱い正義感は、時に鋭利な刃となり、自らを切り裂く。
夜叉丸に単身挑んだ清長の剣は、まるで子供の振り回す木刀のよう、軽々とあしらわれた。
突出した清長を庇うため、己の身を投げ出す清信。
その刹那、もう一人の仮面の男・蜘蛛丸の冷たく鋭い刃が清信を捉え、赤い鮮血が闇に散る。
死力を尽くして夜叉丸と蜘蛛丸を追い払うことに成功するが、その代償はあまりにも大きかった。
赤坂龍穴は崩壊し、同行した複数のウキヨ英士が行方不明となる。
瀕死の重傷を負った清信は、一命は取り留めるものの、ウキヨ英士として最前線で戦うことは、もう叶わぬ体となってしまった。
「俺のせいだ……」
清長は自らを許せなかった。
自らの未熟さが、敬愛する師の輝く未来を奪った――その悔恨は、清長の魂に灼熱の烙印を押した。
その日から、清長は規律の鬼となった。
もう二度と、仲間を失わないために。
自分の判断ミスで、誰かを傷つけないために。
病床に横たわる清信は、窓から差し込む薄い月光の下、変わり果てた己の身を受け入れていた。
「俺の戦いは、まだ終わっちゃいない」
一瞬、かつての剣の冴えが脳裏をよぎり、胸が締め付けられた。
だが、彼は静かに、固く誓った。
「俺にもまだやれることがある……。この眼と経験で、若き芽を導き、育てること——それが俺に与えられた戦場だ」
彼の穏やかさは、一度死線を越えた者だけが持つ、静かな覚悟の現れ。
目の前の、写楽という新しい芽。
その、あまりにも危うく、それでいて力強い光を、今度こそ守り抜いてみせる。
清信は、そっと杯を置くと、いつもの人の良い笑みを、写楽へと向けた。
その瞳の奥に宿る、深く、そして温かい光に、まだ写楽は気づいていなかった。
「……ま、そういうこった」
その一言に、どれだけの重みが込められているのか。
今の俺には、まだ測り知れない。
だが、彼の言葉は、俺の心の奥深くに、確かに届いていた。
(……仲間、か)
俺は、改めて座敷の中を見渡す。
そこには、さっきまでの死闘が嘘のような、賑やかで、温かい光景が広がっていた。
「だからよぉ、兄貴! あの時の惡魂は、俺が仕留めたようなもんだろ!」
「何を言うか、芳! あの最後の一撃は、俺の剣があってこそだろうが!」
国芳と国貞の双子が、どっちの手柄かで子供のように言い争っている。
「豊国さん、飲みすぎですよ。明日も早いんですから」
「うるせえ、豊広! 祭りの後の酒が、美味くねえわけねえだろうが!」
豊国さんは、豊広さんに絡みながら、豪快に酒を呷っている。
浮世組も、龍人会も、もう関係ない。
誰もが笑い、語り合い、今日の勝利を分かち合っている。
――その荷を、分け合うためにいるのかもしれんな。
清信さんの言葉が、脳裏に蘇る。
そうだ。
俺は、ずっと一人で背負おうとしていた。
未来を知るという、あまりにも重い荷物を。
だが、本当は一人じゃなかった。
応為がいる。北斎がいる。清長、歌麿、広重、国芳、清信さん、政信の旦那。
そして、豊春さんたち、歌川龍人会の連中も。
めちゃくちゃで、一筋縄ではいかない連中。
でも、いざとなれば、背中を預けられる。
俺は、もう一人じゃない。
「……そうだよな」
俺の口から、思わず安堵のため息のような声が漏れた。
その声に気づいたのか、少し離れた席で北斎と話していた応為が、ちらりとこちらを見る。
その視線は、もう以前のような冷たいものではなかった。
俺は、その視線を真っ直ぐに受け止め、静かに頷く。
そうだ。
俺は、この仲間たちと共に、未来を変える。
一人で抱え込むのが強さじゃない。
この仲間たちを信じ、この絆を力に変えることこそが、俺だけの戦い方なんだ。
俺は、湯呑みに残っていた茶をぐいと飲み干した。
胸の奥で、迷いの霧が晴れていく。
その代わりに、どこまでも熱い決意の炎が、燃え上がっていた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
次回は7月22日(水)19時に更新予定です。




