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浮世英伝 ―大正ウキヨ英士伝―  作者: 本堂ポンタ


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雨垂れ石を穿つように

挿絵(By みてみん)

 豊国さんたちとの共闘から、数日が過ぎた。

 その日の警邏は、俺は広重と組むことになっていた。

「…………」

 気まずい。

 とにかく、気まずい沈黙が俺たちの間を流れる。

 国芳と組んだ時とは大違いだ。

 あの騒々しさが、今となっては少しだけ恋しい。

 広重は、悪い奴じゃない。

 生真面目で、実直で、いい奴だというのは分かっている。

 だが、いかんせん口数が少なすぎる。

 彼が何を考えているのか、俺にはさっぱり読めなかった。

(……何か、話した方がいいのか?)

 俺がそんなことを考えていると、不意に彼の足がぴたりと止まった。

「……写楽」

「お、おう。なんだ?」

「少し、風向きが変わったな」

 広重は、そう言うと、鼻をくん、と鳴らして匂いを嗅いでいる。

 風向き?

 こいつ、犬か何かか?

 俺がそう思った、その瞬間だった。

 カン、カン、カン!

 遠くから、けたたましく半鐘が打ち鳴らされる音が響き渡った。

 火事だ。

「……!」

 直後、俺の目の前を、一陣の風が駆け抜けていった。

 広重だった。

 さっきまでの寡黙な青年が、まるで別人のように俊敏な動きで、音のした方角へと走り出す。

「こっちだ!」

 彼が向かったのは、人一人通るのがやっとの、暗い路地裏。

 常人離れした土地勘。

 彼は、火元までの最短ルートを瞬時に判断したのだ。

 俺は必死に広重の後を追う。

「おい、広重!」

 だが、広重との距離は全く縮まらない。

 速い。

 ただ速いだけじゃない。

 人混みを避け、障害物を飛び越え、一切の無駄がない動き。

(……こいつも、とんでもねえな)

 煙の匂いが、次第に濃くなっていく。

 やがて視界が開けた先に、その光景はあった。


 天を焦がすかのように、真っ赤な炎を上げる木造の家屋。

 火の粉が、夜空を蝶のように舞っている。

 人々の悲鳴と怒号。

 地獄絵図だ。

「誰か! 誰か助けて! 赤ん坊が、まだ中に……!」

 若い母親と思しき女性の、悲痛な叫び声。

 その声を聞いた瞬間、広重は動いた。

 躊躇は、微塵もなかった。

 広重は、燃え盛る家屋の入り口へと、猛然と突き進んでいく。

「おい、馬鹿野郎! 無茶だ!」

 俺が止める間もなく、広重は、崩れ落ちてくる梁を紙一重でかわし、炎の中へと消えていった。

 残された俺は、ただ呆然と、その光景を見ていることしかできない。

 今の俺にできることは、何もない。

 ウキヨ英士としての力は、人を救うための力ではないのか。

 自らの無力さが、またしても胸に突き刺さる。

 どれほどの時間が経っただろうか。

 もう駄目か、と誰もが思った、その時。

 業火の中から、一つの人影が転がり出てきた。

 広重だ。

 その腕には、黒い煤にまみれた赤ん坊が、確かに抱きかかえられていた。

「広重! 大丈夫か!!」

 と駆け寄る俺に

「ああ。でも、よかった……助け出せて本当によかった」

 咳き込みながらも、彼は安堵の息を漏らした。

 煤にまみれたその横顔は、守るべき者のためならば命さえも厭わぬ英雄のようにも感じられた。

 火事が鎮火した後も、俺はしばらくその場から動けずにいた。

 腕の中で泣きじゃくる赤ん坊を、母親が涙ながらに抱きしめている。

 その光景を、広重はただ静かに、そして少しだけ誇らしげに見つめていた。

 俺は、煤だらけになった彼の隣に、そっと歩み寄る。

「……なんで、あんな無茶したんだ」

 俺の問いに、広重はゆっくりとこちらを振り返った。

 その顔は煤で真っ黒だったが、瞳だけは、雨上がりの空のように澄んでいる。

「……昔、消防士をしていた」

 彼は、ぽつりと語り始めた。

「目の前で救えなかった命がある。……だから、もう二度と、目の前で助けを求める声から逃げないと誓ったんだ」

 その言葉は、彼の魂からの叫びだった。

「俺には歌麿さんや国芳のような派手な戦い方はできない。不器用だからな」

 広重は力強い口調で続ける。

「だが、雨垂れが石を穿つように、一手一手確実に相手の体力を削ぐ戦い方は俺にも出来る。地味かもしれんが、俺は俺なりのやり方で、惡魂からこの平和を守っていくだけだ」

 その言葉は、彼の生き様そのもの。

 地道で、粘り強くて、そして、どこまでも優しい。

「北斎さんに、追いつきたいんだ。いつか、あの人に認めてもらえるような、そんなウキヨ英士に。そのために、俺は日々の研鑽を重ねて、この帝都を守り抜く」

 俺は、言葉を失った。

 国芳の、嵐のように猛々しく、仲間を巻き込みながら輝く強さ。

 そして、広重の、全てを受け止める大地のような、静かで揺るぎない強さ。

 ウキヨ英士の戦い方は、一つじゃない。

 仲間たちの多様な強さに触れ、俺は改めて、自分の進むべき道を見つめ直していた。

(……俺は、どう戦う?)

 まだ、その答えは見つからない。

 北斎の「理」でも、歌麿の「美」でもない。

 国芳の「奇」でも、広重の「守」でもない。

 ——俺だけの、戦い方。

 今はまだ、この頼もしい仲間たちの背中を、追いかけていけばいい。

 だが、いつか必ず、俺自身の答えを見つけ出してみせる。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

次回は7月1日(水)19時に更新予定です。

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