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浮世英伝 ―大正ウキヨ英士伝―  作者: 本堂ポンタ
第五章 絆(後編)

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歌川龍人会

挿絵(By みてみん)

 がらり、と店の引き戸が開く音。

 それまで賑やかだった店内の会話が、ぴたりと止む。

 まるで、冷水を浴びせられたかのように、空気が一瞬で凍り付いた。

 入り口に立っていたのは、二人の男だった。

 仕立ての良い、黒いスーツ。

 この大正の世でも、まだ物珍しいその洋装を、二人は隙なく着こなしている。

 浅草に根を張る俺たち浮世組とは対極の、近代的な組織の人間といったその佇まい。

(……なんだ、こいつら?)

 一人は、剃刀のように鋭い眼光を持つ男。

 その全身から、触れれば斬られそうな好戦的なオーラが溢れ出している。

 そして、もう一人。

 その男の雰囲気は、隣の男とは正反対だ。

 太陽のような屈託のない笑顔を浮かべ、真っ直ぐな瞳。

 ヒーローか何かのように、自信に満ち溢れている。

 その二人が、まっすぐに俺たちの座敷へと向かってきた。

 店内の誰もが、固唾を飲んでその様子を見守っている。

 鋭い眼光の男が、国芳と広重の姿を認めると、ニヤリと口の端を吊り上げた。

「おゥ? 国芳に広重じゃねえか。てめえらも来てやがったのか」

 その言葉には、親しげな響きの中に、有無を言わせない貫禄があった。

 俺たちの間に、緊張が走る。

「……豊国さん。それに、国貞も」

 広重が、静かにその名を呼んだ。

(豊国に、国貞……。)

 俺は、ゴクリと唾を飲み込んだ。

 これから、厄介なことが始まる。

 その予感が、肌をピリピリと刺していた。

 俺がごくりと唾を飲み込むのと、太陽のように快活な男——国貞が、俺の隣に座る黒猫の国芳に向かって駆け出すのは、ほぼ同時だった。

「芳ぃいいい! 心配したんだぞ、お前! ちゃんとやっているか!」

 国貞という名の男は、国芳の肩を力強く掴んでぶんぶんと揺さぶる。

 その瞳は、再会を喜ぶかのように熱い光に満ちていた。

 対する国芳は、心底鬱陶しそうな声を上げる。

「やめろって、兄貴! 人前でベタベタすんじゃねえ!」

「何を言う! 兄弟の再会に、そんなの気にするな」

「そんなんじゃねぇって!」

(人間と黒猫が兄弟???)

 頭の中が混乱する。

 一方、豊国という名の男は、そんな二人の様子を、ニヤニヤしながら見ていた。

「おい芳ぃ、兄貴にそんな態度とんじゃねえよ。久しぶりの再会じゃねぇか」

「豊国さんまで……。久しぶりの再会って、昨日の会合で会ったばっかじゃないっすか!」

 国芳の反抗的な態度に、豊国の眉がぴくりと動いた。

 まずい、と思ったが、もう遅い。

「あァ? てめえ、誰に向かって口利いてやがる」

 豊国の声のトーンが、一段低くなる。

 店の空気が、再び凍り付いた。

 その時、これまで黙って成り行きを見守っていた広重が、意を決したように立ち上がった。

「豊国さん、少し落ち着いてください。国貞も。店に迷惑がかかるだろ」

 生真面目な広重の、必死の仲裁。

 だが、その火に歌麿が油を注ぐ。

「あら、賑やかなこと。いいじゃない、若い男たちが元気なのは、見ていて気持ちがいいわ」

 優雅に扇子を扇ぎながら、歌麿が他人事のように言う。

「……んだと、てめえ」

 豊国の鋭い視線が、今度は歌麿へと突き刺さった。

 いよいよ、一触即発。

 俺は、いつでも動けるように、そっと腰を浮かした。

「てめえ、なめてんのか!」

 豊国が、獣のような唸り声を上げる。

 次の瞬間、彼がそばにあった座卓を蹴り飛ばした!

 ガシャン! というけたたましい音と共に、皿や徳利が宙を舞い、床に叩きつけられて粉々に砕け散る。

 その破壊音は、まるで合図かのように、それまで優雅に振舞っていた歌麿も、静かに立ち上がり、豊国たちを睨みつけた。

 もう、誰も止められない。

 乱闘。

 その二文字が、俺の頭をよぎった、その時だった。

「——やかましい」

 それは、怒鳴り声ではなかった。

 静かに、だが腹の底に響くような、低く、そして重い声。

 その一言は、爆発寸前だった店の空気を、一瞬にして凍りつかせる。

 声の主は、攻助さんだった。

 さっきまでの気風のいい親父の雰囲気は、どこにもない。

 カウンターの奥からこちらを睨むその眼光は、まるで歴戦の武士のように鋭く、俺たち全員の動きを縫い止めていた。

 ウキヨ英士である豊国や国芳でさえ、その気迫に呑まれ、動きを止めている。

(……なんなんだ、この人は)

 ただの飯屋の店主のはずだ。

 だが、その一言と眼光だけで、この場の空気を完全に支配している。

 店の中は、水を打ったように静まり返っていた。

 誰もが、息を呑んで攻助さんを見つめている。

 すると、攻助さんはふっとその気迫を緩め、いつもの人の良い顔に戻ってにかっと笑った。

「飯は楽しく食うもんだ。喧嘩なら、腹一杯食ってからにしな」

 その言葉に、張り詰めていた糸がぷつりと切れる。

「……ちっ」

 豊国が、ばつが悪そうに舌打ちした。


 その張り詰めた空気が和らいだ、その時だった。

 店の奥、個室の襖が静かに開く音がした。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

次回は6月17日(水)19時に更新予定です。

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