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浮世英伝 ―大正ウキヨ英士伝―  作者: 本堂ポンタ


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20/22

夜の凌雲閣、清らかな光

挿絵(By みてみん)

 凌雲閣の展望台から螺旋階段を降りていくと、ちょうど階下で応為が誰かを待っているかのように立っているのが目に入った。

 俺の姿を認めると、彼女は少し気まずそうに、だが意を決したように声をかけてくる。

「……あんた、こんな所で油売ってたのかい」

「まあな。少し、考え事だ」

「ふうん……」

 彼女はそれ以上は追及せず、ただ黙って俺の隣を歩き始めた。

 夜の帳が下りた浅草の街を、二人で歩く。不思議な時間だった。

 未来で失ったはずの光景が、今、目の前にある。

 俺たちは、自然と凌雲閣が見える広場へと足を向けていた。

 見上げると、ひときわ高くそびえ立つ十二階建ての塔が、淡く、そして優しく光を放っている。

「すげえな……ありゃあ、電気の光か?」

 俺が思わず呟くと、隣を歩く応為が「ううん」と首を横に振った。

「あれは、龍輝の光だよ」

「龍輝……?」

「うん。凌雲閣は、浅草龍穴の真上に建てられてるんだ。だから、龍穴から溢れ出す清らかな龍輝が、夜になると塔を輝かせるのさ」

 彼女は、少しだけ誇らしげに続ける。

「政信の旦那が言ってたよ。あの光は、帝都の龍脈が健やかな証なんだってさ」

 龍脈が健やかな、証の光か。

 その言葉の意味を、俺はまだ深くは理解していなかった。

 だが、あの光が、俺たちが守るべき平和の象徴であることだけは、痛いほど伝わってくる。

「……そっか」

 俺は、ただそれだけを返すのが精一杯だった。

 彼女との間に、穏やかな沈黙が流れる。

 それは、未来で失ったものとは違う、新しい関係の始まりを告げる温かい沈黙のような気がした。


 応為との一件から、さらに数日が過ぎた。

 北斎との稽古は相変わらずで、俺は毎日泥だらけになっていた。

 平穏な日々が過ぎていく。

 だが、俺にとってその一日は、破滅の未来へと続くただのカウントダウンだ。

 時間がない。

 もっと、もっと強くならなければ。

 その日の稽古が終わり、俺が一人で木刀を振っていると、背後からやかましい声が飛んできた。

「よう、写楽! 精が出るな!」

 振り返ると、そこにいたのは黒猫の国芳だった。

「だが、そんなに根を詰めてちゃ倒れちまうぜ。美味いもんでも食いに行くぞ!」

「国芳……。けど、俺は……」

「けど、じゃねえ!」

 国芳は、俺の返事も聞かずに、強引に腕を掴んで引っ張っていく。

 その時、ちょうど通りかかった広重と歌麿が、俺たちの姿を見て足を止めた。

「国芳、あまり写楽を困らせるな」

 広重が、生真面目な顔で言う。

「何言ってんだよ、広重! 今こいつに必要なのは、稽古じゃなくて美味い飯と威勢のいい酒だ! そうだろ、歌麿!」

「そうねぇ。写楽ちゃん、最近根を詰めすぎよ。たまには息抜きも必要じゃないかしら」

 歌麿が優雅に微笑む。

 結局、俺は三人に言いくるめられる形で、稽古を切り上げる羽目になった。

「よし、決まりだな! 行くぜ、俺たちの聖地へ!」

 国芳が、高々と拳を突き上げる。

 俺たちは、浮世組の拠点を後にし、浅草の夜の街へと繰り出した。

 向かった先は、大通りから少し外れた、ひっそりとした佇まいの飯屋。

 縄のれんには、『浅魂あさだま』と力強い筆文字で書かれている。

「ここが、俺たち行きつけの店さ」

 広重が、少しだけ誇らしげに言った。

「ここのオヤジの飯は、天下一品なんだ」

「あなたも、きっと気に入るわ」

 と、歌麿も続く。

 仲間たちが口を揃えて絶賛する、その店。

 俺は、少しだけ高鳴る胸の鼓動を感じながら、彼らの後に続いて、その暖簾をくぐった。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

次回は6月10日(水)19時に更新予定です。

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